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 漂流物。今ではその呼び名はオルテ国内においては広く認知されており、誰もがその言葉の指す意味を知っている。間違ってもその響きは諸手を挙げて歓迎されるようなものではなく、一般市民にとってはむしろ関わってはいけない禁忌の単語として知られている。漂流物に関わって良いのは十月機関の人間だけ。それ以外の者が関わろうとすれば、帝国の軍人に見咎められて酷い目に合わされる。だからこそ、より一層早く市民の間にこの言葉は浸透したのだろう。漂流物に関わるべからず。自らの身を守るためにもそれは知っておかねばならないことだったのだ。
 しかし、あの頃はまだ漂流物という言葉も知られてはいなかった。だから、私は彼に手を貸してしまったのだ。今となっては、しがない一市民に過ぎない私のような人間が漂流物と関わることは大罪とも言えるだろう。だが、オルテの上の人間でさえ誰も漂流物などというものを知らなかったのだ。十月機関すら存在しなかった。あれは彼が現れた後で作られたものなのだから、当然だろう。つまり、はっきり言ってあれは不慮の事故で済ませられることだったはずなのだ。罪に問われるようなこともなく、私は今でも、ただの何処にでも居る市民としてこの国で生活しているはずだった。間違っても、十月機関に所属する魔術師などになっているはずではなかったのだ。

「……どうしてこうなった」
「また言ってるの? なっちゃったものはしょうがないでしょ」
「そう簡単に諦めがつくなら悩んでない」
「符術の勉強もして大師匠さまの魔術を一端とは言え学んでいるのに、今更抜けるとかそれこそ無理だと思うけど」
「オルミーヌはこの仕事に多少なりとも遣り甲斐を感じてるから、そう言えるんだよ」

 漂流物とか廃棄物とか、世界の破滅とか。それが一大事だということは分かるけど、身近に迫る問題としては感じられない。オルテが今も周辺諸外国と戦っていることや、亜人と呼ばれる人々を奴隷のように扱っているということも、言ってしまえば他人事に過ぎない。自分に直接的な影響を及ぼさない限り、私にはどんな事象も壁一枚向こうの無関係な出来事にしか思えないのだ。廃棄物はこの世界を滅ぼそうとしている、漂流者を集めて廃棄物を倒さない限り、この世界に未来はない。なるほどそうなのかもしれない。でも、それがどうした。

「私が望む幸福は平々凡々な日常だ。やはり許すまじ、安倍晴明」
「言葉には魂が宿る。故に人の真名を気軽に口に出すものではないと言っているだろう」
「お、お師匠さま! いつからそちらに?」
「出たな、妖怪狸じじい」

 真っ白な服に目元の黒子。真剣に注意をしているようで、年下の幼子を戒めるような飄々とした口調。十月機関の発起人にして、魔術師達からは一部の例外を除いて、大師匠と呼び慕われる安倍晴明。そして、私にとっての諸悪の根源。彼に出会いさえしなければ、こちらに来たばかりの彼を助けさえしなければ、きっと今も思い描く幸福な生活を送ることが出来ていた。

「この姿でそう言われても、事情を知っている者以外にはお前の方こそ気が触れているように見えるだろうよ」
「黙れ若作り。何と言われようとも、拾った時に本来の姿を見てるんだ。惑わされたりはしない」
「周囲を欺くのに一役買っているのは否定しないが、単にこの姿の方が術が使い易いというだけで惑わすつもりはないんだがな」
「そのつもりはなくとも、見なよ、オルミーヌを。可哀相に、すっかり騙されてしまっている」
「そこで私を引き合いに出さないで欲しい。あの、師匠。私は別に騙されてるとか思ってないですからね?」
「勿論だ。心配せずとも私も分かってるよ、オルミーヌ」

 殴りたい。頭に浮かぶのはただそれだけだった。実行したことはこれまでにも幾度かあるがその度に式神とかいうものによって防がれており、この拳が対象を捉えたことは一度もない。フラストレーションは溜まっていく一方だ。そろそろ何かの糸がぷつんと切れてしまってもおかしくはない。これでも良く我慢していると我が事ながら感心しているくらいなのだから。

「はぁ……年寄りには優しくしろという教えを忠実に守った結果がこれか」
「私はこれでもお前に感謝しているんだ。お前が手を貸してくれなければ、こうはいかなかっただろう」
「感謝してるなら、どうして十月機関に私を入れた。私はそんなこと望んじゃいなかったのに」
「感謝しているからこそだ。少なくとも、ここに居れば余計な諍いに巻き込まれることはないだろう」

 漂流物の管理を一任されていることから、オルテ国内における十月機関はいわば治外法権のような状態にある。事実その通りであった。普通の一市民として生活しているよりはあらゆる意味で保証された生活であることは確かなのだ。他人事はいつまでも他人事ではない、やがて近い内に我が事となりこの身に降りかかることになる。認めたくはないが、彼なりに私のことを気遣ってくれているということを否定する要素は見当たらなかった。それがとっくに分かっているにも関わらず、未だに納得しきれないのはあの代わり映えのない日常に未練があるからだろう。ただ最近はそれも少しずつではあるが薄れてきている。だから、年長者への敬意という観点から老人の姿ならばまだ態度を改めないこともないので、偶には元の姿に戻ってくれると有難い。そうすれば、幾らかは真っ当な会話をすることも出来るかもしれない。


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