見送ることしか出来ない背中
ムーンセルオートマトンによって作られた霊子虚構世界における聖杯戦争。
開催場所は地上ではないが、それが『聖杯戦争』の名を冠していることに代わりは無い。
だから、彼女もまた呼び出された。
英霊エミヤが参加する『聖杯戦争』のある全ての場所に彼女はある。
それが彼女と世界の契約だからだ。
校舎2階に位置する図書室、その中で生徒の立ち入りが禁止されている部屋の中に彼女は居た。
彼女もまた、セラフによって役割を与えられた存在であったが、黒い制服を身にまとった生徒会とされるNPCとは異なる姿をしていた。
言うなれば、司書。
通常は本の整理や貸し出しを行うが、一定の条件を満たした参加者に対して助言を与えるというのが彼女の此処での仕事だった。
「君は司書の資格など持っていたか?」
「そういうことは気にしたら負けよ。整理番号さえ覚えてしまえば、この学校の図書室レベルの司書ならば誰でも出来るから」
「セラフもそういった部分は適当だということか」
「桜ちゃんだって保険医の資格とか持ってないでしょう?あ、あれは保健室に居るだけで別に保険医ではないのかな」
「さて、私の知るところではないな」
この霊子虚構世界においても時間というものは存在し、参加者がアリーナに入れる時間は夕方からと定められている。
そして、それまでの時間は授業が行われているが、出席は自由となっている。
この月海原学園は高校を想定として作られているが、参加者の年齢は様々である。
授業内容は高校のものである為、プライベートルームにてサーヴァントと過ごす参加者が大半であるが、中には出席して授業を受けている者も居る。
日本の高校とはどんなものであるのか体験してみたいということらしい。
そしてアーチャーのマスターも、その中の一人であった。
残り8名となったが授業は変わらずに行われている、其処に僅かな平穏を見出しているのか、彼のマスターは今でも出席を続けていた。
授業が行われるのはセラフによって管理された教室であり、危険は無い。
それ故に、暇を持て余したアーチャーは図書室へと赴いていた。
「へぇー桜ちゃんみたいな子が好みなんじゃなかたっけ? 好きな子のことは知ってるんじゃないの」
「……何の話だ」
「貴方の可愛いマスターから聞いたのよ。『もっとこう』身体のラインがはっきりした子が好きなのよね?」
「あれは、特定の人物のことを示唆していたわけではなくて、一般的な好みとしての話だ」
「ふーん、そうなの? じゃあ、凜との魔力補填については? 随分とお楽しみだったみたいだけど」
「君は……そこまで知っているのか?」
「この校舎内で起きたことで、私の知らないことは無いの。後学の為に覚えておくと良いわ」
次々と事実を突きつけられて、流石のアーチャーも旗色が悪いと思ったのか言い訳を止めた。
しかもその事実というのが捏造でもなく、確固たる証拠もある真実であるのが余計に立場を悪くしていた。
眼前の彼女はにこやかな笑顔を浮かべているが、内に秘めている怒りがひしひしと感じられる。
「別にそういうのが悪いとは言わないわよ? そもそもサーヴァントは、マスターからの魔力補給が無いと存在維持出来ないわけだし、魔力補填だって必要な場合もあるわ」
「今回はその必要な場合だった、ということは」
「勿論知ってるわよ。でもね、相手が凜だったというのが問題なの、分かる?」
「いや、具体的に説明して貰えるかね?」
「つまり、マスター以外からの魔力補填だったということよ。私だってあの可愛いマスターとの魔力補填だったら何も文句は言わないわ。でも彼女は、既にリタイアしたとはいえ元々ランサーのマスターだったのよ?」
「私がランサーのマスターを奪ったとでも?」
「いーえ、でもいつまでも昔のことを引き摺ってるのは良くないってこと。此処に居るのは『アーチャー』なのだから」
アーチャーが遠坂凜を必要以上に意識してしまう気持ちも分かる。
その最期の瞬間まで持ち続けたペンダントの持ち主、その存在は一度磨耗し切ったとは言え、魂に刻まれているのだろうから。
それを分かった上でこうして指摘してしまうのは、ほんの少しだけ彼女に対して嫉妬しているからか。
「ちなみに、貴方のマスターには一切吹き込んで無いから安心してね。あ、別に全く以ってアーチャーのためとかじゃなくて、ただ純粋な子にはそのままで居て欲しいからだから」
「それについては感謝しておこう」
「私としてもあの子のことはかなり気に入ってるから。貴方の今までの歴代のマスター達よりはね」
「……気付いていたのか」
「当然でしょう。そうでなければここまで肩入れしないもの。設定上、一定ラインを越える行動は出来ないけれど、出来る限りはしてあげてるつもり」
許されている干渉値ぎりぎりまで、彼女は手を出していた。
本来の彼女ならばそれを越えることも出来るのだろうが、例え可能であったとしてもしなかっただろう。
それに、此処は霊子化された世界であり、彼女自身も魂が霊子化された存在である。
彼女もまた魔術師ではあるが、この時代で呼ばれる『魔術師』とはその在り方は異なる。
今の彼女は普通の人間と何ら変わらない力しか持っていなかった。
「それでも進むと決めたのだから、あの子のためにも勝たなきゃ駄目よ」
「君に言われるまでも無い」
「そうね。そんなことは最初に契約をした時点で既に決めていたこと、か」
窓から見える校舎の外の景色は、夕焼け色に染まりつつある。
この世界では、時間の経過も再現されていた。
そろそろ、授業が終わりアリーナが開かれる頃だ。
「さて、いつまでも引き止めていては貴方のマスターに悪いわね」
「そうだな。今度は遠坂凜ではなく君との関係を疑われかねない」
「あら、そしたらアーチャーは何て答えてくれるのかしら?」
「……分かりきっていることをわざわざ聞くな」
「それもそうね」
部屋を出ていくアーチャーの背中に、いつか見た光景が重なり既視感を覚える。
自分は一体何度この背中を見送れば良いのだろうか。
見送るだけで、決して追い掛けることの叶わないこの背中を。
「アーチャー。私は最後まで此処に居るから、この聖杯戦争が終わるその時まで貴方達を迎える。だから」
「戻ってくるさ。彼女も君を気に入っていたようだ、今度連れてくるとしよう」
「……ありがとう。お茶でも用意して待ってるわ」