仕上げの一押し

 放課後、どこの部活にも所属していないは比較的早くに学校を後にする。電車に揺られながら思い返すのは、先日同級生の少女に告げられた言葉だった。未だに答えの出ないその問いかけはぐるぐると彼女の中で渦巻いており、一人で考え続けるのは限界だと警鐘が鳴っている。中学で仲のよかった友人たちはみな別の高校へと進学してしまった。縁が切れたわけではないため、連絡を取ればすぐにでも相談に乗ってくれるだろう。だが、今の彼女が必要としているのはただの相談相手ではなかった。携帯で改めて今日の曜日を確認すると、は開かれた扉から電車の外へと降り立つ。その駅はいつも別の路線へと乗り換える中継点の駅であり、毎日のように下車をしている。いつもと違うのは、彼女がそのまま改札をくぐって駅の外へと出たという点。向かう場所は既に決まっていた。



「受験生がこんなところに居ていいんですか?」
「時々は息抜きだって必要だからな」
「そうは言っても、毎週お会いしてるような気がするんですが。実は受験余裕なんですか、ヨースケ先輩」
「本当に余裕なら塾になんて行ってないよ。君こそ、放課後に寄り道してるなんて学校にバレたら大事だろ。麻ヶ丘は校則厳しいって有名だよ」
「だからわざわざ学校から離れたゲーセンに来てるんじゃないですか。ちゃんと上にカーデも着てるから偽装もばっちりです」
「ボタン閉めないと意味ないよ、ちゃん」
「あっ」

言われて視線を落とすと慌てて羽織ったためか胸元のボタンが全開になっており、急いでカーディガンのボタンを全て閉める。臙脂色のロングワンピースという特徴的すぎる制服は、このあたり住んでいれば遠目からでも一目で麻ヶ丘のものと分かる。このゲーセンで初めて会った時ににそう忠告をしてくれたのが目の前に座っている人だった。校則の緩い中学に通っていたため、学校帰りにゲームセンターに寄り道をするのはにとってはほとんど習慣のようなものだった。麻ヶ丘女子高校へと入学をして、ミッション系のお嬢様学校というイメージから学校帰りに制服でゲームセンターに寄り道をするのはあまり宜しくはなさそうだという予想はついたが、それでも習慣はそう簡単に止められるものではない。だから、学校から少し離れていて、かつ帰り道にあるところを彼女は選んだ。

「君、その制服は麻ヶ丘だよね。学校帰りにこんなところに居たらまずいんじゃない?」

 最初に声を掛けられた時、こんなところにも麻ヶ丘の制服であると知っている人が居るということにまず驚いた。次いで、この人は何を言っているんだろうとも思った。学校の先生にさえ見付からなければ良いと思っていたには、学校とは無関係の見知らぬ人が学校に連絡を入れるという発想がそもそもなかったのだ。迷惑を被ったわけでもないのに、わざわざ見ず知らずの女子生徒一人のために学校に連絡を入れるような暇人は一般的にほとんど居ないが、全く居ないというわけではない。卒業生の中には母校の品位を落とす振る舞いに目くじらを立てる人も居るという、名前の知れたお嬢様学校であるが故の面倒なところだった。その制服を着ている時は学校の代表であることを常に意識して行動をするように。入学式で聞かれた言葉の意味が少しだけ理解できたことを良かったこととして受け止めるだけの愛校心をはまだ持ち合わせていなかった。そのあたりの事情を簡潔に説明をしてくれたその人は着ていたカーディガン脱ぐと、彼女に差し出しながらこう言った。

「とりあえず今日はこれでも着てな。ないよりはマシだろうから」
「どうしてそこまで言うのに帰れって言わないんですか?」
「別に俺は君の知り合いでも何でもないから学校に連絡が行っても構わない。というのもあるけど、まぁクイズするのを楽しみに来た子を追い返すのは可哀想だからね」

が警戒心を解いて懐く理由としては十分すぎるほどによくできた人だった。男子校の制服はブレザーか学ランかという違いくらいしか分からない彼女には、その人がどこの学校の人なのかは分からない。ただ、その物腰から自分よりは年上であるに違いないということは分かったので、自然とゲームのハンドルネームに「先輩」をつけて呼ぶようになっていた。相手がこちらの素性を知っているのに自分は知らないのは不公平ではないか、ということはあまり考えなかった。お互いに本名は知らないし、多分そのくらいの距離感がこの関係には合っていると風香は思っている。相手からも本名を聞かれたことはないので、同じようなことを考えているのだろう。彼の肩越しに画面を覗き見ると出題ジャンルと形式の選択画面が表示されており、既に最終ラウンドの直前まで来ていた。

「ヨースケ先輩、今日はあとどのくらい居る予定ですか?」
「今やってるのが終わったらそろそろ退散するつもりだったけど、どうした?」
「いえ、ちょっと相談をさせて頂けないかな、と思いまして。クイズ関係のことなので他に相談できそうな相手が思い当らなくて……もしお時間あればでいいんですけど」

歯切れが悪いの様子に何かを察したのか「いいよ」と彼は二つ返事で了承をしてくれた。そのまま控えめに画面を覗き込みながら画面に次々に表示されていく最終ラウンドの問題を口に出さないまでも考えながら待っていると、ほどなくしてWINNERの文字が大きく画面に表示される。勝った余韻もそこそこに手早く荷物をまとめるその背中にお疲れ様ですと声をかけることもためらっていたに、振り向いた彼は「じゃあ出ようか」と当たり前のように言い放った。てっきりここで話をするものだと思っていた彼女は事態が飲み込めずにぽかんとしてしまう。

「え、出るんですか?」
「だってここだとうるさいから話なんてできないだろ。大事な話みたいだから、場所を変えよう」
「あ、ありがとうございます」

こういう気遣いがてらいなくできてしまうところが年長者だからなのか彼だからなのかは分からないが、見習いたいと思う点ということに違いはない。ゲームセンターを出て、近くにあるMのロゴが目を引く大手ファーストフード店へと入り、二人分の座席を確保する。彼を席に残して二人分の飲み物を購入して戻ると、差し出された小銭に思わず彼女は眉をハの字に寄せてしまった。

「貴重な時間を割いてもらうんだから、これくらい出させて下さい」
「駄目。年下の女の子に奢られるわけにはいかない」
「ヨースケ先輩そういうところ意外と拘りますよね」
「男の子だからね」
「そういうものなんでしょうか」
「そういうもんだよ」

これ以上の議論は平行線だということはにも予想できたので、今度別の形で御礼をすることにし、ここは大人しく受け取っておくことにする。無難にコンビニで売っているくらいのお菓子とかであれば受け取って貰えそうなので、次に会う時にでも買っておこう。そんなことを考えながら受け取った小銭を財布に入れて鞄に片付けたところで、が正面へと向き直ると頬杖をついたヨースケ先輩と目が合う。出会ってからまだ1ヵ月くらいしか経っていないが、こうして彼に相談に乗ってもらうのはなにも今日が初めてのことではなかった。麻ヶ丘ならばクイ研に入らないのか、という質問を先に向こうからされたこともあって自然と相談する流れができたからだ。別の高校に進学した友人の名前とそこに付随する彼女の感情、それ以外はほとんど全て話しているだろう。だから気負わずに話をすることができる。ストローで一口、喉を潤すとは「実は」と切り出した。

「先日、同級生のクイ研の子から直々にクイ研に誘われまして。なんでも例の友達と同じ学校の人が彼と中学で一緒にクイズをやっていた人が麻ヶ丘に居ると伝えたそうで、それを聞いた部長さんがぜひ我が部にと言って下さっていて」
「期待されてるってことじゃないか」
「そうなんです。わざわざ探してまで声を掛けてくれたみたいで、それ自体はとっても有難いことなんですけど……」
「例の友達のことが引っかかって決められない?」

こくりとは頷く。例の友達――御来屋から高校に入ってから初めてメールが届いたのは4月4週目の日曜日、内容は簡潔で <今日の大会居なかったよな。麻ヶ丘のクイ研入ったんじゃねぇの?> と書かれていた。彼にとってのはあくまでもクイズ仲間であり、連絡があったのも当然いると思っていた大会に彼女がいなかったからに過ぎない。クイズ仲間という括りからは、どうやっても出ることはできないとそう言われているようだった。少しでも近付くために臨んでその立場に収まったはずなのに、今のにとってはそれが重荷になっていた。

「やっぱり今クイ研に入ると、彼のために入った形になってしまいそうで嫌なんですよね。私が自分の意志で決めたはずなのに、そうではなくなってしまいそうで」
「クイ研に入るようにって連絡が来てる?」
「来てますね、<さっさと入れ>って。正直、連絡がなければ声を掛けてもらった時点で入部していたと思います。だから、彼に言われたから入ったとは思われたくないんです」
「俺にはどうして君がそんなにこだわるのか分からないな。きっかけはどうあれ、今の君は自分自身の意志でクイズを続けているし、クイズを楽しんでいる。なら、クイ研に入るのも君が決めたことだと思うんだけど」
「そうなのかもしれません。けど、そこに1割でも他の理由がないって私自身が否定しきれないので、駄目なんです」

クイ研に入れば、これからも御来屋との接点を保つことができる。そういった打算を、完全に捨てきることが今のにはできなかった。御来屋のことを諦めてしまえばこの不純な感情を捨てて純粋にクイズに専念できるのかもしれないが、そう簡単に割り切れるものでもない。そんな中途半端な気持ちでクイ研へと入るのはクイズプレイヤーとして知略を尽くして競い合うためにクイ研に入っている他の人達に申し訳ないし、クイズ仲間として気にかけてくれている御来屋にも会わせる顔がないと思う。だから中学の頃に通っていた最寄り駅のゲームセンターではなく、この中継駅のゲームセンターに彼女は来ていた。クイ研には入れない、彼に会わせる顔もない、それでもクイズをやりたいという気持ちもまた捨てられないものだったから。

「他の理由、あってもいいんじゃないか」
「え?」
「別にクイ研にいる誰もが初めからクイズがやりたくて入るわけでもない。入ってからクイズへの情熱に目覚める人もいるし、逆に思うように結果が出なくて辞めてしまう人もいる。クイズをやる理由なんて人それぞれだ」
「そう、なんでしょうか……?」
「難しく考える必要はないよ。ちゃんはクイズ好きだよね?」
「好きです。きっかけは友人だったけど、今はクイズが好きです」
「ん、ならもう一つ質問だ。ちゃんはその友達と一緒にクイズで競い合いたいとは思わない?」
「思います。クイズプレイヤーとして正々堂々と正面から戦って、勝ちたい」
「うん、それが言えるなら君は大丈夫だ。やりなよ、競技クイズ」

その言葉はこれまでごちゃごちゃと色々な感情が絡み合っていた彼女の中に不思議とすとんと落ちてきた。クイズが好き、御来屋が好き。それは彼女の中でどちらも譲れないものだった。始まりが始まりであっただけに、彼女の中ではクイズに対する負い目がどうしても拭い去ることができない。それはきっとこれからもなくなることはないのだろう。だからこそ、彼女は背中を押してくれる人を必要としていたのかもしれない。自分ではクイズが好きなのか御来屋が好きなのか、その境界が分からなくなってしまっていたから、クイズが好きな誰かに認めてもらいたかったのだ。彼女は間違いなくクイズを楽しんでいるのだと、クイズをやってもいいのだと、言って貰いたかった。

「……私、ちゃんとやりたいです。競技クイズ」
「そもそも、君自身以外は誰も駄目だなんて言ってないよ」
「あはは、そうですね。でもだからこそ、一人じゃ絶対に決められませんでした」
「心は決まった?」
「はい、麻ヶ丘のクイ研に入ります」

胸を張ってクイズが好きだと言えるのはまだまだ先のことかもしれないが、背中を押してもらったことで決心がついた。御来屋にクイズ仲間として認めてもらえている。それは彼に恋をしているにとっては重荷ではあったが、クイズプレイヤーとしてのにとっては誇らしいことだった。そう思えた時から、きっと答えは決まっていたのだろう。

「まだ不安はありますけど、それについてはまたその時に考えたいと思います」
「心配しなくても、なんとなくクイズを続けてるだけの人と真剣に取り組んでる人の違いは分かるやつだよ、アイツは」
「ヨースケ先輩?」
「いや、何でもないよ。それで例の友達にもクイ研に入ることは連絡するの? 一番やきもきしてると思うけど」
「連絡は、しません。私も少し頭を冷やす期間が必要だと思うので」
「これは俺の推測だけど、その彼もきっと君のことを認めているからこそ、早く同じ土俵に上がって来るように促してたんじゃないかと思うよ」
「う……でも、連絡は、しませんから!」
「わかったわかった。君がそう決めたんなら俺は口出ししないよ」

断固として言い切ったがストローを咥えながら正面の人を見やると、にっこりとした笑顔で受け止められてしまいそれ以上何かを言い返す気力を削がれてしまった。大人しくカップに残ったジュースを飲みながら、スマホを取り出したヨースケ先輩がどこかに連絡を取る様子をじっと見ていると、顔を上げた彼と目が合ってしまいは慌てて顔を逸らす。やましいことをしていたわけではないが、勝手に見ていたという申し訳なさがあったからだ。逸らした視線をさ迷わせていると壁にかかった時計が目に入り、そこに示された時刻が電車の中で最後に時間を確認してから既に1時間は経過していることに気付く。いつも通りであれば、ヨースケ先輩が塾に向かう時間はとっくに過ぎていた。慌ててカップの中身を飲み干すと、時間を取らせてしまったことを謝罪しながら急いで店を後にする。焦るとは裏腹に、急がなくてはいけないはずの本人はどこか満足気な様子でいつもと変わらないゆっくりとしたペースで歩を進めるため駅前の分かれ道へと着く頃には夕暮れ時を知らせる音楽が遠くから聴こえてきていた。

「あの、ヨースケ先輩。今日は相談に乗っていただいて本当にありがとうございました。おかげでようやく決心がつきました。散々迷惑をかけておきながら今更聞くことではないと思いますが、もし良ければ連絡先を教えてもらえないでしょうか?」
「んーそうだね。教えてもいいけど、それはまたの機会にしよう」
「次に会う時ってことですか?」
「そう。近い内にまた会えるから、その時に」
「どういう意味ですか?」
「例会楽しみにしてる。って麻ヶ丘の部長に伝えてくれたらわかるよ」

そう言い残すと、ヨースケ先輩は手を挙げて雑踏の中へと紛れていってしまった。これだけヒントを与えられればも、彼がどこかのクイ研の部員だということは予想が付く。恐らくその「例会」で彼の本名も学校も明らかになるから、連絡先を交換するのはその時になってからでも遅くはないということなのだろう。見えなくなった後ろ姿を見送ると、はそのままゲーセンへは寄らずに駅へと足を向ける。家に帰ったらどこかに仕舞い込んでしまった部活動の入部届を探さなくてはいけない。もう、ゲーセンに寄っている時間はなかった。

2017/10/23