ぐるり巡った想いの末路は、

それはもう、思い出せないくらい昔のことだ。

雷画に連れて行かれたのは、藤村組よりは小さいがそれでも十分に立派な門構えをした坂の上の屋敷だった。
広い庭で待っていたのは一人の男。

。今日からお前はこの家の人間だ」
「藤村のお家に居てはだめなの?」
「うちは特殊でな。普通の家で暮らすことがお前のためだ」
「……わかった。また、遊びに行ってもいい?」
「おぉ、いくらでも来い。大河のやつは心配せずとも、勝手に此処に来るだろう」

 雷画は眼前の男に一言、よろしく頼む、と告げると、大きな掌で彼女の頭をくしゃりと一撫でして立ち去って行った。
残されたのは二人。 最初に口を開いたのは男だった。

「君がちゃんだね。僕は衛宮切嗣、一応戸籍上はこれから君の父親ってことになるんだけど、無理にそれを押し付けるつもりはないから。一緒に暮らしてる他人、とでも思ってくれて構わない」
「初めまして。雷画さんからお話は聞いてるので、あの……引き取って下さってありがとうございました」
「はは……そんなに畏まられると逆に困るな。そうだ、もう一人、君に紹介しておかないといけない相手が居てね。士郎、こっちにおいで」

 男が戸口の方に呼び掛けると、開け放たれていた引き戸の陰から一人の少年が現れた。手招きする男に従って、少年は二人の下へと駆け寄る。 橙色の髪をしたその少年は、彼女よりも少しだけ年下に見えた。

「彼は士郎、僕の息子だ。君の弟、になるのかな。士郎、彼女はちゃん。新しい家族だ」
「聞いてたから知ってるよ。それより早く家に入んなくていいのかよ、じいさん。」
「せっかちだなぁ士郎は、もう少しだけ待ってなさい。ちゃん。雷画さんから聞かされてると思うけど、士郎と僕の間にも血の繋がりはない、君と一緒だ。だからと言って投げ出すようなことをするつもりはないし、引き取ったからには責任を持って僕が育てるよ」
「はい。これからよろしくお願いします」
「うん、こちらこそ。ほら、士郎も挨拶」
「……よろしく」

 冬の残滓が見え隠れする春の出来事。 彼女が初めて衛宮となった日。
 そして――彼と彼女が出会った日だった。



「あの時はこんなことになるなんて思ってもみなかったけど。やっぱり未来って分からないものね」
「君がそんな風に言うとは、珍しいこともあったものだ」
「当然でしょ、今まさに未知の状況に晒されているんだから。これまでは貴方とこんな関係になることなんてなかったもの」

 彼らと出会って、彼女は初めて家族というものの温かさを知った。 だから切嗣が亡くなった後も家族を大切に思う気持ちは変わらず、彼の代わりに守っていこうと思ったのだ。たった一人の家族を。 それはやがて彼女を贖罪へと駆り立てることとなったが、そこにあったのはどこまでいっても家族を愛しく想う気持ちに過ぎない。何よりも大切な弟へ謝りたい、それだけだった。
 幾度の繰り返しを経ても決して変わらなかったはずの想い。 けれども、漸く辿り着いた終着点が最後にそれを動かした。
 ――親愛から、恋慕へと。

「ずっと大切な弟だと思ってたから、それ以外に成り得るなんて思ってもみなかった。今まで一度だってこんなことなかったのに」
「そんな風に言われては、私が特別だと自惚れてしまうんだがね」
「良いわよ、だってその通りだもの。どんなに世界を巡っても、私にとっての『衛宮士郎』は一人しか居ない。貴方に会うために私は此処に居るんだから」
「まったく……凄い殺し文句だな」
「なんら恥ずかしいことを言ってないつもりなのに私の方が恥ずかしくなってくるんだけど――うん、今のは忘れて」
「そう言われて素直に納得するとでも?」
「私の可愛い士郎なら大人しく引き下がってくれるはずなんだけど?」
「残念ながら、私は君の『可愛い士郎』とやらではないのでね」

 距離を置いて座っていたはずが、気付けば彼女はチェストの隅へと追い込まれていた。顔を動かせば、背凭れに片手をついて覆い被さるように彼女を見下ろす彼と眼が合う。 これまでに幾度も見てきた、けれども彼女に向けられることはなかった顔。そんな『男』の顔をしている彼を見て、彼女の思考は僅かに停止した。 彼がその僅かな隙を逃すわけもなく、二人の顔の距離が一気に近付く。 数秒の静寂、そして遮るように間に挟まれた手。

「……
「心の準備が足りなくて、つい」

 若干の不満を込めながら呼んでくる彼に視線を逸らしながら彼女が応えると、呆れたように溜息が吐き出される。 彼が身体を起こしたことで視界に明るさが戻り安堵する彼女を他所に、彼からは不満が滲み出ている。それを見て彼女も多少の罪悪感を覚えずにはいられなかった。

「アーチャー」
「……………………」
「あのね、アーチャー?」
「……………………」
「あぁもう、士郎ってば! 悪気は無かったのよ」
「それくらい分かってる」
「ならどうしてそんなに不機嫌そうなの」
「オレはそういうつもりは無いけど、そう感じるならそうなんだろ」

 完全に機嫌を損ねてしまった彼にどうしたものかと彼女は頭を悩ます。 酷く子ども染みた反応だと思えば可愛いものだが、それも長時間続けば息が詰まるだろう。 この場には彼女と彼の二人しか居ない、他者による仲裁は期待するだけ無駄というものだ。そもそも、元はと言えば彼女のせいなのだから他者に頼るわけにもいかない。 考えたみたところで、彼女に出来ることは数知れていた。
 そっと彼との間隔を詰めると、その肩に頭を預ける。 和風建築であった衛宮邸ではこうして並んで座る機会はあまりなかった。だから別段懐かしく感じることではないのだが、一番落ち着く距離であることは確かだった。 関係が変わったからと言って、これまで培ってきたものが変わったわけではない。幾度の転生の果てに、再会を望んだのは間違いなく彼なのだから。

「ごめんね、嫌なわけじゃないの。でも、もうちょっとだけ待ってて」
「『ちょっと』ってどれくらいだ?」
「ならこの4日間が終わるまでにはきっと、それならどう?」
「……分かった。それ以上はオレも待たないからな」
「肝に命じておくわ」

4日間。
夜には出掛けることを思えば、恐らくあっという間の時間になるだろう。 それでも、今はまだ共に過ごせるこの奇跡を彼女はゆっくりと噛み締めていたかった。 例えどんな終わりになろうとも、この瞬間の幸福には適わないだろうから。

2012.08.11.