歌が聞こえる。
あの子の、あの子達の歌が。
眼を開いて、視界に入ってきたのは空だった。そして自分を取り巻いているのは紛れも無い「大気」だという情報がもたらされる。此処は何処なのだろう。疑問を抱くのは当然のことだった。しかし、現状を把握することも出来てないというのにその一方で、思考は驚く程にクリアでもある。これまでは何かに阻害されているかのように霧がかかっていた。けれども今は、その霧が取り除かれている。
そして私は、思い出した。いや、その表現は間違っているのかもしれない。その事実は元々私のデータベースに存在していたのだから。それでも、『思い出す』という表現がしっくりきた。それは忘れられるわけもない程に大事なことで、どうして今まで忘れていられたのか自分でも不思議なくらいだ。考えられる要因は一つしか無かった。私がこうなってから今日までの記憶は、全て残っているから。
「インプラント……か」
肉体の一部を機械と交換し、その上で脳に埋め込まれた技術。それにより一部の記憶データへのアクセスを制限されていたのだろう。しかし私の脳に埋め込まれたインプラントが破壊された様子は無い、それならどうしてインプラントネットワークの支配から逃れられたのか。理由は分からない。それでも、今はそれを追求している場合では無いだろう。意識を失う前の経緯からすると、事態は既に佳境へと入っているに違いない。
「」
サイボーグ化された身体に今程感謝したことはない、生身の身体だったからこうも簡単に立ち上がることは出来なかったろうから。幾つかの外傷はあるが、内部に損傷は見られない。これなら動作に支障も無い筈だ。足場を確保しながら瓦礫の山を踏みしだいて進む。目標の位置情報は既にもたらされているので、最短距離で向かうだけだった。
「見付けた……グレイス」
「通信用のインプラント、まだ使えたのね」
「どうして、こんなになるまで」
「歌って欲しかったのよ、あの子に。御蔭で漸くインプラントから解放されたわ……」
全身ぼろぼろになり、片腕と片足を失った姿でありながらグレイスは何処か満足そうだった。既に自力で動くこともままならないのだろうその身体を抱き寄せる。
「有難う」
「どうして、御礼なんて言うの。むしろ私は、貴女に謝らなくてはいけないのに」
「ここまで生きられたこと、幸せだったから。だから有難う……姉さん」
「……そう。全部、思い出したのね」
小さい頃から病気がちだった私。それなのに姉さんと離れたくなくて我が儘を言って付いていったのだ、ガリア4に。そして、ただでさえ寝込んでばかりだった私はサイボーグ化することで一命を取り留めた。それは同時に健康な身体を手に入れることも意味していた。
「あの時、貴女を生かしたのは、私のエゴだった。勝手に身体を変えてインプラントを埋め込んで、怨まれても仕方ないと思ってたわ。だから、貴女が私を覚えて無いのは償いなんだって」
「この身体になって過ごした時間は寝てばかりだった頃よりもずっと充実してた。姉さんの御蔭だよ。だから、グレイスを怨んだことは一度も無い」
「それでも、貴女を巻き込んでしまったのは確かだわ」
一方的に抱き締めているだけだった私の背中に姉さんの手が触れる。もう力も入らないのだろう、添えられただけではあったけれど、その感触は心地良かった。記憶は失っている状態であっても、私は今日まで『グレイス』と居た。それはどんな形であれ、姉の傍で共に時間を過ごしてきたということだ。
「それでも、私は確かに幸せだった」
「……」
「最後にもう一度、姉さんに会えて良かった。有難うって言えたから」
「行くのね」
「うん。彼だけこのままにはしておけない」
11年間、ほとんどの任務を共に遂行してきた。過ごした時間の長さはグレイスに並ぶだろう。それだけ会話も重ねてきた。だから知っている。彼がどれ程までに彼女のことを想っていたのか。それに自覚が無かったとは言え私は家族の傍に居られたことが分かったのだ、彼には家族と過ごす『これから』を与えてあげたい。
「残された時間は少ないわよ」
「分かってる。私一人なら無理だけど、二人の歌があるから……何とかしてみせる」
姉さんから離れて立ち上がると、コードをコネクトさせる。接続は直ぐに出来た。ギャラクシーの技術で作られた機体、壊すことはしないだろうという予想は当たっていたらしい。押収した後に隠したようだが、そんなことをしても無駄だ。あれは私の機体なのだから。数秒後には眼の前に現れたそれに、そのまま乗り込む。飛ぶのもきっとこれが最後、馴染んだ空間に身を委ねながらそう思った。本当は最期まで姉さんの傍に居るべきなのは分かってる、でも悔いは残したくない。好きとか恋とかそういう感情ではない、彼に感じているこれは、親愛だ。この11年間で、彼もまた私にとって無くてはならない存在となっていた。彼に支えられたことも、少なくはない。だからこそ、彼女に向ける彼のひたむきな想いをこのまま終わらせてしまいたくは無かった。
ギャラクシー製VF-27γ、紫のその機体は何処にあっても目立つ。この無限に広がる空においても、直ぐに見付けることが出来た。その前方を飛ぶのは、新型ヴァルキリーYF-29。パイロットはアルトだ。二人の飛行に付いていくのは容易だが、私の言葉が彼に届くとは思わないし、それでは意味は無い。彼の心に届くとしたら、それは一つだけだ。残された時間で出来る最良の手段を考えて、機体を一度丘の上の教会ステージへと向かわせる。
「ランカちゃん、聞こえる?」
「え、さん?」
「一度しか言わないから、良く聞いて。貴女の歌声をブレラに私が届ける。貴女の歌なら彼にも届くから。だから歌って、想いを込めて」
「お兄ちゃんに……?」
「そう。記憶を取り戻した貴女なら、大丈夫よ」
「分かりました!」
しっかりとランカが頷いたのを確認した後、その隣のシェリルへと視線を向ける。
「シェリル。貴女は私にとって本物の妖精だった。もう、大丈夫よね? 貴女は一人じゃないから」
「……」
「歌って、貴女の歌を」
「歌うわ。最後まで歌い切ってみせる」
シェリルは気付いている、これが最期になることを。それでも、彼女は涙を流したりしない。『歌うこと』が、私とグレイスが望んだことだから。これ以上、言うべきことは何も無い。私も、自分のなすべきことをしよう。この命が途絶えることになろうとも、決めたことだから。
ガウォークからファイターに切り替えた機体を空に走らせる。アルトはブレラから離れ、バトルフロンティアと融合した女王バジュラへと接近していた。今ならば、誰にも迷惑は掛からない。だから、私は迷いなくブレラに攻撃した。彼がそれらを回避するのは分かっている、時間を稼いだだけだ。その間に、私は彼の機体へと接近し、ぴたりと後ろに付ける。ランカの歌をより確実に届ける為には必要なことだった。振り切ろうとするブレラの後ろを、引き離されることなく付いていく。インプラントによる通信は無理だが、機体同士の通信はまだ繋がる筈だ。
「ブレラ。貴方にも歌が聞こえているんでしょ」
「歌が何だと言うんだ」
「これは、ランカちゃんの歌だから。ねぇ、今まで生きてきたのは何のためだったの? ランカちゃんに、妹にもう一度会うためだと言っていたじゃない!!」
「そんなものは、今のオレには関係ない」
「貴方がランカちゃんを想う気持ちは、インプラントに支配されたくらいで、忘れてしまうようなものじゃなかった。取り戻してよ、貴方の心を」
「オレに感情など……無いっ!」
前を行くブレラの機体が一気に加速をする。振り切ろうとしているのだろう。私の機体だけではなく、彼を圧迫する何かからも。それは、僅かであれ言葉が届いているということだ。でもまだ足りない。ランカちゃんの歌と私の言葉だけじゃ、インプラントによって完全に支配されてしまった彼を目覚めさせることは出来ない。もう一つ、彼女の歌以外に彼を揺さぶる何かが必要なのだ。しかし、彼が想い続けた彼女の歌と並ぶものが、この戦場の何処にあるというのか。
それでも決して諦めまいとブレラの機体を追いかけていると、視界にそれが入ってきた。金色の輝きを纏い飛翔する機体。それは光の舞だった。あまりにも美しく言葉で表すことも出来ない早乙女アルトの舞は、全ての者に感動を与えた。人間、ゼントラーディ、そしてサイボーグにも。
「それが君の答えか、アルト。やっぱり、空が君の舞台だったんだね。彼は自分の道を決めた、心を定めた。だから貴方にも届いたでしょ」
「この気持ちは……」
「彼の舞が貴方に与えた感動。ブレラ、今ならちゃんと聴こえる筈よ、彼女の歌が」
「そうだ……この歌、ランカっ!!」
今度こそ届いた。通信が途絶えたこと、そして何よりも彼の声に確かなものが戻ったことがそれを証明していた。これでもう、想い残すことはない。だから――
「何のつもりだ、其処をどけ」
「どかない。貴方には、待っている人が居るでしょ」
私はバトルフロンティアの内部へと向かうブレラの前に立ち塞がった。最初から決めていたことだった。彼には『これから』があるから、それなら終わりが近い私で良い。電子貴族の居場所は先程インプラントネットワークに潜って調べてあるので問題は無い。
「これは私の役目。ブレラはもう休んでて」
「何を……っ!」
機体のサイバースペースから弾き出されたブレラと、接続を保つ私では力の差は歴然だった。操縦の自由を奪う程度のダメージを与え、その紫のVF-27γが飛空能力を失い落下していくのを見届ける。
「こうでもしないと貴方は止められないから。ごめんね、ブレラ」
「っ!!」
名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。通信の切れた今となっては、それを確かめる術は無い。そして何よりも、残された時間は後僅かだった。機体に出せる最高速度でバトルフロンティアの内部、中枢へと飛び込んだ。
『貴様、・ゴドゥヌワ! 生きていたのか!』
「それがどうしたの、どうせ数秒もしない内に死ぬわ。貴方達と一緒にね!!」
狙いを定め、トリガーを引く。それだけの動作だった。恐れは無い。やるべきことは全て終わったから。
爆発に巻き込まれる一瞬、想う。
シェリル、ランカちゃん、アルト。彼達がこの先も笑っていられるように。そしてブレラ。彼が今までを補う以上に、これからは大切な家族と共に過ごせるように。
――祈っている。
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