それでも全ては二人のためだった
併設校に送られた鈴が一時的に帰還してくる前日。
部屋に戻った理樹を迎えたのは、ここ数日あまり顔を合わせていなかった幼馴染だった。
「お帰り、理樹」
「……なんで此処に? それと真人は?」
「理樹と二人で話したいことがあるから、と真人には席を外して貰った」
「そうなんだ」
その瞬間、理樹は『真人が一緒なら心強かったのに』そう思っていた。と二人で話すことに、抵抗を感じていたのだ。
今までは誰よりも信頼していたはずの幼馴染の一人を相手に、そんなことを思うようになってしまっていることに理樹は愕然とした。
あの気まずい朝食の日から、何かが変わってしまっていた。決して皆が同じ考えを持っているわけではないと、同じ場所を目指しているわけではないと気付いてしまったから。
「そんなに硬くならないで欲しい。ただ、理樹の意思を確認しにきただけなんだ」
「僕の意思?」
「鈴が明日帰ってくる」
「うん。恭介のおかげでね」
「そう卑屈になるな。恭介を動かしたのは理樹なんだから」
「僕が手を尽くしても何も出来なかった。結局、恭介が居ないと無理だったんだよ」
理樹だけでは、鈴を連れ戻すことは出来なかった。恭介が居たからこそ、鈴は戻ってくることが出来る。それは紛れもない事実だ。
恭介に妥協をさせたのは理樹かもしれないが、逆に言えばそれしかしていない。野球で勝ち取った、という考えも、結局は気持ちの問題に過ぎない。
それにあの試合でさえ、理樹は自分一人の力とは思えなかった。
「そんな気持ちで鈴を迎えるつもりかい? 何も出来ないと思っていたら、本当に『何も』成せないよ」
「分かってるよ! でも、鈴のために何がしてあげられるって言うのさ。僕はこの1週間、ただ無責任に励ますことしか出来なかったのに」
「理樹、思考停止に安住するな。もう、君の手を引いてくれる人間は居ない。自分で考えて、決めるんだ」
ずっと手を引いてくれていた。その手を掴んでさえいれば幸せで、何処にだって連れて行ってくれた。
その手の持ち主は、今はもう違う道を進んでいる。の言う通り、理樹はもう自分の足で立って進まなくてはいけない。
こうなって初めて、理樹は自分にとってどんなに彼の存在が大きかったかを思い知っていた。
いつまでも傍に居てくれないと分かっていたはずなのに、心の底ではこんなにも彼に依存していたのだ。
「鈴を励ますことが出来るのは、理樹、君だけだ。鈴のために何かしてあげられるのも、君だけ。この二つは同じようで違う、どういうことか分かるかい?」
「言ってることは分かるよ。つまり二日後に鈴がどうするのかは、僕の意思次第って言うことでしょ」
「それだけ分かっていれば十分だよ。私はどちらが最善とは言わない、それは理樹が自分で決めなければ意味がないからね」
「も、そうなんだね」
何処までも、突き放される感触。
道を示してくれたという点では、も同じだった。恭介と同じように、理樹が進みあぐねている時には、その手を引いてくれた。
彼らが連れていってくれる道はいつも正しくて、間違いなんかないと思っていた。しかしそうではなかった。
正しいとか、間違ってるとか、そんなものは些細なことに過ぎなくて、例え間違った道であっても、彼らが一緒であることが全てだったのだ。
それが今、失われようとしている。一人で行けと、此処からは同じ道を行くことは出来ないのだと、はっきりと理樹は告げられていた。
「どうしてなんだよ。どうしてまで鈴が自立することを望むの? 恭介が居なくなっても、が居るじゃない」
「違うよ、理樹。そうじゃないんだ」
「何が違うって言うのさ! も知ってたんだろ、鈴が併設校に行くように恭介が画策してることを。はそれを止めなかった!」
「否定はしないよ」
「やっぱりそうなんだ。もう僕には分かんないよ……恭介もも、何を考えてるのか」
鈴がどんな状態にあるのか、知らないわけではないのだろう。
それでも、は『恭介を止める』とは言ってくれない。恭介に肩入れいているようにも見えないが、何もしないなら理樹にとってそれは同じことだった。
誰よりも鈴を庇護していたはずの二人が鈴を追い詰める。
鈴はまだ、その残酷な事実に気付いていない。恭介の描いた筋書だと知らないままに、乗せられている。
だからこそ、余計に哀れでならない。
これが遅かれ早かれ直面した問題であったことは理樹にも分かる。恭介は来年の春には卒業してしまうのだから。
けれども、何もこんな目茶苦茶なやり方でなくても良いはずだ。時間を掛けて、少しずつ解決していってはいけないのか。
どうして、何故。
理樹がいくら尋ねようとも、それに対する答えは与えられない。それすらも、自分で考えるべきことだとでも言うのだろうか。
答えなど、彼の内の何処にも見当たりはしないというのに。
「分からなくていいさ。それでも、鈴と理樹を想っていることに変わりはないからね」
「知ってるよ。だから僕も、どんなに酷いことをしていようと嫌いになんてなれないんだ」
それに対しては何も応えず、ただ眼を伏せただけだった。
彼女が何も応えない。それが何を意味しているのか、理樹は気付けなかった。
『ありがとう』と口にするのは簡単だけど、これから先もその想いが変わらないとは限らないから。それだけのことが二人には待ち受けているから。
そんな考えがあったことなど、知る由もない。
全てが終わった後には、そんなことを思い起こす気力など残されていなかったのだから。
目指したものは遠く、なくしたものも二度と戻らない程に遠い。
守られ続けた彼には、誰かを守る強さはなかった。
そして――空っぽになった手だけが、残されていた。