親しき者にも礼儀あり
香賀美タイガには姉が居る。彼自身の口から姉について語られることは滅多にないが、同じく姉の居る涼野ユウとは互いの姉について愚痴を漏らし合っている様子を見掛けることがある。ユウの姉と言えばハッピーレインの涼野いとであり、プリズムスタァとしてテレビなどメディアにおける露出も多く、その姿を知らない者の方が少ないだろう。女子部が独立をしたことで今のエーデルローズ寮とは実質的な関わりはほとんどないが、それでも華京院学園の生徒でもあるためエーデルローズ生の誰もが彼女の顔を知っている。対して、タイガの姉はプリズムショーとは縁のない一般的な大学生である。大学進学にあわせて上京をしてきたため、今はタイガと同様に地元青森を離れてこちらで生活をしているという。実家からの荷物を届けるために時折寮を訪れているようだが、生徒たちが居ない時間帯を狙って来ているためか、常駐の管理人である山田リョウと他数名しかその顔を知らない。顔を見たことがある者があまりにも少ないため一時期は実在を怪しむ声さえあったが、寮内で人目を避けるように誰かと電話をするタイガの姿が繰り返し目撃されたことでその疑惑はいつしか薄れていった。
暦の上では立春を迎えたとは言え外気はまだまだ冷え込む2月のあくる日、その日は数ヶ月振りにタイガと姉が会うことになっている約束の日だった。たまたまその日のレッスンが長引いて、たまたま走って駆け込んだ電車が信号機の故障で遅延して、振替輸送で乗った電車が詳しくない路線であったため降りるべき駅を通過してしまった。そうした偶然と事情が重なりあった結果、タイガが待ち合わせ場所に到着したのは本来の待ち合わせの時間から2時間近く後のことだった。流石にこの気温では外で待ってはいないだろうと思い、どこに居るかの電話をしようとしたところで、タイガは姉に約束の時間に遅れる連絡を入れていないことにようやく気付いた。また小言を言われるという倦怠感よりも、液晶画面に通知が一つ表示されていないことの違和感が彼の中で先行した。待ち合わせ時間に遅れている彼に対して、あの姉が一つも連絡を寄越さないというのはそれだけおかしなことだったのだ。愛想を尽かして既に帰っているかもしれないとは思わなかった。姉がこの日を割りと楽しみにしているということをタイガはよく知っているし、だからこそ彼だって駅まで走って電車に駆け込んだり、好きでもない満員電車に乗り込んでこの場所まで来たのだ。先程から何度かコールしている姉の電話は不通音が流れて直ぐに切断されてしまう。あまり考えたくはないが嫌な予感がタイガの背筋を駆け上がっていった。良くない想像が次々と彼の頭の中で浮かんでは消えていき、ただただ繰り返し電話をかけることしかできず気持ちばかりが焦っていく。そんな時、不意にタイガの視界が真っ暗になった。一瞬何が起きたのか分からなかったが、背中にかかっている負荷と聞こえてくる話し声で、背後から近付いてきた人物によってコートのフードを被せられたのだと気付いた。しかもご丁寧に上から押さえられているため、直ぐに視界を開くことはできたがフード自体を外すことができない。人の背中にのし掛かりながらなおも誰かと電話越しの会話を続けているらしい相手に先ほどまでの焦燥感も相まってタイガの中でふつふつと怒りが沸いてくる。
「いい加減にしろよ、姉貴!」
「聞こえた? あーうん、そうそう、今見付けたの。それでちょっと悪戯しようと思って後ろから近付いてフード被せたから。あはは、そうだよね」
「つーか、いつまで電話してんだよ」
「え? そうかなぁ。うーん、私としてはあんまり乗り気ではないのだけども。ん、わかった」
背中と頭にかかっていた負荷がなくなったところで、フードを勢いよく外しながら後ろを振り向いたタイガに対して、香賀美
は自身のスマホを差し出していた。少しでも彼女の身を案じていたことが馬鹿らしくなるくらい、あまりにもいつも通りの様子に怒るよりも気が抜ける。
「何してたんだよ」
「それは私の言葉じゃないかなー。とりあえず、電話代わってって」
「は? 誰だよ」
「タイガくんも知ってる人だし出ればわかるから、大丈夫大丈夫」
押し付けるように手渡されたスマホを仕方なく受け取ってタイガがそれを耳に当てる様子を、
はにこにことそれは楽しそうに見守っている。この先の展開がある程度、予想できているからこそなのだろう。
『しもしも〜タイガきゅーん? まずは無事に合流できてオメデトー』
「あ? てめぇ、カズオ! なんでお前が」
『なんでおれっちが
ちゃんの番号知ってるかって? そりゃ前に会ったときに教えて貰ったからに決まってるじゃ〜ん』
「はぁ? いつだよそれ」
『あれれ、もしかして
ちゃんから聞いてないの? ならおれからは言えないかな〜』
「んなことイチイチ聞けるわけねぇだろ」
『タイガきゅんが聞いたら、
ちゃんならあっさり教えてくれると思うけどねん』
タイガがちらりと横に居る姉を盗み見ると、彼の方を見ていた姉とばっちりと目が合ってしまい、慌てて逸らす。どこでカズオと会ったのかと彼が聞けば、姉は即座に答えてくれるだろう。ただ、それを姉に尋ねるということは、タイガがそのことを気にしているということを伝えることと同義だ。自分と同寮の人間と姉がいつの間にか知り合いになっていた、それが気になるのは何もおかしなことではないはずなのに、タイガにとってはそれを気にしていると知られてしまうことが何となく嫌だったのだ。だから、聞くべき絶好の機会であるこの瞬間に彼は躊躇ってしまった。
「姉貴とお前が知り合いなのはとりあえず、今はいい」
『ふ〜ん、聞かないんだねぇ。タイガきゅん、もしかしておねえちゃんが取られちゃったみたいで悔しい?』
「っ! んなわけねぇだろ!」
『はいはい、そーいうことにしておくよん。で、ここから本題なんだけど、タイガきゅんってば待ち合わせ場所に向かうのに必死で
ちゃんに遅れるって連絡するのすっかり忘れてたでしょ』
「……なんでカズオがそのこと知ってんだよ」
『心配した
ちゃんが泣きそうになりながらおれっちに連絡してきたから』
それを聞いて、タイガは今の状況について何となく察しがついた。姉の電話に何度かけても繋がらなかったことや、今こうして電話越しに話している相手が彼に伝えようとしていること。それらが全て何をきっかけに起きたのかということ。
「…………」
『まぁレッスンが伸びちゃったから、急ぐ気持ちもわかるんだけどね〜電車の遅延もあったし、でも今回はちょっとタイミング悪かったね』
「どういう意味だよ」
『名前ちゃんはクリスマスライブの時にシュワルツローズにキミが拉致されたこと、まだ気にしてるってこと。幸い今日は、急いでたタイガきゅんがプリズウォッチ付けっ放しで出掛けちゃったから、GPS信号辿って現在地をリアルタイム中継できたのもあって安心してくれたけど』
「迷惑かけた……わりぃ」
『あんまりお姉さんに心配かけちゃダメだよん。じゃ、そういうことで後は姉弟水入らずで楽しんできてね〜。ミナトっちにはタイガきゅんは晩御飯食べないって伝えておくから。
ちゃんにもシクヨロ〜〜』
タイガが通話の切れたスマホを無言で差し出すと「あ、切っちゃったの? 残念」と言いながらも全く残念そうじゃない顔で
はそれを受け取って鞄へと片付けると、改めてタイガの方へと向き直った。
「さて、カケルくんからも話があったみたいですが、タイガくん。お姉ちゃんに何か言うことはない?」
「……連絡しなくて悪かった」
「よろしい。今回は周りの人にも迷惑かけちゃったので、寮に戻ったらカケルくんにもちゃんとお礼を言うこと。いいね?」
今日の一件は自分に非があることが分かっているため、不承不承といった様子ではあるものの、タイガもその提案には素直に頷いて答える。頭を撫でるべく姉から伸ばされた手も、今回ばかりは振り解こうとは思わなかった。とにかく今は姉の成すがままになっておくべきだと長年の弟としのて経験が彼に告げていたからだ。下手に刺激をするのは得策ではない。何度か頭を往復したところで、満足したのか手を降ろした
は真面目な顔を作って再度タイガへと語りかける。
「タイガくんはさ、私がなんでいつも遅れる時は連絡してって言ってるか分かってる?」
「待つのが面倒だからじゃねぇの?」
「遅れるのは仕方ない。今日もレッスンが伸びたって聞いてるし、事情があるのも分かる。連絡をして欲しいのは、事故に合ったんじゃないかとかトラブルに巻き込まれてるんじゃないかとか、とにかく何かあったんじゃないかって心配になるからです」
「んなこと、頻繁にあるかよ」
「頻繁かそうじゃないかは関係ありません。タイガくん、お姉ちゃんが昔から度々言ってること忘れちゃった? 『親しき仲にも礼儀あり』とにかく、遅れそうな時は私相手でも必ず連絡して。わかった?」
「……っち、わかったよ」
「タイガくんが私相手だからこその対応をしてくれるのは嬉しい時もあるけど、待ち合わせの遅刻に関しては次やったらみんなが居る時間に寮に押し掛けちゃうからね」
「それは絶対やめろ」
「あと、カケルくんに電話したのは今日が初めてだから安心してね。前に荷物届けに行った時に『困ったことがあったらいつでも連絡してよん』って名刺渡されたんだけど、使う機会なくてそのままにしてたの」
「別に……聞いてねえし」
「はいはい。それじゃあタイガくんもお腹空いてると思うからご飯食べに行こうー」
ついてくからひっぱんな。という訴えなど聞こえていないかのように
はタイガの腕をしっかりとホールドすると、そのままぐいぐいと引っ張っていく。どうやら大層心配をかけたらしいということが分かってしまっているため、弟として久々に会った姉のわがままを今日はいくらか聞いてやらなくてはいけないことになりそうだ。ということは既に彼の意思も固まっている。とは言え、この姉の様子を見るに、今日はかなり振り回されることになりそうだと思うと先が思いやられる気持ちが吐き出した白い息と共にこぼれ落ちた。
2017/11/30 Dreamer's Friendship Party! 3 提出作品