迷いなく打ち込める遊戯
セレスティア・ルーデンベルクという名前は本名ではない。というのは口に出さずとも、皆が考えていることだろう。しかしそのことを指摘しようものならば、彼女から何を言われるか分かったものではない。そんな了解が暗黙の内に形成され、気付けば誰一人としてそのことに触れようとはしなくなっていた。石丸や苗木なんかは未だにかなり気にしているようではあるが、俺はと言えば最初からそこまで気にしていなかった。本名を言いたくないというのであれば、それなりの事情があるのだろうし、興味半分で探ることではない。俺だってされたくはない。そう、自分に探られたくないことがある人間は他人を探ることもしない、探られて困るのはお互い様なのだから。俺が彼女の本名について触れようとは思わないのは、つまりはそういうことだった。ただ、それ以外のとある点において俺と彼女は互いに機会を伺っていた。その機会が巡ってきたのは、この閉鎖された空間での生活が10日目を経過した頃だった。
「
君、ちょっとよろしいでしょうか?」
「ん、あぁ、丁度暇を持て余してたところだし良いけど。何か用かな、ルーデンベルク」
「セレスでかまいませんと言ってますのに、
君はいつまでもわたくしのことをそう呼ぶのですね」
「別に深い意図があるわけじゃなんだけど、まぁそんなに親しくもない女子のことを愛称で呼ぶのはどうかなって思っちゃうんだよな」
「あら、では
君はわたくしと親しくするつもりはないということでしょうか。残念ですわ」
「いやいやそうじゃなくてだな。あー……つまりさ、苗字は家族のものだけど名前は個人のものだろう? それを呼ぶってのはやっぱり特別なことだと思うんだよ。だから大事にしたいっていうか何ていうか」
「分かってますわ、あなたが名前で呼ぶのは恋人になった方だけということでしょう。あまりにも
君が初心なので少しからかってみただけです」
「……良い性格してるよな、本当に。ていうか言葉にしてはっきり言われると物凄く恥ずかしなこれ」
「よろしいのではありませんか。そういう一途な考え方も、わたくしは嫌いではありませんわ」
嫌いではないが自分とは相容れない。そうルーデンベルクは言っているような気がした。感情が表に出ないからこそ考えを読み取れない霧切と違って、ルーデンベルクはその顔に笑顔を浮かべているものの、正に『貼り付けた』ような笑顔であるが故に何も読み取れない。それは今も同じであり、確かに笑顔ではあるが貼り付けたその下にはどんな表情があるのかは分からない。ゴシックロリータと言っただろうか、服装に合わせたメイクも相俟って彼女はまるで西洋人形のようだった。しかし時折ではあるが山田相手に覗かせる一面を思えば、今の彼女は恐らく演じているだけなのだろう。その名前に、服に、肩書きに相応しいと思える人間を。それでも完璧には成り切れていないことを思えば、彼女は変身願望を持ち理想の自分を目指す普通の女の子と言っても過言ではない気がする。だって、好物は餃子だって普通に言ってるし。
「あーもうこの話はやめやめ。で、一体何の用なんだよ」
「そうですわね、
君の初恋の話はまた今度じっくり聞くとして」
「ないからな?」
「……わたくしは時間を持て余していたのです。娯楽室が使えるようになったとは言え、ここでは張り合いのある相手も居ませんから。そこで、あなたです」
「何となく察しはついてるけど、なんで俺?」
「あなたはいつもトランプを持っていますから」
「まぁ一応商売道具みたいなもんだし、弄ってると落ち着くからな」
「ですから、カードゲームでしたらそこそこの腕前を持っているのではないかと思ったのです。今からわたくしとギャンブルをしましょう」
彼女の顔を見ればそれがもう決定事項であって俺に拒否権などは存在していないということは明らかだった。今ここで溜息など吐こうものならば、それをネタにまたルーデンベルクからかわれることになるだろう。そう思って俺はぐっと我慢する。最初に彼女に声を掛けられた時点でこうなることは避けようがなかったのだ、そう思って割り切ることにした。彼女だって、まさか同級生から金を巻き上げるような真似はしないはずだ。賭け事をしたいというよりも、純粋にゲームをする相手を求めていたのだろう。
確かに、この空間に居る人間の中で彼女の好むようなゲームに付き合えそうな相手は数人しか居ない。ルーレットなんかは分からないけど、カードゲームであれば俺も一通りは分かっているつもりではいる。その中で最も声を話に乗ってきそうだった、というのも彼女が俺に声を掛けた理由の一つなのだろう。とは言っても、俺は一通り嗜んでいるという程度であって、到底彼女のような人間の相手を出来るレベルにあるとは思わない。その点について、物足りない思いをする可能性があることを彼女は分かっているのだろうか。
「やるのはいいけどさ、俺とやっても大して楽しめないんじゃないのか?」
「そうですわね、このままではわたくしが圧倒的に有利です。あっさり勝ってしまってはせっかくの時間潰しも意味がありませんし……
君にはハンデを差し上げますわ」
「そうして貰えると有り難いな。で、ハンデって具体的には?」
「貴方の才能を有効活用して下さい。存分にその『超高校級の奇術師』としての力を発揮して頂いてかまいませんわ」
「それはつまり……イカサマオーケーってこと?」
「えぇ。ただし、一つだけ条件があります。決してわたくしに気付かれないようになさってください。貴方のイカサマをわたくしが見破った時点で貴方の負けになりますので」
「ハンデっていう割りには随分と重い条件付けてくるんだな」
「その程度のこと、貴方には造作もないことだと思っているからこそですわ」
「随分と買い被ってくれてるみたいだけど、ステージでやるのとその道のプロ相手に気付かれないようにやるのでは大違いだっての」
「では、やめておきますか」
「まさか。俺は敵前逃亡はしない主義なんでね」
奇術によるイカサマ。俺に言われたから提示したルールではない、ルーデンベルクは最初から考えていたのだろう。それは、俺も同じだった。ギャンブラーと奇術師、方向性は違えども両者共にカードの絵柄を意のままに操るという点では共通している。彼女が知略と運でそれを引き寄せるのに対して、俺は技術でそれを行う。ならば、両者がぶつかった時により勝るのはどちらなのか。気にならないと言えば嘘だった。周囲が囃し立てるようにこの才能が超一流のものであるという実感はないが、それでも努力を重ねて技術を磨いてきたという自負はある。観客というある意味では俺の魅せる物を望んで見に来ているような人達ではない相手を前にした時に俺の技術はどこまで通用するのか、ずっと試してみたいという気持ちがあった。
ルーデンベルクは俺のそんな考えを見抜いた上で、この提案をしてきたのだろう。ゲームをより一層面白いものとするために、全ては自分自身の暇潰しのために。俺としても今回ばかりは利用されてやっても良い、こんな機会がこれから先にまた巡ってくるとは限らないのだから。それに、何かに打ち込んでいればその間だけは忘れることが出来る。舞園、桑田、不二咲、大和田……そして、この学園生活のことも。
「お受けしてくださるということですね。良かったですわ、
君に声を掛けて」
「良く言うよ。それで肝心のゲーム内容は決まってるのか?」
「本来であればブラックジャックが良かったのですが、
君が『やり易いように』ホールデムにしましょう」
「お気遣いどうも。あ、でもホールデムだとディーラー役が要るんじゃないのか?」
「心配いりませんわ。山田君を呼んでおきましたから」
彼女が示した方を見ると、娯楽室の入り口から覗くようにして山田が立っていた。最初からずっとそこに立っていたのだとしたら気付かなかったはずはないので、恐らくここに来る前に彼女が声を掛け、後から到着したのだろう。どう見てもルーデンベルクに体良く使われているようにしか見えないが、本人がそこまで抵抗をしていないのならば敢えて口を出すことでもないのかもしれない。見ようによっては、ルーデンベルクも山田には気を許しているとも取れ……いや、それは流石に拡大解釈し過ぎか。気が進まないという内心が反映されているようなのそのそとした足取りで部屋の中へと入ってきた山田は、ビリヤード台を挟んで俺達と向き合うことになる位置で止まった。
「全くどうして僕がこんなことに巻き込まれているのやら。それもこれも
殿のせいですぞ!」
「いや、どう考えてもそれは俺のせいじゃないと思う」
「山田君も来たことですし、そろそろ始めましょうか。カードは倉庫から持ってきましたこちらの未開封のものを使うということでよろしいですわね?」
「俺が持ち歩いてるものを使うわけにもいかないだろうからな、異論はないよ」
「それでは山田君、お願いしますわ。勿論ルールは覚えてきてくださってますわよね?」
「えーと、それは一応目は通してきましたが、完全に覚えられているかと言われると少々不安があるようなないような感じでして……」
「はぁ!? 完璧に覚えてこいって言っただろう、クソボケがッ!!」
「ひぃっ! そうは言ってもTCGならばともかくとしてもトランプを使ったカードゲームなんてものは専門外で、僕は基本的にテレビゲームしか……」
「わたくしが聞きたいのは言い訳でも謝罪でもねぇんですわよぉ!!」
「まぁ基本はカード配るだけだし、何とかなるんじゃないのか?」
「出来るだけで本格的な形式でやりたかったのですが……仕方がありませんわね」
何とか鉾を収めてくれたルーデンベルクから視線を山田へと戻すと、何やら拝まれていたがそれに対しては適当に手を振って応えておいた。それよりもまたルーデンベルクの機嫌を損ねる前にカードを配る方が先決だろう。そんな俺のアイコンタクトを読み取ったのか、山田は神妙な顔をして頷いてみせるとカードの封を切ってシャッフルを始める。TCGとやらをしているからかは知らないが、山田のカードの扱い方自体は悪くない物だった。カードを無闇に傷付けないようにという配慮が感じられる手捌きだ。そうしてシャッフルが終わる頃には、俺とルーデンベルクも備え付けのコインをそれぞれの前に積み上げて準備は十分過ぎるほどに整っていた。
「それでは
君、よろしいでしょうが?」
「あぁ、いつでも始めてもらって構わない」
「ふふ、それではゲームスタートですわ。どうかわたくしが退屈しないよう、お願い致しますわね」
「期待に添えるよう、頑張るよ」
+++
結果がどうなったか言ってしまうと、俺とルーデンベルクの勝負は付かなかった。ゲームが一巡、二巡、三巡と続いたが、どちらのコインも尽きなかったのだ。ヒット、ステイ、レイズ、ダブルダウン、相手の表情を窺いながら積み重ねたチップは消え去るのも早い。三度目のゲームが終了したところで、俺の方から終了を申し入れると意外にもルーデンベルクは快諾してくれた。
「わたくしはまだ続けられますが、
君の集中力がそろそろ限界でしょうから」
「全く以ってその通りで言い訳のしようもない。次やったら多分バレるからな、できたらそれは避けたい」
「構いませんわ、集中力の落ちた貴方と競ってもつまらないですもの。正直、これでもとても驚いているんですのよ」
「ギャンブルの素人である俺に勝てなかったことにか?」
「それもありますが、このわたくしにイカサマも一度として悟らせなかったことにです。これまでわたくしは様々な賭場に参加してきました。当然、様々な手でイカサマを行う者も見てきました。これでも見抜ける自信がありましたのに」
「こっちとしては種も仕掛けもないのを売りにしてるんで、見抜かれた時点で商売上がったりなんでね。いつも以上に慎重にやってたわけだけど、それだけの目を持つルーデンベルクにそう言ってもらえると俺としては嬉しい限りだな」
「あら、調子に乗せてしまいましたかしら?」
「またルーデンベルクから声を掛けてくれたら誘いに乗ってもいいかなと思うくらいには」
「それはそれは。では機会がありましたら、またお声かけさせて頂きますわね」
にっこりと綺麗に笑顔を浮かべたルーデンベルクの真意は読めない。次こそはと思っているのか、次はないと思っているのか。どちらかというと前者の可能性が高そうに思えた。ルーデンベルクは自分の領域でやられっぱなしのまま引き下がるタイプではないだろう。暇潰しとちょっとした腕試しのつもりが、何やら面倒なフラグを立ててしまったような気がする。まぁそれでも、こうしてルーデンベルクに顎で使われている山田よりはずっとマシだろう。娯楽室を出る前に振り返った室内で、先ほどまでのカード捌きに関することでまた山田がルーデンベルクに虐げられている様子を見ていると俺は心の底からそう思った。二人の関係について部外者である俺が口を挟むべきではない、そうに違いない。自分に言い聞かせるように薄情とも取れる決断をすると、俺はそのまま部屋の扉を閉めて寮への帰路に着いた。
2016/07/31