失くしていたものが戻ってきた気がした。
未だに行動に移すことは出来ていないけど、『進もう』と確かにそう決めた。
だって――――もう十分に休息はしたのだから。
偶然にも知ることが出来た連絡先。
かつて全てがどうでも良くなりかけていた私は、彼と出会ったことで踏み止まることが出来た。
彼と出会っていなかったら、恐らく私は今も燻っていたままだっただろう。
それほどまでに、彼の存在は私の中で大きかった。
だから、そんな彼と連絡を取ることが出来たなら、私も進むことが出来るんじゃないかと、そう思った。
停滞したままの私はその状況に安堵して、一人では進むことが出来なかったから。
強い精神を持った彼と話すことで自分も頑張れるんじゃないかと。
そんな、甘いことを考えていた。
結局、私の気持ちが変わらない限り、踏み出すことなんて出来ないのに。
私は変化のないことに安堵していたんじゃない、ただ逃げていただけ。
こうして彼とメールをしている今でも、何も変わろうとしない。
話を切り出そうともせずに当たり障りのない会話を続けているのも、きっと私が逃げているからなのだ。
「あれ、何で私……此処に?」
気付いたら物理部の前に立っていた。
来た回数は少ないけれど、それでも見慣れたその扉。
見慣れている。そう思うのはきっと、授業が終わると家に直行することが多い私が、自分のクラス以外では一番来ているところだからなのだろう。
「ちゃん?」
それでも、何故自分が此処に来てしまったのか考えていると後ろから声を掛けられた。
この学校で自分をそう呼ぶ人物は二人しか居ない。
一人は男性で、一人は女性。
今の声は男性のものだ。
振り向くと、そこに居たのは予想通り小磯先輩だった。
「小磯先輩……。あ、済みません。私が立ってると入れないですね」
「いや、それは良いんだけど。ちゃんは入らないの?」
「特に用事があったわけじゃないので。気付いたら此処に居たんですよ」
「そうなの? まぁ、せっかく来たんだし入りなよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
なんだか小磯先輩に誘われるままに部室へと入ることになってしまった。
此処に来て自分がどうするつもりだったのかも分かっていないのに。
もやもやした気持ちを抱えて入った部室に居たのは、いつもと同じで一人だけだった。
「早かったじゃん、健二。日直だって言ってなかったっけ?」
「相手の人がほとんどやっておいてくれてたから」
「ふーんそうなんだ……て、後ろに居るの? お前が2週間連続で部室に来るなんて珍しい、天変地異の前触れか」
「ちょ、佐久間! どうしてそんないつもちゃんに突っ掛かるのさ」
「これが俺達の挨拶みたいなもんだしな。健二には、慣れろ、としか言えない」
「……自分でも何で此処に来ちゃったのか分からないんですけどね」
「、何かあった?」
幽霊部員である自分が居ることに対して、佐久間先輩はいつものように返してくる。
いつ頃からだったかは忘れたけれど、私と先輩の間ではそれが恒例のやり取りになっていたから気にしたことはない。
けれど、今日はそのやり取りすらする余裕もなかった。
そんな私の様子に違和感を覚えたのか、流石に佐久間先輩も心配してくれたらしい。
「何かあったというか……むしろ、何もないからこそ考えているんですよ」
「哲学的な話なら他当たれよ、此処には理系しか居ないから。健二、分かる?」
「うーん……ちゃん、何か悩んでることあったりする? 僕達で良ければ、話聞くけど」
その小磯先輩の言葉で気付いた。
私が物理部に来たのは、もしかしたら話を聞いて欲しかったからなのかもしれない。
こんな事ですら私は一人で解決することが出来ないから、誰かを頼ったのだ。
そして無意識の内に物理部へと来ていたのは、それだけこの場所の存在が私の中で大きかったということに他ならない。
「今ので一つ、悩み事が解消されました」
「え、今ので? 何か分かることあった?」
「えーとですね、私は自分が思っていた以上に物理部を気に入ってたみたいで、考え事してたら無意識に此処に来てしまったみたいです」
「物理部だけかよ?」
「勿論、先輩達ありきの物理部ですよ?」
「そう思うなら、もっと部活に顔出すんだな」
「善処はしますよ」
++++
「それで、ちゃんの悩みっていうのは?」
「核心について話すことが出来ないので凄く抽象的な話になってしまうんですが、良いですか?」
「話したくないことまで無理に話せとは言わないよ」
目的が分かったところで、多少申し訳ないとは思いつつも、大人しく相談に乗って貰うことにした。
ただ、自分の過去については話せないので、一般論的な話になってしまうのは避けられない。
それでも構わないという了承は得られたので、順を追って話していくことにする。
2年前にカズマ君に出会ったこと、どうしてカズマ君と連絡を取ろうとしたのか。
そして、未だにカズマくんに肝心なことを話せていないこと。
最後に、自分はどうするべきなのか。
そういったことを一通り話し終えて、無言で最後まで聞いてくれた先輩達の様子を伺う。
「あの、そんな感じなんですけど……」
「とりあえずさ、」
「はい、何ですか」
「お前、無駄に悩み過ぎ」
「そ、れは自覚してます! でも色々と考えちゃうんだから仕方ないじゃないですか!!」
「あと、予想外にネガティブ思考で驚いた。キングに連絡取った時点で十分進んでると思うけど」
「キング・カズマに連絡取ったのは、憧れの人と話してみたかったとかそういう気持ちもあったから……」
「それは別にファンなら普通のことだろ。健二ぃ―埒明かないから交代、俺には無理っぽい」
昔から、お前は悩み過ぎる、と良く言われてきた。
それと物事を前向きに考えるということも苦手で、基本的に後ろ向きであることが多い。
分かっていたとしても直すのは中々難しいわけで、どうにもならなくて今に至っているわけだ。
この短所を何とかしない限り、根本的なところは解決しないのかもしれない。
現に佐久間先輩は匙を投げてしまった。
「と言われても、僕も似たようなことしか言えないんだけど」
「キングのことはお前のが詳しいだろ」
「佳主馬くんのこと?」
「そう。直接会ったお前だから分かることがあるだろ。とりあえず、の中の軽く神格化されてるキング・カズマのイメージを壊す必要があると思うから」
「そうだね。じゃあまずちゃん、佳主馬くん自身のことについて何か聞いてる?」
最近になってOMC以外についてもメールするようになったとは言え、カズマ君について私が知っていることはほとんどない。
彼が自身のことを伝えるのを意図的に避けているような気がするのだ。
けれど、それについては私もカズマくんにどうこう言う権利は無い。
学校のことなんかは伝えているが、本質的なことは何一つとして伝えていないから。
「多分、ほとんど知らないと思います。私、カズマ君の名前も年齢も知らないですし」
「は? まだ聞いてないの?」
「機会を逃したというか、二人して話題を避けた結果というか」
「それは『こう』もなるか。健二、教えてやれよ」
「でも佳主馬くんが話したくなかったことを勝手に話すのも悪いし……OMCを始めた契機は聞いてる?」
「新潟の、お祖父さんからOZ経由で少林寺拳法を習った、というのは」
「うん。佳主馬くん、昔いじめられっ子だったらしいんだ。それが少林寺拳法を、OMCを始めた契機」
「えっ!? 初めて……聞きました」
カズマくんがOMCを始めた理由に、そんな背景があったなんて。
彼は、キングとなる前のカズマの頃から知っている私だからこそ、『カズマ』として接して欲しいと言ってくれた。
でも、結局は私も彼を『カズマ』としてしか見ていなかったのかもしれない。
OZの中での、『カズマ』しか見えていなかった。
「いじめられてたのは、性格の問題だったみたいだけどね。でも、佳主馬くんが始めから強かったわけじゃない、というのは分かったよね」
「はい……分かります」
「OMCを始めた後も色々あったらしい。OZでのことを、現実で仕返しをされたこともあったって言ってた」
「そんなことって……」
「あるんだよ。それでも、カズマとして戦うことを止めなかった。逃げずに、現実にも虚構にも立ち向かった。そうして、今のキング・カズマが居るんだ」
「現実にも、虚構にも、立ち向かう……」
「ラブマシーン事件の時だって、佳主馬くんは逃げることも出来た。けど、彼は逃げずに戦ったんだ。守りたいものがあったから。それが彼の強さなんだと思うよ」
先輩が言っているのはOMCの強さじゃなくて『心の強さ』なんだと思う。
私が今まで見てきたのは、OMCでのカズマだった。
諦めずに挑戦するその姿に憧れた。
その精神に憧れたのは確かだけれど、あくまでそれはOZという虚構の中での一面に過ぎなかった。
当たり前のことだけど、OZでのカズマという存在が全てじゃない。
その背後には、現実のカズマくんとして生きてきた時間がある。
最初から強い人なんて居ない。居るとしても、それは限られた人間の話だ。
逃げずに立ち向かうことで、人は強さを手に入れることが出来る。
「諦めずに立ち向かったから、カズマくんは強いんですね。――私も、強くなれると思います?」
「それはちゃんがこれからどうするか次第だよ」
「カズマ君に……話してみても、良いんでしょうか?」
「は『逃げ』だとか言ってたけど、それも普通のことだろ」
「どういうことです?」
「だからさ、最近メールのやり取り始めたばっかの会ったこともない相手に、いきなりそんな話するのは誰でも躊躇うってこと。相手にしても、迷惑かもしれないしな」
「その点は大丈夫じゃないかな。佳主馬くんも、ちゃんのこと知りたいと思ってるみたいだし」
後は、私の気持ちの問題ということだ。
『進もう』と思った気持ちは変わってない。
先輩達と話して分かった、始めから強い人なんて居ない。
進まない限り強さが手に入らないなら、私はもう、迷わない。
「あのさ……違ったら悪いんだけど、ちゃんの中ではどうするのかはもう決まってるよね。それでも、佳主馬くんに話したい?」
「そうですね。でも、最後に一押し、して貰いたいんだと思います」
彼の御蔭で此処まで来れたから、全部伝えておきたい。
ただの我が儘かもしれないけど、知っておいて欲しかった。
そして、ほんの少しで良い。背中を押してくれたら、私はもう振り返らない。
「ちゃんがそう思うなら、それで良いんじゃないかな」
「終わったら、俺達にもちゃんと話せよ」
「はい。その時は、また物理部に来ますよ」
此処もまた、私の居場所の一つだと分かったから。
(迷いは消えた。変わるための一歩を踏み出そう)