かの望みの代償

最後のサーヴァントがこの地に召喚された。
そして、彼は彼女と――自身の運命との出会いを果たした。
2月2日。今宵、この冬木市において第五次聖杯戦争が始まる。



「そろそろかな」

 外の様子は分からないが、夜の静寂は戻ってきていた。 既にランサーは立ち去ったということだろう。 は自分の布団から抜け出すと、上着を一枚羽織って部屋を出る。 眼はずっと前から醒めていた、それこそ、士郎が帰宅した時から。 けれども、彼女が起きるのは『今』でなければいけない。 もし、あの時点でが起きていたならば、士郎は彼女を庇ってランサーに殺されてしまうから。 繰り返す内に学んだことの一つ。 だから、彼女は寝てなければいけない。 遠坂凛が家に上がってくる、その時まで。

「傷付くところは見たくないのに、知っていながらそれを止めることが出来ないなんて」

 彼女は因果律に縛られているわけではない。 未来を改変するべく動くことも出来る。 けれども、彼女が何をしたところで未来は変わらない。 それは既に決定されている事象であるから。 あるべき姿に戻るように世界の力が働く、その際にはより多くのものが失われるのだ。 彼女が動くことで改悪はされても改善はされない。 故に、彼女には動かないという選択肢しか残されていなかった。

「何度考えたところで無駄なこと、か。例え行く末を知っていても、私は無力でしかない」

 冬の寒さを纏って冷え切っている廊下を歩く。 深夜を回って当然家中の明かりは消えている筈だが、一つの部屋だけ明かりが灯った。 明かりの灯った部屋――居間に着いたは、直ぐには入らずに中の様子を伺う。

「……やりあってなんかない。ただ一方的にやられただけだ」
「ふうん、ヘンな見栄はらないんだ。……そっかそっか、ホント見た目通りなんだ、衛宮くんって」
「―――Minuten vor Schweiβen」
「今の修復系の魔術か?」
「そうよ。でも……修復されてない?こんなの初歩なのに失敗したなんて、そんな筈は……」

 中から聞こえる声は二人分。 一人は弟である士郎の声、もう一人は『今はまだ』会ったことは無いけれど、良く知っていて懐かしくもある人物のものだった。 凜の詠唱が終わる、そのタイミングを見計らって、は居間へと入る。

「士郎? こんな時間に何やってるの?」
姉! 起きてたのか?」
「さっき眼が醒めたのよ。それで……後ろの二人の女の子は誰かしら? こんな時間に女の子を連れ込むなんて、どうなるか、分かってるわよね?」

 何度も体験したこと。 それでも決して演技じゃない、いつだって言葉は考えずとも口から出てくる自然なものだった。 此処に居る彼女は生きているから、そこには偽りなどは無い。

「いや、えーとこれは、違うんだ」
「何が違うのか、ちゃんと説明なさい」
「その、遠坂はクラスメイトで……」
「クラスメイトだとしても、どうしてこんな時間に家に来るの? 今は12時もとっくに過ぎた深夜よ」
「…………」

 士郎は視線で凛へと助けを求めるが、凛は初歩であるガラス修復に失敗したことについて考え込んでいて気付かない。 事情を知っていると悟らせない為には仕方ないことではあるが、これ以上、士郎を虐めるのも可哀想だ。 自分でも良く分かっていない状況を説明しろ、というのは士郎には無理な話だろうし。 ここらが潮時だと判断したは、不意に表情を切り替える。

「遠坂さん。だったかしら? 別に貴女に魔術が使えなくなったわけじゃないから、心配しないで」
「どういうこと? いえ、その前に、貴女も魔術師なの?」
「そうよ。だって士郎がそうなら、姉の私もそうであったところで不思議はないでしょう」
「でも、魔術師は一子相伝が基本じゃない」
「私も士郎も切嗣さん――義父と血は繋がってないから。それに、義父が直接教えたのは士郎だけだし、一子相伝にはなっているんじゃない?」

 屁理屈だと言われるかもしれないが、それが事実である。 最も、士郎は一子相伝など知らなかった可能性が高いが。 切嗣さんは士郎に魔術師としてではなく人として生きることを望んでいたから、彼は魔術師として知っておくべき知識の大半が欠けている。 自身も人のことをとやかく言える程に詳しいわけではないが、それは此処で敢えて触れるべきことではないだろう。

「まぁいいわ。その件については追い追い聞かせて貰うから。それで、私の魔術はどうして発動しなかったの?」
「この家に結界が張ってあるのは気付いてる?」
「侵入者警告用のものね」
「そう。それを張ったのは義父なのだけど、今は私が時々修復をしてるから。その時に少しアレンジを加えて、私の許可無しにはこの家では魔術が使えないようにしてあるのよ」

 正確には許可というよりも認識といった方が近いだろう。 が認識している魔力ならば使えるが、未知のものに対しては妨害が生じるということだった。 しかし、複雑な術でも無いので強大な魔力の持ち主ならば容易く破ることが出来る。 キャスターならば、この程度もの妨害とも思わないだろう。

「だから発動しなかったのね……」
「今はもう使えるわ。さっきの発動で貴女の魔力は認識したから」
「そんな簡単に許して良いの? 私は敵かもしれないわよ?」
「もし貴女が敵ならば、私も士郎も既に殺されてるでしょ。少なくとも今は敵ではないということだから、それでいいの」

微笑むを前にして凛は暫くの間、納得がいかないという顔をしていたが、その後、呆れたように溜息を吐いた。

「貴方達、絶対に早死にするわ」

 そう言って、窓の修復魔術を再び詠唱する。 巻き戻しをしているように割れたガラスが元に戻って行くのを見て、凛は安堵したように少しだけ表情を緩めた。 やはり魔術が発動しなかったことを多少は気にかけていたようだ。 今までこの程度の初歩魔術で失敗したことは一度も無かったのだろうから、当然と言えば当然だろう。

「それで、遠坂さんは何の用なのかしら? とは言っても、予想は付いているのだけど。後ろに居るのは……サーヴァントよね?」
「あら、衛宮くんは全く知らないみたいだけど、貴女は知ってるの?」
「士郎と私では事情が違うもの。それで、彼女はどちらのサーヴァント?」
「衛宮くんよ。私のサーヴァントは屋根の方に居るわ。ねぇ、知ってるなら貴女が衛宮くんに説明してくれない?」
「んー私も細部までは知らないから。それなら、此処での聖杯戦争の基盤を作った一人である遠坂の子孫が説明した方が早いと思うわ」
「驚いた……貴女そんなことまで知ってるのね」
「古い文献を読めば誰でも分かることよ。さて、じゃあ私はお茶でも入れてくるから、士郎。彼女の説明ちゃんと聞きなさいね」
「ちょ、姉!? どういう状況か分かってるなら説明してくれよ!」
「安心して、今から私が説明してあげるから。衛宮くん、自分がどんな立場にあるのか判ってないでしょ」

 がお茶を入れるべく台所へと立ってしまうと、後に残された士郎は、唯一の味方である筈の姉に投げ出されて困惑していた。 しかし、そんなことはお構いなしに凜は説明を始める。 そしてこの場に居るもう一人の人物はと言うと、へと警戒の視線を注いでいた。 敵か味方か分からないこともあるし今のセイバーならば仕方が無いことであるのは分かっているが、セイバーからの敵意というのは身に突き刺さるようだった。 それにしても、このセイバーが後に腹ぺこ王になるとは……こればかりは、何度経過を見ても未だに信じられないことである。
 は極力視線を意識しないように少し先の未来の彼女について夢想しながら、台所での作業を続ける。 凜が好む紅茶に関しては現時点ではティーパックしかないので、衛宮家ご用達の緑茶を選ぶ。 お湯が沸騰したところで、急須に注ぎ適度な色味が出るまで茶葉を蒸らす。 いつもよりも時間を掛けてこなしているのは途中で戻って話の邪魔をしない為だ。 台所に居ても、会話の端々は耳に入ってきていた。 そうして話が終わりそうな頃合になったので、お茶を乗せたお盆を持って居間の方へと戻る。

「説明は終わった?」
「えぇ、衛宮くんも大体の事情は理解出来たみたいだし。これから監督者のところへ行ってくるわ」
「でもその前にせっかく入れたんだからお茶飲んでいってね。遠坂さんも説明して喉渇いてるだろうし。あ、セイバーさんの分もあるから飲んでね」
「ありがとう、頂きます。それと、私のことはセイバーと」
「ちょっと、待て。どうして姉はそんなに二人と馴染んでるんだ」
「どうしてって、お客さんをもてなすのは家長として当然のことでしょう?」
「客……なのか、二人は?」
「そうね……そういえば、まだ自己紹介をしてなかったわ。改めて、士郎の姉の衛宮です」
「……衛宮くん。貴女のお姉さんいつもこうなの?」
「まぁ、だいたいな。姉は多少のことでは動じないぞ」
「そんなことないって、私だって予期せぬことがあったら動じるわよ?」

 がそう言うと、二人からとても疑わしそうな眼で見られた。 セイバーはと言うと、我関せずといったように美味しそうにお茶を飲んでいる。 元からアクシデントがあっても、大変だな、と思う程度ではあったが、それに加えて大抵のことは経験し尽くしてしまっただけである。 もしも未だ体験し得ない事態に遭遇したら、動揺することもあるだろう。

「納得してなさそうね……まぁいいけれど。私のことは一先ず置いといて、時間も遅いしそろそろ行った方が良いんじゃないの?」
「そうね、夜明けまでには戻って来たいし。衛宮くん、行くわよ」
「行くって何処へ?」
「この聖杯戦争を監督してる奴のところよ。大丈夫、隣町だからそんなに遠くないから」
「いや、そういう問題じゃなくて。それに、姉はどうすんだよ。此処に居たらまたさっきの奴が襲ってくるかもしれないだろ」
「ランサーの狙いは衛宮くんだったから、アイツはもう来ないと思うけど……でも確かに他のマスターが弱点として狙ってくることはあるかもね」
「私のことなら気にしないで。守りに関しては自信があるから、よっぽどのことが無い限り大丈夫よ。だから行って来なさい」

 を一人残すことに渋る士郎を説得し、凜とセイバーと共に送り出す。 彼が言峰の所へ行かなければ全ては始まらない。 本当は……あんな所へ士郎を行かせたくは無いけれど、それが彼の為でもあるから。

「新都だから少し時間が掛かるだろうけど、なるべく早く帰って来るのよ」
「分かってるよ。じゃあ、行ってきます」

 遠ざかる士郎の背中を見送る。 これから彼が出会う白い少女のことを知りつつも止めることが出来ない自分の歯痒さを噛み締めながら。 セイバーの治癒力があるとは言っても、痛みが無くなるわけではない。 数時間後に深い傷を負って帰ってくる弟のことを思い、は一人胸を痛めた。 この痛みを、あと何度味わえば良いのだろうか。


望みを叶える為の代償は、あまりにも重い。
それでも、叶えたいと思う望みがあった。

2010.07.11.