刹那の郷愁
着替える前にタイムカードは押してある。
だから、そのまま帰ってしまっても問題は無いのだけれど、どうせならと一声掛けていくことにした。
店の方に寄るだけなら大した手間ではないのだし、いつの間にか居なくなっているのはあんまりだろう。
いつもならば時間的に余裕がないのでそのまま帰ってしまうのだが、幸いなことに今日はそうではなかった。
だからこそ、そんなことを考えたのだろう。
それが果たした偶然だったのかなんて、私には分からない。
スタッフ用通路から店内を覗き込むと直ぐにカウンターの内側に居るランサーが目に入った。
「ランサー。それじゃあ、私はあがらせて貰うわね」
「おう、お疲れさん。後は任せておきな」
夕方に比べれば昼間のアーネンエルベは閑散としていることが多い。
しかし、それでも所謂常連客というものが居る。
今日も朝から彼女らはまるで示し合わせたかのように店に来ていたのだが、その内の一人の姿が見当たらない。
着替えに行っているほんの僅かな間に帰ってしまったのだろうか。
これと言って時間を決めているわけでもないようなので、突然帰ったとしてもおかしいことではないのだが、この短い時間に居なくなったということが気に掛かった。
「セイバーは? さっきまで居たのに、もう帰ったの?」
「あーそれがな、珍しい客が来たもんで、そいつと入れ替わりに帰っちまったんだよ」
「でも、店内にそれらしい人は居ないけど……?」
ぐるりと見回した店内には、見慣れた客しか居ない。
ランサーの言う『珍しい客』とやらに該当する人物は見当たらなかった。
まさか隠れているとでも言うのだろうか?
この狭い店内では隠れる場所などそう多くはない。そもそも、隠れる理由が分からない。
そんな疑問に対する答えは、カウンターに座っていた相手から返ってきた。
「当然だろう。その人物も私と入れ替わりに立ち去ってしまったからな」
「そうなの。セイバーが今朝からそわそわしていたからよっぽどの相手かと期待していたのに、残念ね」
「んー期待相応の相手だったかはともかくとして、それなりの相手ではあっただろうな。ていうかなんで坊主の姉ちゃんはセイバーのことは気にすんのにコイツが居ることには触れないんだよ」
「だって貴方の前で彼のこと話題にしたら色々と面倒そうなんだもの」
「まぁ、からかいの一つや二つはしたくなることは否定しねぇけどよ」
「でしょう? 面倒なのはごめんなの。それで、誰が来たのか教えてくれないの? このままじゃ気になって学校行けないんだけど」
彼への配慮を必要最低限に止めているのは、此処が自分にとっての職場であるということも関係している。
曲がりなりにもバイト先で、私情が入りまくった面を晒したいとは思わない。
その程度の抑制が出来ないわけではないが、やはり見る人が見れば分かってしまうらしいので極力会話を控えるようにしていた。
あと、年齢的に此処の制服姿を身内に見られるのは大分辛いということもある。
そんな事情を踏まえたランサーとの会話を適当に打ち切って、つと視線を巡らせるとアルクェイドさんと眼が合う。
こくり、と頷いてみせるとこちらの意図は伝わったのか、ぽん、と手を叩いた。
「セイバーの元マスター、って言ってたかな。あと十年前の人だとかなんとか」
「衛宮切嗣、確かそんな名前でセイバーは呼んでたな」
「そういえば貴女の名前も、えみや、とか言わなかったっけ?」
あぁ、なるほど。
セイバーが帰った理由も、彼がどことなく嬉しそうな理由も、それで全てが分かった。
「そうですね、それはきっと私の家族です。正確には、私といずれ家族になるであろう人、ですけれど」
「なんにせよ、アンタの家族には代わりないんだろ。いいのか、追い掛ければまだ間に合うかもしれないぜ」
「もう十分過ぎる程に時間は貰ってますから。それに彼の幸せそうな顔見てるだけで、私は満足ですしね」
私が視線を向けると同時に口元に手を当てて隠したが、その顔がいつもよりも穏やかであることは明らかだった。
言い返したいことはあるのだろうが何を言っても墓穴になることが分かっているので言い返せないのだろう。
「やっぱお前も知り合いなんじゃねぇかよ。坊主の姉ちゃんにも見せてやりたかったな、さっきまでのコイツのニヤけ面」
「あとで心情も含めて全部聞かせて貰うからいいわ。私だけの特権ね」
「そいつは結構なことで」
普段はあまり隙を見せないが故に、ここぞとばかりにランサーが追求したくなる気持ちも分からないではない。
それでも、何事にも限度というものはあるわけで、そろそろ潮時だった。
彼があの人と一瞬であれ再会を果たしたことを、それが彼にとってどんな意味があったかを、貶めるつもりなど決してないのだから。
「さてと、そろそろ行かないと遅刻してしまうわね。結局いつもと変わらない時間になってしまったことだし」
「君の自業自得だろう」
「そうね。でも、時間と引き換えに有意義なものが得られたと、久々にそう思えたわ」
時間を対価として得られるものなど久しく失われていた私にとって、その価値は何物にも代え難いことを意味していた。
会いたくなかったわけじゃない。
出来るものならば、私も会いたかった。
けれども、私は幾億の時の中であの人との五年を重ねてきたから。
会えなかったのならば、それが摂理なのだろう。
むしろ、幾億の時の中でついぞあの人との再会を果たすことのなかった彼に、その機会が与えられたことに感謝する。
あの人こそ、彼が彼足り得る理由にして全てなのだから。
私はそれを呪いだとは思わない。
その在り方を肯定こそすれ、否定したいと思ったことなど終ぞなかった。
だから、このたった一度きりの奇跡のような邂逅に祝福を――