狭間の空間で想うこと

繰り返す世界の狭間。最初の頃よりも、ここでの時間は長くなっていた。この空間に、時間という概念が存在するわけではない。幾度となく繰り返される筈の、あの世界が直ぐに始まらない。それが時間の経過のようなものを感じさせているだけだった。世界を構成する人数が減っているのだから、それも当然のことだろう。 ここでの時間が長くなる――それは、この世界の終わりが近いことを意味していた。幾つかの灯のようなものを通り過ぎて、はその中の一つへと近付いていく。いつだって強く光を放ち皆を支えていたそれが、今は酷く弱々しく感じられた。

「恭介」
「……、か?」

彼女の声に反応して顔を上げた恭介は、彼を取り巻く灯と同じように、酷く弱っていた。後悔しているのだろう。一つ前の世界で、理樹と鈴の身に起きてしまったことを。

「なぁ……俺は、間違えたのか?」
「やり方は間違っていたかもしれない。だが、恭介がやろうとしたことは間違っていないと私は思っているよ」
「それでも、結果として俺が二人を傷付けたことに変わりは無い。鈴は心に深い傷を負った。それは、俺のせいだろう」
「あの状況ではそうするしかなかった。恭介がそう望んだわけではないだろう」

今の恭介に慰めなど無意味だということは、にも分かっていた。何と言葉を掛けた言ところで、彼は首を振るだけだろう。傷を負ったのは理樹と鈴だけではなかった。どうして、彼がこんなにも苦しまなくてはいけないのか。二人の未来を、誰よりも深く想っている彼が。

「理樹が……前の世界で最後に誓っていたことを覚えているかい?」
「あぁ、覚えているさ」
「『これからは強く生きる』理樹がそう誓ったのは、鈴のことがあったからだ」
「そうかもしれないな」
「しっかりしろ、恭介!」

は自分よりも身長の高い恭介の胸倉を掴み上げる。いくら恭介がカリスマ的に見事な手腕を見せると言っても、彼とてまだ18歳のただの高校生に過ぎない。全てが思い描いた通りに進むわけではなかった。しかし、これまでの恭介はそこで立ち止まらず、失敗すらも利点に変えて進んで来た。立ち止まってしまったら、そこで終わりだから。失敗の大小は関係ない。この世界に残されている時間は少ないのだ。最早少しであろうとも、立ち止まっている暇は無い。は恭介の眼を真っ直ぐに見て、言葉を紡ぐ。

「理樹は知ったんだ。想うだけで、願うだけではどうしようも無いことがあるということを。だから、強く生きると決めた」
「そうだな」
「それがどういうことか、分かってるんだろう?」
「……分かってるさ」
「今の理樹なら大丈夫だよ。そして理樹と一緒なら、鈴もきっと立ち直ってくれる。私達がやるべきことは、あと一つだ」
「二人を送り出す。お前は……それでいいのか?」
「恭介、君は二人のことだけ考えてれば良いんだよ。それに、私はもう十分だから」

漸くまともな反応を返すようになった恭介に、はその手を離す。良いか悪いかで言われたら、良いとは言い難い。それでも答えるのならば、彼女の答えはどちらでもない、だった。誰よりも『今』が続けば良いと願ったのは理樹だけではなかったから、この世界がある。しかし、には選ぶだけの選択肢は最初から残されていなかった。彼女にとっても、二人の幼馴染はとても大切な存在だから。

「そう言われちまったら、俺からは何も言えないな」
「私のことは気にするな。この世界で随分と楽しませて貰ったから」
「それも、恐らく次で最後だ」
「永遠に続く世界なんてない。最初から皆分かっていたんだよ、分かっていたけど見ないふりをしていた」
「お前もそうだったのか?」
「そんなわけないだろう。誰かさんが、常に終わりを想定して動いているのを間近で見ていたんだ。嫌でも終わりを意識するさ」
「そりゃ悪いことしたな」

いつものような軽口が交わしながらも、二人共気付いていた。最後の世界の始まりが近く、この空間は直になくなるということを。その世界は今までとは同じではないだろう。幼馴染が6人揃って過ごすことが出来るのは、恐らく本当に最後の瞬間だけ。それは心を閉ざした鈴のことだけが理由ではない。前の世界で起こったことについて、謙吾は恭介を許していないからだ。表面上は取り繕っているが、恭介自身も未だに悔いていることに変わりはない。だから、恭介は皆と離れて過ごすつもりなのだとは分かっていた。恭介が居なくても、理樹がきっと上手くやってくれるから。そして彼女もまた、これまでとは違う行動を取るつもりでいた。これから先に起こるであろうことを考えると、そうするのが一番良いと思ったから。つまり、互いが互いに、こんな時間はもう来ないかもしれないということを理解していた。

。一つだけ折り入って頼みがあるんだが、聞いて貰えるか」
「それは内容にもよるよ。時間の掛かることは無理だろうからね」
「いや、時間は掛からない。この空間が終わるまでの間ほんの少しで良い、抱き締めさせてくれ」

この局面で言われる可能性のある一つとして、も予想していなかったわけではない。けれども、実際に言われるとしたら他のことだろうとも思っていたから、可能性が最も低いはずだったそれを言われたためにの反応は遅れた。けれどもからの抵抗がないことを確信しているのか、その間にも恭介はの身体を抱き締めていた。視界が一瞬で黒に染められたことと、暖かいものに包まれた感触によって正常な判断力を取り戻したは、そっと恭介の背中へと腕を回した。

「……今だけで良いから誰かに縋りたかった。そういうことにしておくよ、恭介」
「悪いな。もうどうしようもないことだってのは分かってるんだ、それでも何とかしたいって思わずにはいられない」
「君は十分頑張ったよ、やるべきことをやったんだ」
「俺は……」
「泣きたかったら泣いてもいい」
「誰が泣くかっての。俺は、泣かないって決めてるんだ」
「それならせめて休むんだな。これから最後の大仕事が待っているんだから」
「そうだな。お言葉に甘えて少しだけ、休ませて貰うとするか」
「そうしてくれ。私はずっとここに居るから」

二人のために作られた世界。その中で理樹は恭介の願った通りに成長してくれた。それは二人の敵になってでも、願いを貫き通そうとした恭介が居たからこそだろう。彼のこれまでの行動の全ては、理樹と鈴、二人のためのものだったのだから。自分が傷つくことを厭わずに、ただひたすらに恭介は一つのことだけを目指してきた。それは後もう少しで果たされる。そのためにも最後に二人に突きつけなくてはいけなかった、あの現実を。それはきっと今までになく辛いものになるだろう。だからこそ、最後の世界が始まるまで少しの間だけでも彼は休むべきだとは思ったのだ。 彼と同じように二人のために動いてきた彼女だからこそ、恐らく最後の世界においては彼の傍に居ることになるだろう。しかしそれもまた、理樹と鈴のためだった。最初に決めたことだった、『ここ』での全ては二人のために、と。だから、彼のためを思って出来たことは何一つとしてなかったとは思っている。そんな彼女が彼に出来る最初で最後の唯一のこと。今この抱擁だけは、二人ではなく恭介のためにしたものだった。

薄れていく意識の中で、は少しだけ背中に回した腕に力を込める。 決して言葉にはしないとかつて決めた想いを胸に抱きながら。



ささやかな幸せの箱庭は終わり
二度と繰り返すことのない 最後の世界が始まる

    (2010.10.09.→2013.11.16.修正) back