うたかたの陽だまりへの葬送曲

 ベッドルームに縁寿を一人残しダイニングルームへと引き上げてきた天草は、ルームサービスのフルーツの盛り合わせをガラステーブルの上へと置くと、ソファに腰掛ける。ソファと呼ぶには十分過ぎる程に弾力を持ったクッションは大の男一人が座った衝撃も容易に吸収した。
どれを取っても最上級の一言に尽きる調度品で溢れたこの部屋は彼のような人間には多少の居心地の悪さを覚えずには要られない。これまでにも護衛の経験はあるとは言え、天草の性格や言動などのせいもあるだろうが、このように護衛対象と同室で寝泊りをすることは一度も無かったからだ。
 同じ様な感情は、正面に座る彼女もまた抱いていることだろう。

「さて……何から話しましょうか」

そんな『お決まりの言葉』から会話は始まった。
此処に座す二人のどちらもその資格を有するものではないし、元より真実などには興味は無い。ただ、命じられたままに任務を遂行する。それだけの存在だった。


「縁寿様はお休みになったの?」
「まだでしょうが、心配せずとも防音は万全ですぜ。なにせスイートルームですから」
「そう。じゃあ何から話すのかしら?」
「まずは確認ってことで。お嬢が何も言わないってことは十中八九そうだろうが、アンタは本物のってことで良いんですかね?」
「そうね、私はよ。縁寿様の御祖父様、霧絵様のお父様に当たる方の護衛を任されていた父母を持っていた関係から、幼少期は縁寿様の遊び相手でもあった。幼馴染、と言うには彼女と会っていた期間は短いものだったけれど」
「てっきり代役でも仕立ててきたのかと思ってたんですが、本人だったとは」
「偽者なんかで縁寿様を誤魔化せるわけないでしょう。即刻疑われて終わりよ」

言葉の内容に反して彼女、の表情は柔らかく、今思い浮かべている相手をどのように想っているか雄弁に語っていた。もしかしたら演技であるのかもしれない。いや、演技でないと言うのならば、そもそも『右代宮縁寿の護衛』など引き受けるわけがない。これはそういう仕事なのだから。

「それで、アンタは須磨寺の方の使いってことで?」
「そういう貴方は小此木さんの使いってことで良いのね」
「まぁそうなりますかね。アンタらは須磨寺霞の始末、こっちは最後の片翼の鷲狙い……ということで話は纏まったと思ってたんですがね」
「言いたいことは分かるわよ、大事な所でヘマされたら堪らないって思ってるんでしょう。でもね、こっちだって好きでこんな仕事引き受けたんじゃないのよ。そのくらいの事情は考慮してちょうだい」

は鬱陶しそうに髪を掻き揚げると、テーブルの上のフルーツを一つ摘んで口へと運ぶ。そうでもしなければやってられない、と言った様子だった。それを見て、天草が何かを言い掛けるのを制して彼女は口を開く。

「言っておくけど、命じられたことはちゃんとやるわ。それでお金貰ってるんだから当然でしょう。ただ一つだけ条件があるの」
「一応、聞くだけ聞いておきますぜ」
「私の仕事が終わったらその後の行動には干渉しないで、それだけよ」
「それはアンタの行動にもよりますけどね。例えば……お嬢を庇って逃げるって言うんなら、まず見過ごせねぇわけですし」
「分かってる、縁寿様が生きて六軒島を出ることは無い。だから、貴方の仕事を邪魔するつもりはない。これはね、私のエゴなのよ」

 天草の知る右代宮縁寿という人間と、の知る右代宮縁寿という人間は必ずしもイコールではない。二人が触れてきた縁寿の時間は違う、今と昔では、違って当然なのだ。故に、彼女が縁寿についてどのような感情を持っているのかを天草が知ることは不可能であり、彼女の抱く印象を共有することもまた不可能である。ただ、天草も縁寿の身の上がどのようなものであったか知らないわけではない。だから、彼女が知っているのは家族を失う前の幸福であったと言える右代宮縁寿なのだということくらいは予測が付くことだった。
彼はかつての縁寿を知らないが、その頃を知る人間からは今の彼女は酷く違って見えるのだろう。痛ましいほどに。

「この仕事引き受けてから話す相手が居なかったから勝手に喋るけど、適当に聞き流してくれると助かるわ」
「話相手が必要ってんならお好きに」
「ありがとう……須磨寺とは数年前から関係を絶ってた、ほんの少し前まではSPをしてたの。そこにこの仕事の依頼が来た」
「へー俺と似たようなもんですね」
「最初は勿論断った。縁寿様をこの手にかけるなんて冗談じゃない。でも、どうしようもない柵ってものがあるのよね。切っても切れない、自分じゃどうしようもないもの」

人は生まれながらにして様々な柵を抱えている。性別や血筋、そして家族。それらを他愛のないものとして真に切り捨てることが出来るのはごく一部の限られた者だけだろう。人の世で生きていくには逃れられない、『社会』という普遍的価値観がある限りは。

「そういう道を選んだのは自分なのだから、やるしかないんでしょうね。大人には色々と柵がある、正にその通り。でも、だからって子どもの頃の約束は無かったことにして良いわけじゃない」
「お嬢となんか約束してたんで?」
「約束ってほどのものじゃないわ。一方的な誓いを立ててただけ」

 大きくなったらお前には縁寿を守って貰おうかな。
 はい、私は縁寿様をどんな危機からも守ってみせます。
 本当? じゃあはずっと私と一緒だね!


本気だったわけではないのだろう。父の気まぐれな提案を受けて霧絵も苦笑していた。あの頃、何も知らなかったのはと縁寿だけだったのだから。
――何の制約もない、ただの戯言。
夢物語を見ることが許されるのは子どもだけ。にもそれが分からぬわけではない。『もしも』なんて話をすることに意味は無い。
だから、これは単にけじめの問題なのだ。

「縁寿様の未来は既に決まってる。私は柵からは抜け出せない。なら、やれることなんて一つしかないじゃない」
「最期は自分の手で、って言うんなら止めはしませんぜ」
「まさか。私が縁寿様を手に掛けられるわけないでしょう。その役目は貴方にお願いするわ」
「そうなると他に一つくらいしか思い当たらねぇんですが、正気ですかい?」
「あらゆる可能性を排除して残った一つは、一見どんなに有り得ないように見えてもそれが答えよ」
「クール。惜しくはないんで?」
「振り返らなかった12年間には到底釣り合わないでしょうけど」

口にしたからには戻らない、戻れない。
覚悟を決めたの顔に迷いはなく、むしろその瞳は挑むような輝きに満ちていた。

「アンタ、意外とイイ女だったんですね」
「そう思ってくれるなら、なるべく痛くしないで貰えると助かるんだけど?」
「そりゃ俺は狙いを外すつもりはないですけどね。あちらさんがショボイもん用意してたらどうにもなりませんよ」
「ちゃんと決めてくれたら、その時は私も貴方のことイイ男だと思うことにするわ」
「ハッ、それって死んでも認める気ないってことじゃねぇですか」

からからと軽快に笑う天草に釣られるようにも笑う。どちらも気負った様子はないのは、互いにとってこんなことは日常茶飯事であるからだろう。
与えられた仕事をこなす。二人にあるのはただそれだけ。


Back