私の前で君は嘘をつく

 ニーノから全ての話を聞いた翌日、彼の上司に当たる人とは電話越しに話をした。先に話を通しておいてくれたからか事情は既に伝わっており、彼女が覚悟をしていたよりも事はスムーズに進んだ。ロッタのこれから先のことを思うと身近なところに女手が必要であるという理由付けが採用されたかは定かではないが、少なくとも今の生活に過剰な制限が設けられることはないようだった。落とし所としてニーノの家で彼と同居とは名ばかりの監視生活を送ることが第一の条件として提示されたが、どの道これまで住んでいた家を出て行かなくてはいけないであろうにとってはそれは大きな問題にはならない。即答できなかったのは、ジーンとロッタには両親が列車事故で亡くなったことを伝えてはならないという二つ目の条件の方だった。ニーノとの親は健在であるのだと嘘を吐き続けていくというわけではなく、オータス兄妹を支えるためにも傷心した様子を二人に見せてくれるなということを意図してのものであることは彼女にも分かった。己を殺して、彼らを活かす。ニーノがこれまで抱えてきたであろうものが、そのことからほんの一部ではあるがにも理解できた気がする。この2年間、少なくない時間を共に過ごしてきて彼は一度もそんな様子を感じさせなかった、これまでに彼は何度こんな思いをしてきたのだろうか。自然とシビルが隣に居るニーノを見上げると、その視線を感じ取った彼は電話を持っていない方の彼女の手を両手で包み込む。まるで彼女を安心させるために大丈夫だとでも言い聞かせるようなその反応に、そうだけどそうじゃないのだと言い返したい言葉をはぐっと飲み込んだ。じわじわと白い紙に広がっていく黒いインクの染みのような感情が、手から伝わる温もりによって溶けていくのを感じる。『一人ではない』それだけのことが、彼女にとっては何よりの支えになっていた。だからこそ、自分が感じているこの思いの十分の一でもいい、彼に与えることができたらと思う。それも提示された条件を飲んでこそのことであるとすれば、首肯く以外の選択肢は彼女にとってはないに等しい。それがジーンとロッタの、ひいては自分とニーノのためであるのなら、に迷いはなかった。

「本当に良かったのか。今ならまだ――」
「しつこい」

だから、通話を終えたところで即座にニーノが投げ掛けてきた言葉をは一蹴したのも、本心からだった。選んだのは彼女自身であり彼が負い目を感じる必要はないというのに、彼はまるで自分が彼女を巻き込んだかのように感じている。恐らく、が居なくてもニーノは大丈夫だったはずだ。一人で乗り越えて、これまでと変わらずに『仕事』を続けていたに違いない。あくまでも一人で駄目だったのはだけであり、たまたま、彼が弱っていたところに居合わせた彼女がそれに付け込んだに過ぎない。本来持ちつ持たれつですらない一方的な関係なのだから、気遣いはして欲しくなかった。の様子から言いたいことが何となく伝わったのだろう、ニーノはすれ違い様に軽く彼女の頭を叩いていった。それが聞き分けのよい幼子に対するような所作であると感じてしまうのは、十歳という年齢差を聞いたが故の彼女の思い過ごしということにしておきたかった。


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 身内だけの葬式が終わり一段落をしたところでは荷物をまとめ養父母と暮らした家を出て、ニーノの家へと生活を移した。養子であり未成年であるには手続きなど分からない点ばかりであったため、家の処分などは全て伯父に任せる形となってしまった。当初彼女が家を出ていくと告げた際に伯父は血が繋がっていないにも関わらず一緒に暮らすことを提案してくれた。養父母が居なくなってしまったのだから自分も出ていかなくてはならない、にとってはそれが当たり前のことだと思っていたので伯父の提案には少し驚かされた。有難い話ではあったが、その提案を受け入れることはできなかった。ニーノの上司からの条件のこともあったが、それだけでなく彼女にとっての『家族』は養父母だけであったからだ。結局、「元々そのつもりで兄たちが用意していたものだからせめてこれだけは」と言われてしまい、高校卒業までの学費の負担だけは頷かされてしまったが。返そうとしたカメラも「それはもう君にあげたものだから」と受け取りを拒否されてしまった。両親を亡くし家を出ることになった時にあの家との間の繋がりは途絶えたと思っていたから、両親との繋がりは全てあの家に置いていくつもりでいた。それなのに返すこともできずに持ってきてしまったカメラは、見ると両親のことを嫌でも思い出してしまうため未だに封を解かれずに仕舞われている。もう、あのカメラを持つことはないだろうと、そう思う。
 それから高校を卒業するまでの間、表向きは何も変わらない日々をは過ごした。変わったところと言えば、彼女がカメラを持たなくなり、恋人を作らなくなったことくらいのものだった。当然、友人であるジーンはそのことについて彼女に理由を尋ねた。

「他にやりたいことができたから、かなぁ」
「嘘だよね、それ」
「やだなぁ、ほんとだよ。まぁ確かにそれだけじゃないけど」
「恋人作らなくなったのは?」
「それは全っ然関係ない。カメラはね……壊れちゃったの。多分、もう二度と直らないんじゃないかな。買い直す気にもなれないから、だからやめたの」

視界の端に居るニーノが僅かに顔をしかめたのがにも見えた。恐らく、彼女が言葉に込めた意味が分かってしまったのだろう。別にもう悲しんでいるわけではないのでいちいち反応をするのは止めて欲しかった。何も知らない頃は気付かなかったが、注視していればニーノが感情を動かす瞬間は案外簡単ににも見えた。それは知らなければ永遠に見逃していた一瞬、知ってしまえば見過ごすことのできない一瞬だった。の答えで納得をしたかは分からなかったが、ジーンがそれ以降は彼女にカメラのことを聞いてくることはなかった。周りでは短期間で取っ替え引っ替えをしていたが新しい恋人を作らなくなったことで様々な憶測が飛び交っていたが、好きに言わせておいた。彼女にもそれだけのことをしていた自覚があったからだ。それにが大事に思っている二人は以前と同じようにそうした憶測に耳を傾けることはせず、自分たちの目で見た彼女を通して判断をしてくれている。だから、それで十分だったのだ。

 ジーンとロッタの家にニーノとは学校帰りによく立ち寄った。休日も二人で遊びに行ってはロッタも交えて四人でよく遊んだし、泊まることもあった。そうして過ごしている内に少しずつ、少しずつジーンとロッタの傷も癒えていった。二人からまた笑顔が見れるようになり、高校を卒業する日が近付いてきても、の中に不安が芽生えることはなかった。以前までの彼女ならばこの先も彼らと変わらない関係を続けていけるか不安で仕方がなかったはずだった。それがなくなったのは、この先も変わらずにジーンとニーノは自分の側に居ると確かな自信があったからだろう。ジーンとロッタをこれからも見守っていくために、そしてニーノは秘密を知ってしまったを監視するために、側に「居なくてはいけない」のだから。友情と呼ぶには歪んでしまっているが、それでもそれは、彼女が何よりも欲して、何よりも望んでいたものだった。

「二人は卒業したらどうするの?」

あまり自分のことを話したがらないからこそ、互いに何となくは分かっていても三人の間でこれまではっきりと進路のことが話題に出たことはなかった。そもそもニーノと二人に関しては、ジーンがどうするのかについてわざわざ聞かずとも知っている。それでも改めて尋ねるのは、彼女の中ではジーンもニーノも、複雑な事情が絡もうとも根本的なところでは友人であることに変わりはないからなのだろう。故にその質問を口にできるのは先のことを知っているからこそであるが、その質問を口にするのは友人だからこそであった。

「俺はACCAに入るけど、ニーノは探偵だっけ?」
「そう。父親の跡を継ごうと思ってる」
「ふーん、じゃあみんなバードンからは出ないのね」
は?」
「ん? 私もACCAに入るよ、支部の方だけど。ジーンはどうせ本部でしょ」
「なんで分かるの」
「だってジーンはそういう感じだし。仕事にやりがいとか特に求めてないでしょ」
「そういうお前は支部の方が本部より給料がいいからだろ」
「そうだよー早く自立しないとだからね」

この一年の間に、ジーンを相手に知っていることを知らない振りをすることにはすっかり慣れてしまった。友人として見れば、それはとても不誠実な行いなのだろう。しかし秘密を知ってしまった者として、彼のこれから先の生活を守っていくためにそれが必要な行いであることも理解している。国家の秘密、と言われてもあまりにも規模が大き過ぎてニーノから話を聞かされた時にもには現実感が薄かった。同級生で友人である相手が王族の血を引いていると言われても、戸惑いが先行してしまうのは当然のことだろう。けれども、その「つとめ」を十五年間も続けている人間が側に居たから「そういうものなのだ」と彼女は受け入れることができた。その上で、にとってのジーン・オータスは王族の血縁者であり守らなくてはならない対象であるが、それと同時にやはり友人であるという思いが強い。それは友人として出会った彼女だからこそ抱く思いであり、ニーノとは共有したことのない感情だ。それこそ、生まれた時からジーンのことを見ている彼は違うのではないかと思う。彼は『つとめ』としてジーンと出会った。直接尋ねたところで、ジーンの親友であることもまた『つとめ』なのだと彼は言うだろう、真意はそうでないにしても。ふとした時に自分の置かれている状況を、彼の立場に置き換えて考えることが最近のには増えてきていた。必要なことであると理解はしているが、友人に対して偽っていることを不意に心苦しく感じる瞬間が彼女にもある。そうした時に考えるのだ、ニーノはどんな風に感じているのだろうと。そしてその度に、まだ自分は彼の本心を聞くことのできる存在になっていないのだと、共犯者になりきれていないことを彼女は実感する。あの日、彼に手を伸ばしたのは彼女自身のためであったが、彼が抱えてきたものをこれからは一緒に抱えるという言葉は本心からのものであった。これから先も側に居るという未来が確定しているのであればこそ、与えて貰うばかりではなく少しでも返せるようにならなくてはいけない。けれども、どうすればいいのかそのやり方がにはまだ分からなかった。

2018/06/18