その輝きは標となる
今眼に見えているあの光はずっと昔のものなんだよ。
僕らが生まれる前からずっと広い宇宙を伝わってきて、漸く此処に届いている。それは気が遠くなるような孤独な時間だろうね。
それでも星はいつだってこの空で輝いていて、時には目印になってくれる。
目印?
そう、道を見失った人に進む方向を教えてくれるんだよ。覚えておくと良いよ、。
うん、切嗣さん。
静かな夜だった。
聖杯戦争が始まりこの冬木市はその舞台となっているはずなのに、それを感じさせないくらいに。
現在衛宮邸には魔術師が三人も居るのだ、彼女が参加者では無いにしても屋敷そのものが十分に攻撃対象になり得る。警戒をするに越したことは無いだろう。
それにも関わらず、は外からも良く見える縁側に腰を掛けていた。
2月、季節は冬だ。
夜はかなりの冷え込みだというのに、彼女は部屋着にカーデガンを一枚羽織っただけの格好をしている。
寒さを感じないわけでは無いのだろう、時折両手に息を吹き掛けて温める仕草をしていた。
そしてその間も、視線は逸らされることなく空を見上げていた。
「そんな薄着で外に出て、君は自分の身体を理解しているのか」
「大丈夫よ、風邪なんてよっぽど身体が弱ってる時にしかひかないから」
「なら君の身体は大体において弱っているということになるな。痩せ我慢は止して、これでも羽織っておくといい」
そう言っていつの間にか背後に立っていたアーチャーはストールを差し出した。
それは彼女がこの時期に愛用しているものであることから、恐らく部屋からわざわざ取ってきたのだろうことが分かる。
もかつて何度も勝手に部屋に出入りをしていたから、今更部屋に無断で入られたことをどうこう言うつもりは無い。
ただ、そこまで世話を焼いてくれなくても良いのに、と思うだけである。
「ありがとう。寒いよりは暖かい方が良いから、貰っておくわ」
「こちらとしても、あまりに寒々しい君の姿が視界に入るので見張りに集中出来なかったからな」
「ふーん……心配してくれた?」
「好きに解釈するといい。それで、君はこんなところで何をしていたんだ?」
からの質問に対してアーチャーは相変わらずはっきりとした答えを返そうとはしない。
彼にはを特別扱いをすることは出来ないのだろう。
何故なら彼は『アーチャー』なのだから。
アーチャーにとって、を姉として扱うことは出来ないということだ。
とて、マスターとサーヴァントの関係は理解している。
時々明確な言葉を望んでしまうこともあるが、基本的には彼が示してくれる優しさ以上のものを求めようとはしない。
彼と再び同じ場所に立てている、それだけで幸せなのだから。
そのために、彼女は此処に居ることを望んだのだから。
そうしては再び視線を空へと戻した。
「見て分からない? 星を見てるの」
「それは分かっている。だが先程から見ている限りでも、君がそうし始めてから既に20分は経過しているのでね。そこまで見るものがあるのかと思ったまでだ」
「……そうね随分と昔のことだから、貴方は覚えてないかもね」
「何のことかね」
「この季節にこの場所、それとホットココア。覚えはない?」
「…………衛宮切嗣か」
数瞬、考えるそぶりを見せた後、アーチャーはかつての養父の名を口にした。
その顔には何の感情も浮かんではいなかったが、思うところはあったのだろう。
微かに声が揺れていた。
無理もない。この場所はあの約束を交わし、彼の進む道とその未来が決まった場所でもあるのだから。
「そう。いつだったか、切嗣さんに星の話をしてもらった。あの日も、こんな寒い冬の夜だった」
「冬は空気が澄んでいるから、星が良く見えるんだったな」
「新都と違って深山町は灯が少ないから、星の光を遮るものが無いというのもあるでしょうけどね」
夜空に浮かんだ星の輝きは肉眼でもかなり暗いものまで容易に捉えることが出来る。
それは季節と地理的な条件の双方が揃っているからこそだろう。
だから、かつての切嗣も星の話などしたのだ。
と同じように星を見上げながら、アーチャーが呟きを漏らす。
「星か。こんな風に眺めることは随分と長い間していなかったな」
空を見上げる。
ただその程度のことをするだけの余裕すら与えられず、彼は守護者として酷使されていたのだろう。
それこそ、自身の存在を消すことを考える程に。
そんな彼の想いを感じ取りながらも、はそこには触れようとはしなかった。
彼が今のようになってしまったのは自分のせいもあるのではないか。
その罪の意識は消えることなく彼女に刻まれていたから。
「それは残念ね。私はずっと星を見ていたのに」
「君の行動が、どう私と結び付くと?」
「空は変わらない。何処にあっても同じ、そして星はその輝きを届けてくれる」
繰り返す日々の中、変化こそが彼女の支えだった。
けれども、変わらないからこそ彼女の支えとなったものがある。
それが空だった。
「空と其処に輝く星はいつだって同じ。それなら、同じ空を貴方も見ているかもしれないじゃない? だから、私は星を見ていたの。僅かでも良い、貴方と繋がっていたかったから」
「それは……期待のし過ぎではないか。空が必ずしも同じであるとは言えないだろう。光自体届くのに距離によっては一億光年も掛かるのだから」
「アーチャー。貴方重要なことを忘れてるわね」
「あの話を聞いてからどれだけの時間が経ったと思っているんだ。磨耗して忘れてしまったことの方が多いさ」
「言い訳しないの。あのね、孤独な旅とか覚えてるくらいなら、標の話も覚えておきなさい」
孤独な旅をしてきた光はやがて地球に届く。
そしてその光は標として人を導いてくれる。
見失ってしまった何かを、人に教えてくれるのだ。
「見失ってしまった自分を見付ける為にも、私は空を見上げていた。星はいつだって導いてくれたわ」
「君はどれだけの時間を、そうして過ごした」
「私は良いの、自分で選んだことだから。でもアーチャー貴方は違うでしょ」
「私も自分で選んだことだ。あの時、救えぬ命を救う為に、こうなることを決めた」
「違う。貴方の目指した『正義の味方』は守護者じゃない。だから、見失ってしまったんでしょ」
死してなお、彼は人を恨むことをしなかった。
世界との契約も、守護者として人を救うことが出来るなら、と思っていた。
そうして彼に与えられたのは、望まない殺人の繰り返しだった。
「この終わりがどうなるのか、私も知らない。でも、此処に留まることは出来ないと思う、貴方も私も」
「そうだろうな」
「貴方はまた守護者として望まぬ役割に戻ることになるかもしれない。その時は空を、星を見て。貴方を導いてくれるから」
「それで君は、どうなる?」
「さぁ? 私の望みは叶えられてしまったから、この生が終わったらどうなるのかは分からない。契約の時にそんな話はしてないもの。でも、私が今まで『空を見てきた』という事実は確かに残っているから。貴方が見てる空を、きっと私も見てる。忘れないで」
「……全く、君は私にどれだけのことを忘れさせないつもりなんだ」
「覚えていて欲しいことばかりなんだから、仕方ないでしょう」
再会からがアーチャーに対して繰り返す『忘れないで』という言葉。
守護者という役割の中で、彼の生きていた頃の記憶は磨耗していった。
生涯離さなかったペンダント、その持ち主である恩人の名前さえも例外では無い。
けれども、こうしてこの時代に戻ってきたことでその多くは取り戻されることになった。
せっかく思い出した記憶、二度と忘れて欲しくは無いという彼女の想いもアーチャーには分かる。
しかし、その中で唯一、忘れなかったものがあることを彼女は知らない。
『』
その名前だけは磨耗することなくアーチャーに刻み込まれていた。
彼の生き方を肯定し、最後まで自分と共にあると言ってくれた人。
自分の為に多くの命と、自らの命を犠牲にした人。
そして、義姉であると同時に誰よりも大切な人。
彼が気付いた時には全てが遅かった。
告げることの出来なかった言葉はその想いと共にこのまま抱えていくのだろうと思っていた。
けれども、彼女は今、再び彼の前に居る。
「あ、そうだ。ただ星を見てるだけじゃつまらないと思うから、ついでに星座と星の名前教えてあげる。冬の星座に関しては完璧なのよ、私」
「それは構わないが、君は何処に行こうとしてるんだね」
「台所。せっかくだからココアでも入れて、屋根の上で見ましょう。そっちの方が星も沢山見えるしね」
「ふむ、君に作れるのか?」
「なっ……莫迦にしないで! 切嗣さんに出来たのだから、私にだって出来ないわけないでしょう」
「君が衛宮切嗣をどう思っていたかは良く分かった。まぁ君がそう言うならば、お手並み拝見とさせて頂こうか」
「アーチャー……間違ってたら、教えてね」
振り返って気まずそうに告げたの言葉に対し、無言でその後をついていくことでアーチャーは肯定を示す。
彼女は忘れていることがあった。
切嗣が居た頃と違い、現在の衛宮家にはインスタントココアなるものが存在しないということを。あるのは製菓用の純ココアだけである。
悪戦苦闘するの傍らで、彼女が慌てる様をアーチャーは楽しそうに眺めていた。
完成したココアを片手に二人が屋根で星を見上げるのはもう少し先の話。