宣戦布告
一体どうしてこんなことになっているのだろうか。
背中を壁に付けた状態で目の前を塞ぐように立っているアーチャーを見上げる。
私の記憶違いでなければ、珍しく廊下で鉢合わせた彼にささやかなお願いをしていたはずなのに。
「アーチャー? 何がどうなってこんなことになってるの?」
「君があまりに鈍いので実力行使に出たまでだ」
「どういうこと? 私はただ、昔みたいに『姉』って呼んで欲しい、というお願いをしただけなんだけど」
聖杯戦争は終焉を迎え、サーヴァントとして召喚されたアーチャーもまた消えた。
しかし彼は今、再び現界している。
此処に居るのは『答えを得た』彼だ。
ならばあらゆる柵から解放された彼にかつてのように呼んで欲しいと望むのは姉として普通のことだと思う。
それがあっさりと拒否された上に、何故か壁に追い込まれている。
納得がいかないと主張したくもなるものだ。
「君はこの状況に何も感じないのか?」
「特には。距離が近いなぁというくらいね」
「君の日常生活が多いに不安に思えるな。もう少し危機感を持ってくれ」
「私だって危機感くらい持ってるわよ」
そもそも、相手がアーチャーでなければこの状況だって早々に抜け出している。
顔の横に手をつかれて壁との間に閉じ込められているとは言え、いくらでも動きようはあるのだから。
ちなみにこの世界の士郎はこんなことしないので相手として想定してない。
そう、可愛い弟相手にどんな危機感を持てというのか。
「だから、その認識を改めて欲しいんだ」
「どれのこと?」
「ここまでして分からないとは……君の重ねてきた人生経験とやらは無駄ばかりだったらしい」
「ちょっと、目の前で溜息吐かないでくれる?」
「そうさせているのは君だろう。どうやら口に出さねば分からぬようだな」
その大きな手で呆れたように顔を覆っているアーチャーを眺めていると、顔を上げた彼に正面から見詰められた。
至近距離から真っ直ぐに向けられた視線に心臓がどきどきする。
我が事ながらそれを不思議に思っていると、アーチャーが少し身を屈めて私の耳元に顔を寄せた。
「いつまでも弟の立場に甘んじてるつもりはないよ。オレだって男だ」
言葉の意味を理解するより早く、アーチャーの唇が耳を食んでその形をなぞるように動かされる。
背筋にぞくりとした感覚が走った。
突然の出来事に真っ白に成りかける頭を必死に動かして、何が起きているのか理解しようとする。
とにかく、此処で思考停止してしまったら駄目な気がした。
「ぁ、えーと、とりあえず離れて!!」
「嫌だ」
「っ……いやってそんな、ちょ、それストップ!!」
彼の唇は猶も耳元を離れる様子は無く、言葉を発せられる度に吐息が耳にかかって身体がぴくりと震えてしまう。
顔の直ぐ横に見えるアーチャーの背中が僅かに揺れていることから、彼がこの状況を愉しんでいることが分かる。
こっちはいっぱいいっぱいだと言うのに、全く良い気なものだ。
そんなことを考えるだけの余裕は出てきたものの、心臓は未だに物凄い速さで脈打っている。
これだけ密接しているのだから当然アーチャーにも聞こえてしまっているのだろう。
「どういうことか分かった?」
「十二分に分かりました。だから離れて」
そろそろ色々と限界を迎える気がする。
そう思って両肩を掴んで軽く押すと漸くアーチャーは離れてくれた。
未だ片腕は後ろの壁についたままだったが、それでも先程までよりは随分と余裕ができる。
空間的にも、気持ち的にも。
「そういうわけだ。オレは紫を姉として見てないから前みたいな呼び方はできない」
「ちなみに……いつから?」
「さぁ、いつからだろうね」
つまりアーチャー……いや、士郎は私のことを異性として見ているらしい。
今に至るまで全く気付かなかった。
はぐらかされてしまったが一体いつからなのか、凄く気になる。
もしも一緒に暮らしていた頃からなんて言われたら、正直どうして良いか分からない。
そんな雑多な思考とは別に、改めて彼からの好意を認識してしまったことで頬に熱が集まっていることが分かる。
顔を逸らして隠そうとしたが、それより一瞬早く彼の手が頬に添えられた。
「真っ赤だな。どうやら少しは意識して貰えたらしい」
「流石にあんなことされて意識しないほど鈍くはないわよ」
「それは良かった。行動で示した甲斐があったというものだ」
そう言ってアーチャーはとても満足そうな笑みを浮かべる。
その顔を見ていると羞恥心が募ると同時に、あそこまでされないと分からなかった自分の鈍さを恨めしく思う。
もっと早くに気付いていたら少なくともあんな状況には追い込まれなかっただろう。
そんなことを考えていたら、無意識の内に先程まで彼が触れていた耳に手を当てていたらしい。
にやりと笑みが深まるのを見て、慌てて手を下ろす。
どうにも良いように振り回されている気がしてならない。
まさか実は全部嘘で私をからかっているだけなんてことはないのだろうが、私の反応を愉しんでいることは間違いない。
「君のことだ、どうせ直ぐに答えは出るまい。今ここで答えが欲しいとは言わないさ。だが――」
頬を伝い下りた手はそのまま一房の髪を掬い上げた。
自然な動作でそこに口づけると、そのまま視線だけこちらに向けて言う。
「私はあんまり気が長い方ではないということを覚えておいてくれ、」
するりとその手から髪が零れ落ちた時には既に彼の姿は無かった。
恐らく霊体化したのだろう。
気が長くないってそれが本当ならこんなところに居ないでしょう。とか言いたいことは色々あったのだが、一人残された私はその場に立ち尽くすことしかできなかった。
あまりに突然のことで頭が追い付かない。
いっそ夢だったんじゃないかと思いたいが、当分は収まりそうにないこの動悸が何よりも今起こったことが事実だと告げている。
アーチャーは弟だ。
確かに血は繋がっていないけど、それでも大切な弟であることに代わりは無い。
そう思っていたのだが――
「これからどんな顔して会えばいいのよ……」
彼に恨まれているのではないか。
そう悩みながら過ごしてきたあの時間よりも会いにくいとさえ思う。
ずるずると壁伝いにそのまま廊下に座り込む。
冷えた廊下の温度は火照る身体には心地良かったが、答えは出そうになかった。