来るべき終焉に向けて

九十九遊馬に敗れたⅢは深い眠りに落ちた。 それがトロンから与えられた紋章の力の代償なのかは分からない。 唯一分かるのは、何をしてもⅢがその眼を開きはしないということだ。 彼が紅茶を淹れてくれることはもう無いし、あの暖かい笑顔を向けてくれることも無い。 その事実は少なからず私の気持ちを塞がせた。 もしも一人であったら、時間の許す限り部屋に閉じこもっていただろう。 けれども、そうならなかったのはⅣが居たからだ。 彼は、こうしている今も私の膝に顔を寄せて横になっている。 その姿はまるで母親に縋る幼子を想像させた。

随分と前から気付いていた。 優しいⅢと同じように、Ⅳもまた家族を大切に想っていることを。 一度は引き離された家族が集うことが出来たのだから、今度こそ一緒に居たいと願うのは当然だ。 長い苦難の経て変わってしまったとしても、変わらないものもある。 表面上はきつい言葉を使っていても、ⅣにとってのⅢは掛け替えの無い弟だったはずだ。 父を失い、兄とも引き離されて施設で過ごした日々。 互いだけが心の支えだっただろう。

だからこそ、眼を覚まさないⅢを前にして誰よりも塞いだのはⅣだった。 彼に呼び出された時、当り散らされるのかと思った。 そんなことは日常茶飯事であったし、それが私の仕事だからと諦めて部屋へと行った。 しかし予想に反して要求されたことは二つだけ。 『此処に居ろ』と『膝を貸せ』それだけだった。 Ⅳが何も言わないから、私も何も言えない。 生半可な慰めを求めているわけではないことは明らかだ。 そんなことをしようものなら、彼は容赦なく私を叩き出すだろう。 まるでこの部屋だけ外界から切り離されてしまったかのような錯覚を覚える、そんな静かな時間が流れる。 それで彼の心が平静を保てるというのならば、言葉など不要だった。 他に出来ることなどないから、私は今日もただ彼の髪を撫でる。

「なぁ……」

だから、最初はそれを聞き間違いだと思った。 腰に回された腕に込められた力が、それが現実だと告げる。 未だ顔は伏せられたままだが、その声は確かにⅣのものだった。

「お前は、何処にも行かねぇよな?」

何故、どうして今になってそんなことを聞くのか。 その疑問の答えには直ぐに思い当たった。
――明日からはデュエルカーニバルの決勝戦が始まる。 たったそれだけのこと。されどそれの意味すること。 そんなわけがないと心では否定していても、一度抱いた不安は完全には消え去ることはない。 今、Ⅳの心を占めているものは同時に私の心にも潜んでいる。
ぎゅっと更に強められた力で、彼が返答を求めていることに気付いた。 ⅢやⅤとは手触りの異なるⅣの髪に指を通す。 一見硬そうに見えて存外軟らかい髪は、するすると指の間を抜けていった。

「大丈夫だよ、私は此処に居るから。いつだって、呼べば来るから」

Ⅳの頭にそっと口付けると、彼の頭を抱え込むように抱き締める。 縋っているのは彼だけじゃない、私もなのだ。 そして私は出来もしない嘘を吐く。 彼のために、私のために。



「やぁ、最近随分と頻繁にⅣの所に行っているみたいだね」
「っ…………トロン」

Ⅳの部屋から戻る途中、不意に声を掛けられた。 神出鬼没、いつどこに現れてもおかしくはないと分かっていても心臓に悪い。 しかも、当然のように聞かれたくないことを聞いてくる。 仮面の奥から覗く右目は適当に誤魔化すことを認めはしない、明確な答えを要求していた。

「ねぇ、どうしてⅣにばかり会いに行くの? Ⅲは眠ってしまったけれど、まだⅤだって居るよね?」
「Ⅴには私など必要無いでしょう。Ⅳの元へ行っているのは彼が情緒不安定だからです。Ⅲのことで彼はかなり揺らいでいるようだったので」
「ふーん、そうなんだ」
「えぇ。そんなことで彼がつまらない相手に負けるようなことがあっては問題でしょう?」
「あははは、そうだよね。Ⅳにはやって貰わなきゃいけないことがあるんだから。うん、もう行っていいよ」
「失礼します」

こんなことでトロンが納得したとは思わない。 それでも許可が出たなら早々に立ち去るに越したことはない。 彼の脇を通り抜けて廊下を10mほど進んだところで、背後から声が聞こえた。

「言うまでも無いと思うけど、Ⅳに特別な感情なんて抱かないことだね。また君の記憶が消えちゃうよ?」

言われるまでもない。 そんなことは誰よりも私が知っているから。 きっと私はⅣを裏切ることになる。 トロンには逆らえない。 その時が来たら、どんな罵倒も受け入れよう。 でもその時が来るまでは、この嘘と欺瞞に塗れた私を


どうか貴方の傍に居させて下さい。


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