無意識に踊らされる
「それじゃあ、覚悟はいい?」
「それはこっちの台詞だ。今ならまだ許してやってもいいぜ」
「はっ、誰が」
12月も半ばが過ぎ、世間ではクリスマスだとか年越しだとか言われているが、学生にはそんなものより大事な大事なイベントがあった。特に年が明ければ高校受験が待っている彼ら中学三年生にとってはそれこそ命を賭けて挑むべきもの。そう、期末試験である。
先ほど最後の一科目が返却され、全ての答案用紙が手元に揃った。放課後特有の騒がしさで溢れた教室でそれらを手に向き合う二人の少年少女。となればこの後に迎えるべき展開は決まっていた。
「271点、俺の勝ちだな」
「あああああ、絶対勝てると思ってたのに……!」
「甘いな。得意教科1、苦手教科2の合計点での勝負なら、社会系を重点的にやるだろ」
「そりゃこの時期に苦手教科そのままにしておく馬鹿は居ないの分かってるけど、でも化学なんか自己最高点だったのに……」
「3点でも負けは負け。分かってるよな?」
年末新春クイズ番組の全録画。それが御来屋の条件だった。
の方はと言えば、御来屋への一日命令権だったのだが勝負に敗れた彼女のそれは今や何の意味もない。
1クールの境目とあって通常の番組とは異なる特番が増える時期に、必ず眼にするクイズ番組。テレビでやるようなクイズは一般的なものが多く、その形式も視聴率を稼ぐために奇妙な趣向が凝らされている。それでも、中には良問が紛れていることがあるのだ。御来屋の目当てはそれだった。
「はいはい。生憎とダブ録には対応してないから時間被ってるのは録画出来ないよ」
「調べたけど被ってるのは一つもないから心配すんな。問題のピックアップも忘れんなよ」
「受験間近のこの季節に真顔でそれを強要する御来屋に殺意を覚えなくもない」
「最初からそういう約束だったろ。まぁ、そっちの方は卒業までの期限にしてやってもいいけど?」
「当然のことを恩着せがましく言わないで欲しい」
録画は予約さえしてしまえば後はレコーダーが勝手にやってくれるが問題のピックアップはそうはいかない。再生と停止を繰り返しながら書き出さなくてはいけない。手書きである必要はないのでパソコンを使うにしてもかなりの手間暇が掛かることは火を見るより明らかだ。受験前のこの時期にそんなことに割けるような時間など、もちろん
は持ち合わせていない。ただでさえ、自分の実力よりも少しばかり上の学校を目指しているのだから。あれもそれもこれも全て、何もかもが目の前の男のせいだった。
「つーか、言い出したのはそっちだろ」
「だから?」
「自業自得」
「うっさい。あー……これで落ちたらどうしよう」
「もしそうなったら、責任は取ってやるよ」
「は……?」
「だから、宮浦のクイ研の過去問題とかはお前にも流してやるから心配すんなって」
「あぁそういう意味。そうだよね、分かってた。御来屋はそういう奴だもんね」
一瞬でも期待した私が馬鹿だった。御来屋がクイズしか頭にないクイズ馬鹿だということは、この2年で嫌という程に痛感していたはずだったのに。こんな奴がうっかり好きになっちゃって、少しでも会話をしてみたかったから競技クイズになんて足を踏み入れた。一緒の話題で盛り上がれる、それだけで嬉しかったのだ。向こうはこっちの気持ちなんか全く気付いてなくて、ただのクイズ仲間ぐらいにしか思っていないのだから、本当に報われない。
そんな内心もあって
は深々と溜息を吐き出したのだが、やはりその理由がまるで分かっていないのだろう。御来屋は不満そうに眉をしかめていた。自分の提案は感謝されてしかるべきものであり、溜息を吐かれるようなものではないと。
「そもそも、自分が受かることが前提となってる時点で腹立たしい」
「落ちるわけないだろ、俺が。数学満点は余裕だし、他も7割5分から8割は取れる自信あるし」
「プレッシャーとは無縁のようで羨ましい限りだね。私なんかどんなに勉強しても確実に受かるとか思えないってのに」
「麻ヶ丘ならそんな心配しなくても受かるんじゃねぇの、お前それなりに頭良いし」
「……無責任な気休め発言されてもなぁ」
何せ
が麻ヶ丘女子を受けることにしたのも、御来屋のせいであるのだから。せっかくここまで仲良くなれたのだから、出来ることなら高校も同じ所へ行きたいと彼女は思っていた。しかし彼が志望している宮浦高校は男子校、だから中学卒業と同時に御来屋のことも諦めるつもりでいたのだ。それなのに「お前は麻ヶ丘行くんだろ? ここら辺の女子校ならあそこのクイ研が一番有名だし」などと、それ以外の答えなど考えてもいない風に聞かれたが故に、
の進路は決定してしまった。本当は、大学附属の共学私立に行くつもりだった。しかし、それでは自分のことをクイズ仲間として見ている御来屋を失望させることになると気付いてしまったから。呆れられたくなかった、嫌われたくなかった。少しでも、好きになって欲しかった。学校が違えどクイ研にさえ入っていれば、まだこの関係が続けられると思ったのだ。
結局、
は御来屋のことを諦めきれなかった。いつか好きになってくれるかもしれない、というそれだけで彼と同じ道を進むことを選んでしまうくらいには、彼が
好きだったのだろう。
唯一の救いは、麻ヶ丘もまた上位進学校であったことだ。将来のことなどを鑑みればそんな理由で志望校を決定すべきではないのだが、進学校であるならばその不安は多少軽減されると言える。もっとも、例え麻ヶ丘が進学校でなかろうと
は同じ選択をしていただろうが。
「ったく、悩んでたってどうにもなんねーだろ。何が自信ないわけ?」
「数学。ちょっと応用になると解き方が分からなくなる」
「基本が出来てりゃ応用も同じだ。ちょっと複雑になってるだけで、解き方自体は基本と一緒。で、具体的にどこ」
「絶対値含むyの取り得る範囲が良く分からない」
「分かった。説明してやるから問題持ってこい」
そう言って自分の席に戻ると筆記用具とルーズリーフを取り出した御来屋を見て、
は何とも言えない気分にさせられた。言われるがままに鞄から付箋の貼られた過去問を取り出して持って行き、問題文を見ただけですらすらと数式を書き連ねていく様子を見守る。一つずつ確認しながら分かり易く進めてくれる説明を聞き漏らさないように集中しながら、その片隅でぼんやりと別のことを考えていた。ここまでしてくれるコイツにとって、自分とは一体どういう存在なのだろうと。
全く望みが無いのならば、
にしても諦めがつく。しかしこうして少なからず、それがどんな種類のものかは分からないにしても、好意的な感情を向けてくれていることを知っているから、ずるずると引きずってしまっているのだ。御来屋の言動に一喜一憂させられる、そんな正しく恋する乙女みたいなことをまさか自分が体現する日が来るとは
自身、思ってもみなかった。
「――で、定数aの範囲が3つに分けられるからyもそれに合わせて分けて求める。最後に問題文より-9≦y<5の範囲を適用させて、終わり。分かったか?」
「まぁ、一応は?」
「俺がわざわざ説明してやったってのに、一応ってなんだ一応って。完全に理解しろ!」
「ちーちゃんさ、そういうとこ大人気ないよね」
「うっせぇ! つーかちーちゃんって言うな!」
「じゃあ、ちーくん」
「何が『じゃあ』なんだよ。むしろいっそ普通に名前で呼べ!」
「え……千智?」
「そう。それでいいだろ」
いいわけがない。友人と呼べる関係にあるとは言え、異性を、ましてや好きな相手を名前で呼び捨てに出来るわけがない。現に一度口にしただけで、気恥ずかしさから
は身体中が火照っていた。これでは会話をすることもままならない。
「やっぱり、御来屋って馬鹿だよね」
「勉強教えて貰っておいて言うに事欠いてそれか」
「そういう意味じゃないんだけど。んー改めて覚悟が必要だなぁと思って」
「あっそ。じゃ、俺は帰るから」
「あ、待って。ついでにあと1問!」
「負けたくせに図々しいな、お前」
「負けたからこそ、苦手分野の対策はしっかりやっとくべきでしょ」
「……あと1問だけだからな」
そうやってまた期待を持たせるようなことをするから、君から眼が逸らせない。
2013/02/20