カウントダウンは知らぬ間に

take1 - side she


「拒んでもいいよー」

 壁と自身の体の間に私を閉じ込めるような体勢で、彼はそう言った。にこにこと感情の読めない顔を見返したところでやはり何も分からないが、ひどく珍しいことに彼曰く『余計な一言』とやらがそこにはないように見える。思っているよりも高いところにある肩を軽く押す振りをすると抵抗なく離れていくことから、選択権を与えてくれているのは嘘ではないらしい。

 彼はうちの会社で売り出し中のアイドルであるとか、未成年であるとか、私がつらつらと重ねそうな言い訳はきっとお見通しなのだろう。そしてそれらの言い訳は大人になると簡単に無視できないものを意味していることも、きちんと分かっている。だから、どうせ私が決めきれないことも知っていて逃げ道を用意している。ずるい大人であるところの私がどうするかなんて分かりきっているから、決定的な拒絶だけは必ず回避できる、ずるいやり方だった。

 薄いように見えてそれなりにしっかりとした厚みのある肩を掴んで押せば、最初と同じように、けれども今度こそあっさりと完全に離れていった。圧迫感からの解放感に思わず上を仰ぎ見れば、彼お得意のにまっとした顔と目が合う。高身長の二人に囲まれているため何となく低いイメージがあるが、並び立ってみれば男性としては平均的な身長を有しておりそれなりに高いということを毎回と言っていいほどに実感する。だからどう、ということではないが平均的な成人女性の身長である身としては、見下ろされている感覚をいつも味わう羽目になる。何も言えない、何も決められない、何も返せない。だんまりを貫く私に当然のように手を差し伸べながら

「それじゃあ帰ろっかー」

と彼は言う。向けられている手の横をすり抜けるようにして歩き出すと、長い足でするりと横に並び立ってくる。甘んじてそれを受け入れてしまっている時点で私の中の葛藤など見せかけに等しく、答えは出ているのかもしれない。それでも時間をくれるというのだから進んだ先のゴールは同じだとしても、もうしばらくは用意された逃げ道を進んでいたいと思う。



take2 - side he


「想楽くんには、私の気持ちは分からないよ」

 二度目、壁との間に閉じ込めた彼女から零れ落ちる言葉を聞いた。そんなことないよ、と直ぐに言えなかったのは共感を求めているわけではなさそうだったことに加えて、確かに自分には分からないだろうなと思ったからだった。

 芸事で、心のままに、身を立てん。偽りなく自分らしく生きていくために、アイドルという道を選択した。なりたい職業、やりたい仕事があったのならば恐らく違う道もあったのだろうと思う。けれども何もなかったから、今のままの自分で居たいと思ったから、選んだ。同じユニットのメンバーは二人とも自分とは一回り近く歳が離れているが、年長者だから、年少者だから、といったお仕着せはない。事務所にも所謂『先輩アイドル』という人達は居るが、年季の違いを感じることはあってもそれ以外の序列を感じることはない。一般的な会社で云うところの上下関係というものはこと315プロダクションにおいては無縁と言ってもよかった。だからこそ選んだわけであるし、それゆえに分からない。彼女は大学で資格を取って就職活動をしたが上手くいかず、縁あってこの事務所に来たと聞いた。兄と同様、典型的な『社会人』であるところの彼女の気持ちを推察することはできても、そこから先は未知の領域だ。考えることと識っていることは同じではない。ましてや当たり前に待ち構えていたそれらを回避するために奇策を講じた自分の紡ぐ言葉では、空回りするのは自明の理だった。

 アイドルは夢を売る仕事。真っ当な『社会人』であるところの彼女が、自分の事務所のアイドルとの色恋沙汰に二つ返事をするわけもない。加えて僕は未成年。彼女が拒むだけの理由は揃っていた。彼女の気持ちは分からないけれど、彼女がそうしたことに悩む人であることは僕にも分かる。ここで悩まずに首肯くような人であれば、そもそも惹かれることもなかった。僕が思いを伝えると、彼女は狼狽して、煩悶して、葛藤する。その姿があまりにもいじらしくて、逃げ道を用意してあげることにした。

「でも、君に気持ちは偽れない。心にもないことは言えない。」

愚か者だと、人は言うかもしれない。それでもどこまでも真摯に、彼女は全てと向き合う。だから今は思うままに揺れ惑えばいい。最後にはこの手を取ってくれるのならば、待っていてあげるから。



take3 - side she


「いつまでも あると思うな 猶予期間」

 三度目ともなると、不意打ちのように壁との間に閉じ込められることにも多少は慣れてきた。こちらの立場を気遣ってか彼は実によく場を弁えており、第三者の目に触れるような状況では当たり障りのない振る舞いをする。だから、二人っきりという状況が訪れると必然的に体と心が身構えるようになっていた。そうは言っても至近距離に迫られれば思考力は奪われてしまうため、これまでと同じように肩を掴んで離そうとした。が、押したはずの肩がびくともしない。少し力を込めて何度か押してみるが、結果は変わらず。違和感を覚えるには既に遅すぎたのだろう、肩に添えている手首を掴まれたと思った時には指を絡め捕られていた。体と同じように壁に押し付けられた手は、もちろん自由に動かすことは叶わない。恐る恐る視線を引き上げると、にこにこと素敵な笑顔を浮かべる彼がそこには居た。向けられた言葉の意味が、よく分からない。いや、分かりたくない。

「ま、待ってくれるんじゃなかったの?」
「待つ、と言った覚えはないかなー」
「私も聴いた覚えはないけど、そういう流れだったよね?」
「もう三回目だよー。僕の思いが込もった三回分、見積もりはかなり低めなんだねー」
「そんなわけないって分かってるでしょ」
「秘めたるは 色にしてこそ 伝わらん。言葉にしてもらわないと分からないこともあるよー。いつまで待ってたら答えは出るのかなー?」
「うっ、それは……」

痛いところを突かれた。確かに、待っててくれる、というのはこちらの勝手な思い上がりに過ぎない。彼はきちんと思いを伝えてくれているのに、それに対して「はい」とも「いいえ」とも言わずに私はのらりくらりと逃げている。それを許してくれていると思っていた。待っててくれるのだからもう少しだけ悩んでいてもいいはずだと、結論を出さずとも私は彼を思い、彼に思われている。であればこのままでもいいのではないかと、そんな風にさえ考え始めていた。ともすれば猶予期間、という彼の言葉は二つの意味に取れる。今の体勢からつい強引な展開を考えてしまいがちだが、これを最後に彼の気持ちが離れていくという意味である可能性も十分にある。そんなことを考えていると、意識を引き戻すかのように絡められた指に力が込められた。

「あなたのことだからきっと余計なことを考えてるんだと思うけど、裏も表もないからねー」
「ほんとに?」
「ほんとだよー。どんなことでも真剣に向き合うのは良いところだけど、考えすぎは体に毒だからねー。時かさね おもい巡れど 出口なし」
「嫌味にしか聞こえない」
「事実を言ったまでだよー。大事だからどちらも切り捨てられないって考えてみると贅沢なことだよねー」
「なら仕事……選んでもいいの?」
「それは困るかなー。どっちも大事でいいんじゃない、それがあなたの選択なら僕は受け入れるつもりでいるよー」

こちらからの問いかけに対して彼の言葉はいつもよりも僅かに食い気味に返ってきた。そこにほんの少し焦りが見えたのは、都合のよい言葉が聞こえるのは、気のせいではないと思いたい。315プロダクションと北村想楽という個人。そのどちらも私が持つには勿体ないくらいに価値があり、だからこそこの小さな手ではどちらもを抱えようとしたらきっといつかは溢れ落ちてしまう。己の器を弁えているからこそ、一人ではどちらもという選択は選べないものであった。けれども、例え私がこの手から溢してしまいそうになっても繋いだ手を離してはくれないであろうそんな彼とならば、こんな私でもどちらも選べるのかもしれない。と、一向に解いて貰えない重ねた手から伝わる温もりを感じながら思ってしまった。

「途中で逃げ出すかもしれなくても?」
「それができる人なら最初から悩んでないと思うけどなー」
「想楽くんは私のことを買い被りすぎてるよ」
「仮にそうだったとして、手遅れじゃないかなー」

膝を割って身長に相応しい長い足をぐっと間に差し込まれる。今日は膝丈くらいのフレアスカートを履いていた気がするので、そんなことをされれば裾は上へ上へと進んでいくわけで。あまり宜しくはない、状況的にも、視覚的にも。ますます体は壁に追い込まれ、男女の力の差を考えれば物理的にどうにかすることはもはや不可能だった。

「さすがに、この状況は、いかがなものかと」
「自分でも気付いてなかったけど、僕って意外と堪え性がないみたいなんだよねー」
「それと今の状況にどんな関係が」
「悩んでる様子を見ているのも悪くなかったから、待っているつもりだったんだけどー。いずれ手に入ると分かっていても目の前でお預けされているものがあったら欲しくなるよねー?」
「とりあえずその綺麗な顔を無闇に近付けるのを止めて下さると大変嬉しいんですが」
「んー?この状況でもまだ崩れないのは年上の余裕ってやつなのかなー」

唯一自由になる顔を目一杯に背けながらの発言は、相手に更に距離を詰めさせるという自分を追い込む結果にしかならなかった。耳元に自分のものではない息遣いを感じる。直に吹き込まれる声が思考をするだけのリソースをじわじわと、けれども確実に奪っていく。器の小ささ故に決めきれない私に対して”ここ”が落とし所なのだと、あらゆる状況がそう告げていた。逆に”ここ”を逃してしまえば、それこそ求める答えは永遠に手の届かないものとなるであろうということも。

「年の差、気にしてる?」
「それを今ここで聞くー?」
「私はあと一年したら気にならなくなるよ」
「……ほんと、そういうところが……まぁいいや、僕は良かったと思うよー。だって『若さ故の過ち』って言い訳が使えるからねー」

何かいつもより饒舌だな、彼でも緊張するのかなと浮かんだ思考が形になる前に、もういいよね。と、告げる赤い瞳に全てが飲み込まれた。

2018/05/12