優しい人が哀しまないように
運動部主将を集めたキャプテンチームに圧倒的点差を付け、リトルバスターズの初試合は勝利の内に幕を閉じた。
目標としていた試合が終わり、次の試合の日程は未定。
そうした理由から最近の日課となっていた放課後の練習の回数は減り、理樹は時間を持て余していた。
声を掛ければリトルバスターズのメンバーは集まってくれるはずだ。久々に皆で何かをやりたい。
その考えに思い至ると同時に、理樹は恭介を探しに行くことを決めていた。
恭介なら、きっとまた何か面白いことを考えてくれる、そう思ったからだ。
廊下に出ると、疎らになった生徒の姿が目に付く。
思ったより教室で考えに耽っていたらしい。もしかしたら恭介も彼の教室には居ないかもしれない。
放課後になってからそれなりの時間が経っていたことが分かり足を止めるも、それなら他の場所を探せば良いだけだと思い直した理樹は、一先ず三年の教室へと向かった。いつも恭介の方からやって来ることが多いため、理樹から彼の教室へ行くことは少ない。
加えて上級生の教室であることが僅かに其処へ踏み込むことを躊躇させた。
開放された扉から中を伺うと、夕日に照らされた窓際の席で本を読んでいる人影が目に留まる。
受験を控えている三年生は図書館や自分の部屋で勉強しているのだろう。教室には一人しか残っていなかった。
だからこそ余計に侵し難い空気を感じたのか、気付かぬ内に理樹はその光景に魅入っていた。
「…………恭介」
ぽつりと零れたその声に反応した相手は本に落としていた視線を上げると理樹の方を見て口を開いた。
「残念ながら恭介は居ないよ、理樹」
その時には理樹も気付いていた。
彼の席に座っているのが目的の人物ではなかったことに。
「。どうしてここに?」
「恭介に呼ばれたんだ。その恭介は就職活動のことで担任に呼ばれて職員室に行ってしまって見ての通り暇を持て余してる」
「そうなんだ。待ってたら戻ってくるかな?」
「戻っては来ると思うが、どれくらい掛かるかは分からないな。急ぎの用なら職員室の前で待っていた方が良いんじゃないか?」
「いや、別に急いでないから僕もここで待ってるよ」
そうか。とだけ返ってきたから彼女はまた本の続きを読むのだと思ったが、予想に反して本は閉じられた。
暇を潰すために読んでいただけで、内容にそこまで興味があったわけではないのだろう。
なにせ読んでいたのは恭介の愛読書である少年漫画なのだから。
それもまた、理樹が恭介とを一瞬とは言え見間違えた原因だった。
「さっき教室を覗いた時、が恭介に見えたんだよね。二人とも全然似てないのに、なんでかな」
「私に聞かれても困る。それでも答えるなら、私が恭介の席に座って恭介の本を読んでいたから、としか言いようがないさ」
「うーん、そういう錯覚もあったんだろうけど、なんだろう……雰囲気って言うのかな? それが似てた気がするんだ」
「雰囲気なんて曖昧なものは幾らでも創り出せるんだよ、理樹。だから私と恭介に似ているところなんてない、君の思い過ごしだ」
は背中を椅子に預けると、天井を見上げながら眼を閉じた。哀しんでいる。彼女の姿を見て、理樹はそう感じた。口では暇潰しだと言っていたが、先ほどまでの彼女の行動は別の理由があったのだろう。見間違えたのも当然だった。そもそも彼女が『そう』あろうとしていたのだから。彼の行動をなぞることで、恭介が何を考え、何を感じているのかを、少しでも知るために。それが彼女の望む答えをもたらすことはないと分かっていながらも。けれども理樹が「恭介はいつもここで何を考えてるんだろうね」と口にすれば、彼女は伏せていた瞼を上げて反応を返した。その口元には薄っすらとした笑みさえ浮かべている。
「さて、自分一人だけ仲間外れにされてることを口惜しく思ってるんじゃないか」
「葉留佳さんだってクラスは違うのにね」
「クラスの壁は越えられても、学年の壁を越えるのは難しいだろう?」
「に言われても説得力低いよ。本当は恭介と同じ学年じゃないか」
「理樹」
続くはずだった言葉は短く、しかしはっきりと呼ばれた名前によって押し止められる。
理樹はそれを飲み込まざるを得なかった。
「絶対に有り得なかった『もしも』の話をすることに何の意味がある? 言ったはずだよ、現状が起こり得る最良の結果なんだと」
それは『恭介とが同じクラスだったら』という仮定の話をしても無駄だと、言外に告げていた。彼女には理樹が言おうとしていることなど手に取るように分かっているのかもしれない。そういうところも似ていると思う、外面ではなく内面が、だ。いや、似ているか似ていないかなどということは本質的な問題ではない。言ってしまえば、理樹が気に掛けているのは二人の関係性についてなのだから。ただ、それは安易に彼が口を出すべきことではないと分かっていた。たった一歳しか違わないというのに、二人は誰よりも物事を見据えている。恐らく理樹には及びもつかないような考えがあるのだろう。それでも、せめて理由くらいは聞かせて欲しいと思った。理樹の心配なんて二人には必要ないのかもしれないが、彼だって幼馴染として気に掛けずにはいられない。今なら答えてくれるのではないか。何故かは分からないが、そんな淡い期待がそれを口にさせた。
「恭介は僕達よりも先に卒業しちゃうんだよ。そうなったら今みたいに一緒には居られないのに……も恭介も、それで良いの?」
「言っただろう? 私は現状に満足しているんだよ、これ以上を望むつもりはない。それは恐らく、恭介も同じだろう」
「でも、は恭介のこと―――」
二度目は言葉ではなく行動で遮られた。
ぽん、と頭に乗せられた掌は、そのまま理樹の頭を撫でる。
言わなくていいんだよ、言ってはいけないんだよ
の表情が語っていた。それはきっと哀しくて、寂しくて、辛いことのはずなのに、どうしようもなく彼女の掌は暖かい。
「理樹。この世界にも『おもう』だけではどうにもならないことはあるんだよ」
「どういうこと……? もしかして『この世界の秘密』については何か知ってるの?」
「私の口からは何も。大丈夫、そのうち分かるから。気に掛けてくれてありがとう、理樹は優しいな」
そう言った彼女が先程から宥めるように彼を撫で続けている手の方が、ずっと優しいというのに。いつだってこうして支えられてきた。と、恭介に。理樹だけでなく他の三人も同じだ。気付かない内に掬い上げられている。でも、それなら、二人の哀しみや苦しみは誰が受け止めてくれるというのか。気付いてしまった事実が、じわりと理樹の目元に涙を滲ませる。しかし滴が頬を濡らす前に、頭上の暖かい感触は離れていった。その理由は聞くまでもない。
「悪い、待たせたな……っと、なんだ。理樹も居たのか。取り込み中か?」
「いいや。理樹が君に用事があると言うから、ついでに私の暇潰しに付き合って貰っていたんだよ」
会話をしていたと主張するのに不自然でない距離を素早く取ったは飄々と嘯くきながら、恭介には見えない位置で理樹に口止めをする。その表情は既にいつもの余裕ある彼女のもので、先程までの名残は見られなかった。こうして彼女は全てを自分の内に抱えていくのだろうか。そう思ったら、恭介に何もかもを言ってしまいたくなった。
「恭介! ねぇ、恭介はさ、知ってるの?」
「ん、何をだ?」
「だから、がずっと――――」
けれども、言えたのはそこまでだった。
ぐらりと世界が揺れる。
またなのか、と彼は思った。
言わなきゃいけないことがあるのに、それはとても大切なことなのに。
大切な人達がもう哀しまなくて済むように、伝えなくてはいけないことなのに。
口を開こうにも襲い来る痛みがそれを阻む。
「理樹!!」
「だいじょうぶ、だから……」
「、真人呼んで来い」
「わかった。後は任せるよ、恭介」
頭がぎりぎりと締め付けられるのに耐え切れず崩れ落ちた身体が、暖かい何かに抱き止められた感覚。
遠くで誰かの謝る声が聞こえた
謝らなきゃいけないのは僕の方なのに
次に目が覚めたら、きっと君に謝るよ
それを最後に理樹の意識は闇に包まれた。