与えられた特権

恭介の思い付きはいつも唐突であり、その提案だけでも周囲を驚かせる。それでも、ただ驚かせるだけではなく、流された結果であったとしても周囲もそれを楽しいと思えるようになれるのは彼の手腕によるものなのだろう。その要因の一つが、入念とも言える事前の準備にある。考えてみればあれだけのことをやってのけるためにどれほどの準備が必要とされるかなど、容易に想像が付くことであった。それは本来であれば到底一人で成し得るようなものではない。盛大な企画の裏で皆を楽しませるために彼がどれだけ骨を砕いてきたか、全てではないにしても知ってしまえばそれはにとって看過出来るものではなかった。けれども、彼女が何と言おうとも恭介が彼女に助力を請うことはほとんどなかった。仕掛ける側に回ってしまえば企画そのものを楽しむことは出来なくなるから、にも参加する側として楽しんで貰いたいから。そうした恭介の気遣いが背景にあることは彼女も理解しているが、だからといって引き下がれるものでもなかった。恭介がにも参加して貰いたいと思うような企画は当然大掛かりなものであり、それ相応の準備が必要である。しかしからしてみればそれらの準備を恭介が一人に任せて自分は楽しむ側に回るなど、到底甘受出来るようなことではなかった。互いの要望が相手のものに相反するからこそ、この問題についてはこれまでずっと平行線の一途を辿っていた。故に、この状況は『ここ』で恐らく唯一と言って良いほどに好転したことであると言えるのではないかとは考えていた。

寮長への用事を終えたに対して恭介が告げた今夜の手伝いとは、仕掛けの準備に他ならない。夕焼けによって橙色に染められた校舎の中を歩きながら、『ここ』もそう悪いことばかりではないのかもしれないなんて、あってはならない考えがの頭を過ぎる。こうした状況であるとは言え、これまでは叶わなかった恭介の手伝いが出来るということが彼女にとってはそれだけ価値のあることだった。つまり、それほどまでにこれまでの恭介は頑なだったということだ。

「なんか今笑ってなかったか?」

不意に彼女の前を歩いていた恭介が立ち止まり、振り返る。考え事をしていたからかはたまた西日が眩しかったからか、はそれに反応出来ずに危うく恭介のぶつかりかけた。直前で踏み止まったことで衝突は免れたものの、気付けば二人の距離は随分と縮まっていた。手を伸ばさずとも触れることの出来る距離。変わらない日常、変わらない関係、変わらない距離。物理的なものならば幾らでも縮めることは出来るが、所詮それだけだった。つい先ほども自分に言い聞かせていたばかりだというのに、こうも容易く揺らいでいることに気付いた彼女は視線をつと胸元に落とす。至近距離から向けられる彼の視線から逃れるためでもあったが、そこに結ばれたネクタイを見ることで先ほどの自戒を再度促すという意味合いの方が強かっただろう。自分が何を選んで何を切り捨てたのか、それを自分自身に問いかけることで確認したところで、は視線を上げた。その表情は既に何事もなかったかのように、いつも通りのものへと戻っている。

「まさかこうして君の手伝いをさせて貰える日が来るとは思っていなかったからね」
「そりゃまぁこんな状況でもなければ、な。言っておくが、今だって俺からすれば不本意極まりない状況なんだぜ?」
「私としては念願叶って、といった感じかな」
「別にお前が思っているほど大変でもないんだけどな」

片手にぶら下げた袋の中身を見ながら肩を竦めた恭介に対して、は呆れたように溜息を吐く。大変かどうかなんてものを決めるのは個人の主観であり、この場合は恭介個人の感覚によるものだ。これまでもずっと一人でやってきた恭介の感覚は既にかなり一般とは離れたところにある。からしれみれば、その仕事量は十分に大したものであると言えた。誰からも見えないところで、誰からも気付かれないところで、一人で全部背負い込んでいるのは何もこうしたことに限ったことではないのだろう。彼のために彼女が出来ることは何一つないというのは『ここ』でも変わらない、ならばこそ多少であれ彼を手伝うことが出来る今は彼女にとって意味のある時間だった。

いつまでもこうして立ち止まっているわけにはいかない。準備は未だ残っているのだから、このままでは夕食の時間に間に合わなくなるだろう。ごちゃごちゃとした考えを振り切るようには恭介の横を通り過ぎて次の目的地へと歩を進める。行く先は既に知っているからか、その足取りに迷いはなかった。

「それで、その大変でない仕事とやらの残りはどうなってる?」
「あとは俺の教室に最後の仕掛けして、とりあえずのところは終わりだな」
「『とりあえず』と言うことは、またやらないといけないわけか。あれを」
「そんなに嫌そうな顔すんなって、単に仕掛けを確認して回るだけだろ?」
「直前に最終確認をする必要があるというのは分かってはいるさ」
「分かってはいるけど嫌、なんだろ」

恭介の言葉には答えなかった。今回の企画、納涼大会こと肝試しは夜にやってこそ意味のあるものである。だからこうして夜に備えて夕方から予め準備をして回っているわけだが、準備から実行まで間が空いているからこそ誰かに見付かって悪戯として片付けられる可能性も十分にある。全ての仕掛けがきちんと作動しなければイベントとしては成り立たなくなってしまうことから、実行の直前に最終確認を行うのは企画者としては当然のことだった。直前となれば、それは深夜に程近い夜も更けた時間である。恭介の手伝いをさせて貰えるのは有り難いが、そんな彼女にとってもこればかりはそう簡単には受け入れ難いことだった。言ってしまえば何の事は無い、は彼の妹である鈴と同じように怪談の類が苦手だった。

「実際に肝試しをやるわけでもなし、仕掛けは夕方の内に自分が仕掛けたもの。これの何処に怖がる要素があるんだよ?」
「だから何度も言っているだろう、怖いとかではなくて生理的に受け付けないというだけだ」
「分かりきってるものを毎回怖がれるのはある意味凄いと思うけどな」
「物がどうこうというわけではなくて、場が良くないと言っているんだよ」
「つまり、夜の学校というシチュエーションが怖いと」
「……恭介。毎度思うんだが、君はこの状況を楽しんでるだろう?」
「そりゃもちろん」
「数分前に君の口から『不本意極まりない状況』という言葉を聞いた気がしたんだが?」
「それとこれとは別だ」

こんな状況ではあっても出来ることならば全員に楽しんで貰いたいと恭介は考えていた。真人や謙吾は彼のそうした意図を汲んで動いている。だから、を参加する側ではなく仕掛ける側に回すことに関して恭介が『不本意極まりない』と思っているのは事実なのだろう。その一方で、やろうと思えばを巻き込まずとも出来るにも関わらず、恭介は自分から彼女に助力を請うている。それもまた恭介の真意には違いなかった。珍しくも意外なの弱点を弄れる機会などそうあるものではないのだから、その機会をみすみす見逃すわけもない。手伝いをすると言っているからには、最終確認として夜の学校を回ることを彼女が断れないのは明らかだった。そしてそうなることが分かっていても、彼女が手伝いを拒むことがないということも。

「随分と勝手な言い分だな」
「仕掛ける側に回ることで肝試しに参加せずに済んでるんだから、感謝こそされても批難される謂れはないと思ってるんだがな」
「それについては感謝しているさ。皆の前で醜態を晒さずに済んでいるわけだからね」
「醜態って……そんなでもないと思うぜ?」
「当人じゃないから恭介はそんな風に言えるんだよ」
「まぁ感じ方は人それぞれだからな。俺からしてみれば、ああいう時のお前はかわいいと感じるわけだし」
「っ…………かわいいわけ、ないだろう」

顔を覆ってその場にしゃがみ込んでしまいたい衝動を抑えながら、は必死に言葉を絞り出していた。何の気なしにするりと出てきたその言葉が、彼女にどれほどの衝撃を与えたか彼は知らない。恐らく恭介にしてみれば妹である鈴に対して掛ける言葉と同程度の意味しかないのだろう。がそれに蓋をしているように、恭介もまたそれを語ろうとはしない。こうなった瞬間から、いや、もしかしたらもっとずっと前から、『それには触れない』と言葉にせずとも両者共に理解していたことだった。だから、彼にとってこの発言は何ら深い意図を持たないものであると彼女も分かっている。それでも顔の熱はまだ暫くは引いてくれそうはなかったから、彼よりも先を歩いていたことに彼女は感謝する。少なくとも、振り向いて直ぐに顔を見られてしまうようなことはないから。そんな彼女の様子を知ってか知らずか、「そういえば」と恭介は声を掛けるのだった。

「ずっと不思議だったんだ。は非科学的なものとか認めてないよな?」
「……基本的にはね」
「ならどうして幽霊だけ駄目なんだ?」
「だから幽霊が怖いとかじゃなくて……はぁ、もういい。原因というならば、多分あの人のせいだろうね」
「お前のお兄さんか」
「私が住んでいたところもそれなりだったけれど、本家の方はもっと古くてね。向こうに行く度に、「さっきそこに人が立っていた」「昨夜の物音はあれが原因だ」とかあることないこと吹き込んできたんだよ」

古い日本家屋であれば人が歩いておらずとも多少の物音がすることはある。ただ、幼い時分のにはそれが分からなかった。滅多に会えず、そのため会話をする時間も取れないような歳の離れた兄から聞かされることは、全て本当のことであると彼女は信じ込んでしまっていたのだ。ましてや会う度にそんなことを聞かされていては恐怖心が刷り込まれてしまうのも無理はない。成長してそんなものは存在しないのだと頭では理解出来るようになってはいても、人の気配のない暗がりを見ると兄から聞かされた話が思い浮かんできてしまうのだった。からしてみれば実に迷惑な話だった。

「本当に、あの人は碌なことをしない」
「そう言ってやるなよ。俺は感謝してるぜ? こうしての意外な一面が見れてるわけだからな」
「私は誰にも見られたくなかった」
「なら、今回は一緒に最終確認するのやめておくか?」
「まさか。引き受けたからには最後まで全うするよ」

恭介の予想していた通り、は手伝いを途中で投げ出すような真似をしようとはしなかった。無理をして最終確認に付き合わずとも仕掛けの内容を知っているのだから、参加側に回るようなことはないということが分からないわけではないだろう。それでも彼女にしてみれば自分から望んだことであるのだから、どんな事情があるにせよそれを途中で放棄するようなことは有り得ないのだろう。だから今夜もまた、自身を奮い立たせながらは夜の校舎を歩くのだろう。鈴とは状況の違う彼女がそこまで無理をする必要もないのだが、顔にはどんな感情も出さないように努めながらも片手では袖をしっかりと掴んでくる彼女を前にして、恭介も敢えて強く言ってはこなかった。少なからず、そんな彼女の様子を見ていたいという気持ちがあったからかもしれない。

「恭介、今笑わなかったか?」

先ほどとは逆転して、前を行っていたが立ち止まり恭介を振り返る。西日も既に随分と傾き、校舎は橙色から藍色へと染まりつつあった。生徒の少なくなった校舎の廊下は既に電気が消されており、近くに居るにも関わらず互いの顔は既にはっきりとは見えなくなっている。それがにとっては幸いした。

「怖がりながらもそれを押し殺して健気に付き合ってくれるであろうこの後のお前のことを考えてたんだよ」
「趣味が悪い」
「なんでだよ。かわいいんだから良いだろ」
「尚更悪い」
「俺としては褒めてるつもりなんだが。まぁ参加側に回って他の連中に知られるのもなんか悔しいから、まだ当分はこっち側に居て貰うけどな」
「……本当に、君は性質が悪いな」

言葉に詰まった彼女の顔が真っ赤になりながらも緩んでいたことを彼は知らない。

彼女の意外な一面を見るのは、まだ暫くは彼の特権。

    (2013.08.05) back