拭いきれない不安

 冬の寒さも窮まってきた二月。は家に向かって新都から深山町へと急いでいた。

「うーん、まさか他教科の対策まで頼まれるとは思ってなかった。……連絡もせずに遅くなったこと、士郎怒ってるかな」

 稼ぎが良い、という理由でしている家庭教師のアルバイトが予想外に遅くなったのが原因だった。 テストが近いことから多少は遅くなる可能性も考慮していたが、1時間も延長することになるとは思っていなかったのだ。 この時間では新都と深山町の間を走るバスも既に無い。 タクシーに乗る等という無駄遣いはしたくなかったので、は家へと歩いているのだった。

「延長分はきちんと支払って貰えるだろうけど。いくら稼ぎが良いとは言え、時間が一定じゃないのは考えものね……」

 切嗣亡き後、と士郎は自分達で生活している。 後見人として大河の祖父である雷画氏が居るが、二人共それなりに成長したこともあって金銭面は全て自分達で賄っていた。 そのこともあり、は大学へ進学せずに就職することを望んだが、士郎と大河に説得されてしまった。 結果、返還義務の無い賞与形式である奨学金を貰いながら、は公立大学へと通っている。 せめて稼ぎの良いアルバイトをして士郎に負担を掛けないようにしようと深夜の居酒屋で働こうとしたのだが、何故か猛反対に合ってしまったのだ。 そして仕方なく、現在の家庭教師のバイトに落ち着いたのである。

「やっぱり士郎に頼んで居酒屋のバイトにしようかな……あ、でも今日は怒ってるだろうから、話は明日にしないと」
「何を一人でぶつぶつと喋っているんだ。それとも君には、私には見えない誰かが見えているのかね」

 不意に背後から聞こえた声に振り向くと、其処には赤い外套を揺らしながらアーチャーが立っていた。 考え事をしながら歩いていたので気付かなかったが、どうやらは深山町の交差点にまで来ていたらしい。

「この時間に新都から歩いて帰るのは久しぶりだから、喋って気を紛らわしてたのよ。意外と暗いんだもの」
「客観的視点から言わせて貰うと、このような時間に独り言を呟きながら歩いている君こそ、不審人物だと通報を受けるだろうよ」
「それは、そうかもしれないけれど……。それより、アーチャーは何で此処に居るの。まさかそんなこと言う為だけに来たわけじゃないでしょう?」

 あからさまに話を逸らそうとするにアーチャーは呆れたように溜息を吐く。 そのことについて彼女に追求するのは容易いことであったが、彼には他にするべきことがあった。 それは、奇しくもが振ってきた話題に答えることに繋がる。

「私は君を迎えに来たのだよ。今の冬木市がどういった状況下にあるか、分かっているだろう。君も魔術師なのだから、このような時間に一人で歩くなど自ら死地に赴くようなものだ」
「心配してくれたの?」
「私のマスターはお人よしだからな。君なら大丈夫だと頭では理解していたようだが、迎えに行くように命じられた」
「凛は私のことなんて気にしてないと思っていたのだけど……そんなことなかったか。これは大人しく怒られてあげた方が良さそうね」
「怒るというのは心配しているということの表れだ。凜だけでなく、奴も怒っているようだったしな。二人に怒られることで、君は今回の件について反省をすると良い」

 連絡を入れるという手間を省いたのはどうやら失敗だった。 は予想外の人物にも心配を掛けていたらしい。 家で待つ二人、いやセイバーを加えた三人のことを考えては申し訳なく思う。 そうしている内に、アーチャーを追求する機会を逃してしまった。 先程の問いは彼に向けたものであったのだが、見事にはぐらかされてしまったのだ。 自身に問い掛けられていることは分かった上で、アーチャーは凛の話にすり替えていた。 士郎ならば、素直に答えてくれただろうに。 世界の掃除屋などというものをしている間にすっかり捻くれてしまった弟へ、恨みがましい視線を送っていたの前に手が差し出される。

「いつまでもこのような場所で立ち話をしているわけにもいくまい。帰るぞ」
「そのことに反対意見は無いけれど、その手は何?」
「君との無駄話に時間を使ってしまったのだ、君を抱えて行けば、歩くよりも時間の短縮が出来るだろう」
「屋根の上を通って行くということ? これだけ遅ければ、10分や20分遅くなったところで変わらないと思うけれど」

 とアーチャーがこうして二人で話をする機会は多くは無い。 衛宮邸においては他の同居人の眼もあり、今のように気兼ねなく話すことは出来ない。 そして何よりも、今の『アーチャー』は凛のサーヴァントである。 そういった事情から、家ではからアーチャーに話し掛けることはほとんどなかった。 だからこそ、せっかくの機会をは無駄にはしたくなかったのだ。 歩いて帰れば、それだけアーチャーと会話をする時間も増える。 そう考えての発言だった。

「生憎と、私には屋敷周辺の見張りという仕事があるのでね」
「つまり一刻も早く帰りたいと」
「警戒が手薄になることで被害が及ぶのは屋敷内の者達だからな。それと――」

 腕を掴まれた、と思ったら次の瞬間にはの身体は暖かい感触に包まれていた。 アーチャーに抱き寄せられていると気付いたのは数秒後のことだった。 昔は同じ位の大きさであったのに今では見た目通りに筋肉で覆われた鍛えられた身体を前にして、士郎とはやはり違うのだなとが思っていると、頭上から本日二回目となる溜息が聞こえた。

「……冷えているな。寒いならばそう言えば良いだろう」
「これくらい、我慢出来ない程じゃないもの」
「そう言って、いつも風邪を引いていたのは誰だ。帰って身体を暖めないとまた風邪を引くことになるぞ」
「……心配してくれたの?」

 少しずつ早まっていく鼓動の音はどちらのものか。 とくんとくん、という音を聞きながら、は敢えて先程と同じ質問をアーチャーへと投げ掛ける。 答えを聞きたいと思うのは、言葉として想いを確かめたいからだ。 そんなことは無いと分かってはいるが、それでもは時々不安になることがあった。 アーチャーは彼女のことを、心の底では恨んでいるのではないかと。 が胸中に抱いている想いに気付いているのだろう。 顔を上げようとしない腕の中の存在に苦笑を浮かべながら、アーチャーは彼女の望む言葉を紡ぐ。

「風邪を引かれると困るから心配をしていた。……これで満足か?」
「うん、ありがとう」
「全く、君は余計なことを気に掛け過ぎだ。それとも、私の言葉はそんなに信用出来ないのかね?」
「……そういうわけじゃないけれど」
「まぁいい。今度こそ帰るぞ」

 そう言うと、アーチャーはからの返事を待たずに彼女を抱き上げた。 俗に言う、お姫様抱っこというものである。 抱き締められるという状況までは士郎とも極稀にではあるが行うこともあるので姉弟のスキンシップと受け入れていたであったが、流石にこれには抵抗した。

「ちょ、アーチャー! 降ろしなさい! さっきは『抱える』って言ってたでしょ!?」
「君に合わせているよりもこちらの方が早い。なに、数秒もしない内に着くさ」
「だからって、もっと他に方法が」
「掴まってないと落ちるぞ」
「アーチャーっ!!」

 の反論を端から聞くつもりが無かったアーチャーは既に民家の屋根まで登っていた。 抵抗も虚しく降りることの叶わなかったには、アーチャーの忠告通り彼の首にしがみつく以外の道は残されていなかったのだ。 そして、そんな状態で戻ってきた彼達を見て、姉の帰りを玄関で待っていた士郎が食って掛かるのは十分に予想出来たことだろう。 目の前の事態を回避出来なかったことをは悔やむが、既に遅い。 弟達の舌戦を止めるという仕事が彼女には残されたのだった。

2010.10.03.