還るべき場所に遺されていたもの

 右代宮グループの発展。その過程は必ずしも綺麗なものだけでなく、中には表には出せないようなものが含まれていた。それでも一流企業として幅をきかせる存在であることは否定しようもない。しかしそれも右代宮絵羽が亡くなるまでのことであり、纏め上げてきたトップが失われたことで右代宮グループは存続が危ぶまれるほどに揺れていた。最大の鍵を握る今では右代宮の唯一の後継者となった縁寿が全く関心を示さなかったことが大きい。一時は瓦解寸前まで陥り、縁寿の命が狙われるような事態にさえ発展しかけた。そこから何とか収拾をつけることが出来たのは、その縁寿が協力を申し出たからに他ならならい。彼女の後見人として指名された小此木が次期トップとなる。右代宮グループにとって最善の形だった。

 今日この場所に縁寿が居るのも、その最終確認を行うためであった。全てを小此木に任せた後の縁寿は隠居する手筈になっている。名前すらも捨てて、全く見知らぬ新たな土地で生活する。彼女自身が望んだことだった。小此木は勿論、役員以下も縁寿が役職に就くことに不満はない。むしろ喜んで迎え入れるだろう。それでも彼女の意志が無いのならば、無理強いは出来ない。彼らに出来るのは、彼女の『これから』を不自由ないものであるように支えることだけであった。

「じゃあそういうことで良いかな、縁寿ちゃん」
「えぇ。正直なところ私には会社の細かいことは分からないし、後は全部小此木さんにお任せするわ」
「責任重大だな」
「それでも引き受けてくれたことには感謝してる」
「感謝されるようなことじゃないさ、縁寿ちゃんに頼まれる前から心積もりはあったからね。ただ、きっかけが無かったんだ」
「私がそのきっかけとやらであるなら、やっぱり私のせいってことになるんじゃない?」
「そうかもしれないが、俺としてはむしろ縁寿ちゃんに感謝すべきだと思ってるよ」

正統な後継者でありながら無関心を貫いた縁寿の態度にも問題があったかもしれないが、いずれにせよ彼女の協力が無ければ右代宮グループはどうなったか分からないことは事実なのだから。噂されていたように彼女の命を奪うことで権利を奪うような事態になっていたならば、いずれ何らかの破綻を招くことになっていただろう。だから、縁寿が自らの意志で行ったこの決定の価値は代え難いものなのだ。

「っと、随分と引き留めちまったな。最終確認だけのつもりだったから、時間は掛からないはずだったんだが」
「気にしないで。これからの予定とか、特に決めてるわけでもないから」
「全くの新しい門出ってわけか。そうそう、そんな縁寿ちゃんに俺から一つ贈り物があるんだ」
「贈り物? それなら落ち着いてから改めて送って貰った方が有り難いのだけど」
「そうもいかないんだ、贈り物とは言ったが『物』じゃないんでね。入ってきていいぞ」

小此木が呼び掛けると、それを待っていたかのように扉から一人の人物が現れた。動き易そうなパンツスタイルの幾らか年上であると思われるその女性を見て、見覚えがないにも関わらず縁寿は何処かで会ったような気がした。室内をぐるりと見回してから縁寿の姿を認めると、彼女は柔らかく笑みを浮かべる。

「縁寿ちゃんなら一人でもやっていけるとは思うんだが念のためにな。まぁ付き人みたいなもんだと思ってくれ」
「ふーん、つまり護衛ってこと?」
「いや、護衛役は俺の方で別に用意させて貰ってるよ、護衛っていうより連絡役みたいなもんだけどな。こいつは俺が手配したんじゃなくて、自分から売り込みにきたんだ。縁寿ちゃんと知り合いだったって言うんだが」

知ってるかい? そう問い掛けるような小此木の視線を受けて、扉の横に立つ彼女を縁寿は正面から見つめる。その顔は知らないはずなのにやはり知っているような気がした。かつて縁寿と関わりがあった人間で今も生きている人はほとんど居ない。もしも彼女が本当に縁寿の知り合いであるならば、当てはまる人物は一人しか居なかった。縁寿が自分の方を見ていることを察した彼女は、一歩前へ出ると再度笑みを浮かべた後に深々と頭を下げた。

「お久しぶりです縁寿様、です。最後にお会いしたのはもう10年以上前のことですので、覚えていらっしゃらないかもしれませんが」
「そう、やっぱりなのね。忘れてなんかいないわよ」
「勿体ない言葉、有り難う御座います。今更私如きが出てきたところで出来ることなど限られているとは思いますが、少しでも縁寿様のお役に立てればと」
「というわけなんだ。こいつが意外と頑固で『どうしても』の一点張りでね。縁寿ちゃんの好きにしてくれ」

 小此木の言葉からは、のことを完全には信用していないということが伺えた。本来であれば、彼が先ほど言っていたように信頼出来る相手を一人手配すれば済む話なのだ。そこに自ら志願してきたとなれば当然きな臭くはある。そして何よりも小此木が不信感を抱いている原因は、と縁寿の接点がどのようにして生まれたかを知っているからだろう。縁寿とて、それは当然知っている。知っている上で、今ここに居るのことを信じようと自分の眼で見て決めたのだ。

「小此木さんの言いたいことは分かってるわ。だから、答えなさい。ご両親はどうしたの?」
「少し早い人生の余暇を送ってます。親孝行という名目で、今は北欧に行って貰ってます。ですから、心配は要りませんよ」
「つまり――誰の命令でもなく、貴女は自分の意志でここに居るということね?」
「はい。両親には彼らの力が及ばない所に行って貰いましたし、須磨寺とは無関係です。全てはという個人が縁寿様のために動いただけです」
「ならいいわ。これからまたよろしくね、
「縁寿様……至らぬ所もあるとは思いますが精一杯お仕え致します」
「小此木さんも、それで良いわよね?」
「縁寿ちゃんがそう決めたんなら、俺から言うことはねぇさ」

 肩を竦めてみせた小此木に、縁寿はそれ以上何かを言おうとは思わなかった。彼が縁寿のことを気遣ってくれるのは彼女のためを思っているからである。だからこそ、縁寿が何と言おうとも、信頼出来ると間違いなく確信を得るまでは彼はに疑いの眼差しを向けるのを止めはしないと分かっていた。時間は十分にある。少しずつのことを知っていけば、彼が抱く疑念が氷解する日も訪れるだろう。ならばこそ殊更に何かをするべきではなく、ただ縁寿が望むようにすれば良かった。

「それじゃあ最初のお願いよ。今はまだ『右代宮縁寿』だから仕方ないけど、新しい場所で落ち着いたらその口調は止めて」

また昔みたいに話しましょう、。縁寿のその言葉に、はしっかりと頷くことで答えた。かつて交わした幼いだけの約束を、夢物語ではなく現実とするために。

これからは(こんどこそ)ずっと一緒よ」

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