精々出来ることをして何が悪い
朝日奈葵という女子に対する俺の第一印象は、超高校級のスイマーという肩書きを持っているという以外は16人の中でも最も日常に近い存在であり、普通に悲しんだり普通に楽しんだり、そして普通に恐れることの出来る女子というものだった。いや、別に他の女子が普通じゃないと言いたいわけではない。強いて言うのならば舞園さやかや江ノ島盾子なども普通に近い感性を持っているとは思う。だからこその『最も』という表現に繋がるわけだが、あの学園長を名乗るモノクマによってコロシアイ学園生活なんてものを強要された際の反応から俺がそう感じた、言ってしまえばそれだけの個人的な主観に基づく判断に過ぎない。
そんなわけで俺の主観的な意見に過ぎないものを誰かに言い触らすようなことをするわけもなく、俺の心の内に留め置かれていたことだった。さりとて特別に行動を起こすわけでもなく、声を掛けるわけでもなく。今回のこともそうした考えとは全く無関係のところで起きたことだった。たまたま俺が食堂に行ったら、たまたまそこに朝日奈と大神が居て、たまたまお茶が余っていたから、たまたま誘われた。それだけのことなんだ。
「
はさ、怖くないの?」
「そりゃ怖いよ。こんな訳の分からないことに巻き込まれて、訳の分からないビデオを見せられてさ」
「そう、だよね……みんな、そうなんだよね……」
「感じ方は人それぞれだろうけどな。でも、大神だって似たようなことは思ったんだろう?」
「そうだな。我があれを見て思ったのは朝日奈や
のような恐怖ではなかった。だが、あの映像から受けた衝撃は等しく同じだろう」
「とまぁ、そういうことだ。あの大神だって――あぁ、この言い方で不快にさせたらごめんな――そう思うんだ。だからさ、無理に恐怖を押し殺して自分で何とかしようと思うんじゃなくて、少なからず誰かと共有してその気持ちを分かち合っておく方が良い。現に俺だって、声掛けて貰って良かったって思ってるし」
動機ビデオとやらを見せられたのが朝、そして今はもう夜だ。丸一日中、あれについて頭を悩ませていたのは皆同じだろう。捏造だと割り切ってしまえれば良かったのだが、そういうわけにもいかない。だってあそこに映っていたのは、俺の『家族』だったから。つい3日前に笑顔で送り出してくれたはずの『家族』たちの、変わり果てた姿が映っていたから。今直ぐにでも確かめに行きたい。でもそのためにはここから出なきゃいけない。出るためには誰かを殺さなくてはいけない。誰かを殺す? 誰を? そこまで考えが至って、モノクマの言う動機ビデオとやらの本質を俺は理解した。そう思わせることこそが、あいつの狙いなんだと。今直ぐにでもここから出なくてはいけないと、そう思うような映像を他の皆も見せられてたのだということを。
誰かを殺せばここから出て行ける。そんな他者を犠牲にして自分だけが助かろうとする考えを、誰もが絶対に持たないとは俺には断言出来なかった。何故なら霧切を除く皆と会ったのは、ほんの3日前のことなのだから。誰がどんな性格をしているかなんて、この数日で分かるわけがない。表向きは友好的な素振りを見せていようとも裏では何を考えているか分からない。そんな風に考えてしまうこと自体、モノクマの思うつぼなんだろうけど、考えずにはいられなかった。俺自身、何があっても誰かを手に掛けない、なんて絶対に無いとは言い切れない。だって――俺の手はもうずっと昔に一度汚れてしまっているのだから。拭っても拭っても消えない血の臭いが、俺の鼻には今もこびり付いている。こんなにも真っ赤に染まった手を握って、『あなたの手は綺麗だ』、とそう言ってくれたのは誰だっただろうか――必要があればそうしてしまうような、そう思うに足るような何かが俺にはある気がした。
「
? どうしたの?」
「ん、あぁ、大丈夫。なんかさ、さっきのビデオもなんだけど、こうしてここに閉じ込められてからもう4日目なんだなって思うと、な」
「そっか……もう、4日も経つんだね」
「1週間の半分以上って思うと、短いようで長いよな。4日目も経つと、なんだか徐々にここでの生活に慣れつつある自分が居て。俺はそれが怖い」
「セレスの言うように、適応している、ということか?」
「そうだな。でもそれってつまりさ、感覚が麻痺してるってことなんだよなって。こうしていることが当たり前だなんてそんなわけがないのに。外に出たいなんて思わなくなれば誰かを殺すような真似はしないのかもしれないけど、それってなんというか健全な考えではない気がするんだ」
「じゃあ、
は外に出たいって思い続けたいってこと……?」
「あーいや、それはその通りなんだけど、違う違う。別に誰かを殺してでも出たいとかそんなこと考えてないから、そんな怯えた顔しないでくれ。ただ、それを諦めるってことは未来を諦めるってことと同じなんじゃないかなって、そう思っただけなんだ」
外に出たい。閉じ込められている以上、そう思うことは本来ならば当たり前のことであり、それ自体は間違った感情などではないはずだ。そう、ごく自然な、むしろそう思わないことが異常であるはずの感情だ。にも関わらず、その感情を歪めてしまっているのは偏にモノクマの与えたルールのせいだ。『誰かを殺した生徒はここから“卒業”することができる』そんなルールさえ無ければ、誰もが外に出たいという当たり前の感情を当たり前に持つことが出来ていたはずなのだ。それを無かったことにして一生ここに留まることを望むというのは、現実から、未来から目を逸らしていることと同じではないか。俺にはそんな風に思えた。
外に出たい。でもそのためには誰かを殺さなくてはいけない。でも俺は誰も殺したくなんかない。だから、出る方法はない。本当にそうなのか? 方法がないからって簡単に諦めるなんて、そんなの俺らしくない。ここに無いものを生み出すのが、俺だ。
「せっかく気持ちが少し明るくなったってのに、また暗くしちゃってごめんな」
「ううん。でも、
の言うことも何となく分かるかも。今はまだ無理だけど、私も……頑張ってみるよ」
「……
、我はお主に感謝している」
「感謝? されるようなこと言ったか、俺」
「先ほどのお主の言葉を聞き、我はそう感じた。故に、それを言葉にしたまでだ」
「じゃあ、どういたしましてってことで。あー……二人共、まだ時間あるか?」
「夜時間までまだあるし、私は大丈夫だよ。さくちゃんは?」
「我も問題ない」
「そっか。なら、ちょっとだけ待っててくれるか?」
二人にそう言い残すと、俺は厨房へと向かった。準備するものはそう多くない。ティーカップとティーポット、それと牛乳を電子レンジで温める。それらに常に持ち歩いている道具を使ってほんの少しばかり手を加えれば、即席ではあるが十分使用に耐えるものが出来上がる。この閉鎖された空間で俺が一番悩まされているのは、圧倒的に道具が足りないことだ。校門をくぐった時に持っていた鞄は個室に置かれてはいたけど、あれには必要最低限ものしか入ってない。別にここで大掛かりなものをする必要性も、それが求められる状況でもないから構わないんだけど、やりたいなって思った時にそれが出来ないというのは俺にとっては結構ストレスだったりする。ステージでするならばともかく、少人数に魅せる時は相手と状況に合わせて内容を変えるようにしているから。不特定多数の誰かに向けてではなくて、目の前に居る相手のためだけに。俺がいつも心掛けていることだ。それを曲げざるを得ないというのは、ストレス以外の何物でもなかった。
愚痴を零したところでどうにかなるわけでもないので、とりあえず出来る範囲でやっていこうとは思っている。能天気だと言われるかもしれない。でも、こんな状況だからこそ俺にしか出来ないことをやっておきたかった。準備したものを手頃なトレーに乗せると、気持ちを切り替えるために最後の仕上げをする。さてと、行きますか。
「あ、
。遅かったね、何してたの? って、あれ? なんかさっきと雰囲気違くない?」
「先ほどまでしていた髪留めを外しているからではないか」
「ほんとだカチューシャがない! すごいよ、さくらちゃん。よく気付いたね! んーでも、さっきまでよりこっちの方が見覚えあるような……?」
未だに首を捻っている朝日奈と、何をするつもりなのかとこちらを注視している大神の傍まで行き手に持っていたトレーを机に置くと、俺は一つお辞儀をする。手を胸に当て、腰から一直線に曲げた綺麗なお辞儀を。身体を起こすと二人に向かってにっこりと笑顔を向ける。語りは滑らかに、そして動作は大仰に。そうして短い間ではあるが、俺は場を作り上げていく。
「Ladies & Gentlemen! とは申しましても今この場には女性の方々しか居りませんが、そこは言葉の綾ということでご勘弁を。今夜は荒れ果てた砂漠のように渇いていたこの心に、あたかもオアシスのような潤いをもたらした一杯の紅茶を恵んで下さったお二方に、心ばかりの御礼を私の方からさせて頂きたいと思い、この場を設けさせて頂きました。お時間は取らせません、全ては瞬きの間に過ぎ去ってしまう、そんな一瞬の出来事ですから。どうかお見逃しなきようご覧下さい」
再度軽くお辞儀をすると、テーブルに置いたティーポットを手に取る。カップの中身が空であることは二人も見ての通りであるから、敢えてそちらを示すことはしない。ただ、ティーポットの蓋を開け、そして傾けて見せても何も零れないことでその中身が空であることを二人にも確認させる。種も仕掛けもない。前提となる条件を二人に提示してから、俺は胸ポケットに入れておいた白いハンカチを取り出すとトレー全体を覆うようにしてそれを上から被せる。
「ご確認頂きましたように、この布の下にあるティーポットとティーカップの中には何も入っておりません。それではお二人共、心の準備は宜しいですね?」
トレーに向けてパチンと指を鳴らし、勢いよくハンカチを取り去る。と、そこにはホットミルクが並々と注がれたティーカップが1つと、変わらず空のままのティーカップが1つ置かれていた。カップから立ち上る湯気がそれが暖められたばかりのものであることを示している。
「おっと、失礼。どうやら一方にしか入っていないようですね。お二人への御礼だと言うのに、これではあんまりですね。どうかもう暫しお待ちを」
空であることも当然予定通りではあるのだが、あたかもそれがこちら側の失敗であるかのように驚いて見せると、ティーポットへと手を伸ばす。そうして先ほどまでは空であったはずのポットから、未だ空のままであるカップへとホットミルクを注いでみせる。そうして出揃ったホットミルクが注がれた2つのティーカップを、朝日奈と大神の前にそれぞれ恭しく差し出す。
「悪夢などに悩まされることもなく今夜はお二人がぐっすりと眠れるように、安眠作用のあるホットミルクを用意させて頂きました。特別なものではありませんが、これが私からの御礼です。どうぞお受け取り下さい」
最後にもう一度、始めと同じように綺麗にお辞儀をしてみせる。それで終わり。視線を上げてみれば、ぽかんとした顔でこちらを見ている朝日奈と目を見開いて驚きを顕わにしている大神が目に入った。自分では悪くない手応えだったと思って居るんだが、結果は上々ってことで良いんだろうか。あまりにも二人からの反応がないから流石に俺も少し不安になる。自分では出来たと思っていても人から見れば大したことがないということも有り得る。奇術というのは魅せる側の独り善がりで成立するものではないから。
「あの、さ……どうだった?」
「え、あ、ごめん。びっくりしちゃって。凄いよ、ほんと魔法みたいだった!」
「流石は超高校級の奇術師、ということか……」
「楽しんで、貰えたか?」
「もちろん! まだ心臓がどきどきしてるよ!」
「我も久方振りにこういうものを楽しませてもらった」
「……良かった、二人に楽しんで貰えたみたいで。なんも反応ないからひやひやしたよ」
「感動して声も出なかったんだよ! あと、いきなり喋り方まで変わるから、それにもびっくりしたかな」
「あれは一応ステージ用。マジックってさ、技術も大事だけど、それと同じくらい話術も大事なんだよ。だから、スイッチっていうかそういう切り替えをしてるわけ」
「ならば、その髪も切り替えの一つということか?」
大神が言っているのは前髪のことだろう。普段の俺は前髪をカチューシャで上げて、所謂でこ出しをしている。それに対して、ショーをする時の俺はそれを外して前髪を下ろしているからだ。彼女の指摘通り、それも俺の切り替えの一つではある。それとは別に俺はショーに立つ時はもう一つ外見に手を加えることにしていた。それは切り替えのためではなくて、もっと別の理由から――そうしなくてはいけないから――していることだ。基本的に雑誌などにおける露出なんかもショーをする時の外見でしていたから、朝日奈が言っていた『こっちの方が見覚えがあるような』というのは、恐らくそちらの姿を見慣れていたから、普段の俺の姿よりも馴染みがあったのだろう。ステージに立っていない俺は、どこにでも居る高校生に過ぎないから、俺が誰であるかなんて一目で分かるわけがない。そういう風にしてきた。
「そういうこと。そうだ、ミルク冷めない内に飲んでくれよ」
「安眠作用、があるんだっけ?」
「なんかホットミルクに含まれてる成分にそういう効果があるらしいよ、俺も良く知らないけど。まぁ、今の状況にはぴったりかなって思ってさ」
「うんうん。ホットミルクはドーナツにも合うしね!」
「今から食べるのか、ドーナツ?」
「朝日奈よ、我も今から食べるのは賢明ではないと思うぞ。どうしてもと言うのならば止めはしないがな」
「えーさくらちゃんまでー。まぁ、どっちにしろ冷蔵庫にドーナツは無かったし、ここでは食べれないのかな。がっくし」
そんな朝日奈の落ち込みっぷりを見ていたら、家では市販のものが買えないからと一時期奮起してお菓子作りに励んでいたことがあるから、材料さえあればドーナツくらいならば作れるということをよっぽど教えてやろうかと思ったが、今それを告げればこの場で作ってくれと言われかねないのでまた後日、日を改めて言おうと思った。食堂の時計はそろそろ10時を示そうとしている。夜時間になってしまえば食堂は立ち入り禁止だ。そんな短時間でさくさくと作れるほど、俺の手際は良くないという自覚があったからだ。口を膨らませつつもカップに口を寄せる朝日奈を見ながら、俺も空いたカップにポットからホットミルクを注ぐ。
心の芯から温まっていくような、そんな感覚を味わいながら、今日は俺もぐっすり眠れそうな気がした。
2013/07/02