氷室恋愛探偵・外伝

 色恋沙汰。と言ってしまうと、どうにも下世話な勘繰りのように聞こえてしまう部分もあるが、知り合いのそうした話題に対して関心を抱くということは私だけに限らず誰しもが持っている側面ではないかと思う。話題が耳に入ればその真偽を確かめてみたいと行動を起こすこともあるだろうし、その中には確証を得るまでに数日を要する場合もあるだろう。そのために費やされた労力が何になるかと言えば、少なからず満たされる部分があるという結果が全てである。対価として得られるものがあるのだから、これまでのところそれを不毛だとは思ったことはない。一方で、そうした労力を消費せずとも結果を得られることもある。偶然の廻り合わせ。その時その場所で出会ったこと事態が意味を持つ。得てして偶然が運んでくる事柄の方が面白いことが多い、というのは数少ない事例を通しての私の経験則である。



「あれ、衛宮のねーちゃんじゃん」

 それはいつもと同じようにいつもと代わり映えのない二人と共に、海浜公園へと来ていた時のことだった。公園内に設置された自販機の前に立って飲み物を吟味する女性を見て、蒔が珍しそうに声を上げた。衛宮、というのはあの衛宮のことだろうか。私の疑問を由紀香も同じように抱いたらしく「衛宮くんってC組の衛宮くん?」と不思議そうに首を傾げていた。

「そうだよ、あの衛宮の姉貴。なんだ、二人とも知らないのかよー」
「生憎と接点がなかったのでね。見たところ私たちよりも幾つか年上のようだが、蒔の字はどこで彼女と知り合いに?」
「あたしも知り合いってほどじゃないよ。前に遠坂と出掛けた時に、ちょっとね」
「遠坂さんと衛宮くん、お付き合いしてるんだよね。それならお姉さんともお知り合いなのかな?」
「家に出入りしてるくらいなんだから、家族とも面識あるんじゃないのー」

 あの遠坂嬢が衛宮の家に出入りしている、という情報は先日別件で藤村先生に問い合わせた時に得たものである。確かに家に出入りして食事を共にするような間柄であれば、当然家族への紹介は済んでいると考えるべきだろう。となれば衛宮姉と遠坂嬢の間には顔見知り以上の親密さがあり、それを居合わせた蒔寺へと紹介するというのも自然な流れではあるように思う。蒔寺から見れば遠坂嬢を通じての顔も知りという程度であり、直接の知り合いというには憚られるような関係であったというところか。

「それにしても珍しいなー」
「蒔ちゃん、何が珍しいの?」
「いや、衛宮んとこのねーちゃんって大学生らしくてさ、毎日バイトと講義で忙しくしてるって聞いたから」
「その彼女がまだ日も高いこの時間からこのような場所に居るのが珍しいと」
「あと、あの衛宮のねーちゃんだから外で物買ってるのも珍しい。せっせい? とか大事にしてそうじゃん、あの家」
「そういえば以前衛宮が買い出しをしているところに遭遇したが、あそこの家は一日に米を七合炊くという話だったな」
「七合!? 弟が最近よく食べるようになったけど、うちでもそんなに炊かないよ……」
「だろ? だから衛宮ってあんまり買い食いとかしないし、そのねーちゃんが無駄なことにお金使うってのもなんだか合わないっていうかさ」
「ふむ、蒔の字の言うことも一理あるな」

 あの家のエンゲル係数の高さが一般家庭としては有り得ない数値であることは想像に難くない。名前を聞いた限りでも現在あの家、いや屋敷で生活をしているのは優に6人を越えるだろう。その中の何人が生活費を収めているかは預かり知らぬところではあるが、未だ学生の身である遠坂嬢や間桐嬢がそれらを収めている可能性は限りなく低い。必然、多くの金銭的負担は衛宮の家計に掛かっていることになる。そうした中で最も削り易い諸費用というのが買い食いといった無駄な部分であり、飲み物なども家から持参した方が余程安価に済むはずである。こうした背景事情を鑑みると、蒔寺が『珍しい』と評するのも納得がいくことだった。
 私たちが雑談をしている内に飲み物の購入を済ませたらしい衛宮姉は辺りを見回すようにして私たちの姿を目に留めると、あろうことかひらひらとこちらに向けて手を振ってきた。周囲に響き渡るほど大きな声で会話をしていたわけではないが、聞こえてまずいということもなく私たちは声を潜めるようなことはせずにごく普通の大きさで会話をしていた。件の衛宮姉とは離れて過ぎているということもなく近過ぎるという距離でもなかったが、会話がその耳に届くには十分な距離であったのだろう。

「やば、気付いてるよあの人」
「ど、どうしよう……」
「当人に聞かれて困るような話をしていたわけではなし。何も慌てることはないだろう」

 見知らぬ間柄とは言え、目上の相手である。ならばこちらから挨拶に出向くのが礼儀というものだ。そう考えた私が彼女の方へ向けて歩き出すと、私の考えを理解したのかそれに続くようにして二人も後をついてくる。私たちが近付いてくるのを笑みを浮かべて待っているその様子から、少なくともこちらを拒むつもりはないということは分かった。であればこちらが妙に構える必要もないだろう。

「こんにちは。突然ごめんなさいね、私の話をしているのが耳に入ってしまったものだから」
「いえ、こちらこそご本人の耳に届くようなところで噂話などして申し訳ありません」
「聞いてしまってまずい話でもなかったみたいだし、気にしないで。貴女たちはうちの弟の同級生、ということでいいのかしら?」
「はい。共に机を並べる間柄ではありませんが、同じ学校の生徒ではありますね。申し遅れました、私は氷室鐘と言います」
「あ、わたしは三枝由紀香です」
「あたしのことはもう知ってるから、自己紹介はいいよな?」
「えぇ、蒔寺さんよね? 覚えてるわ。私は衛宮、いつも士郎がお世話になってます」

 外見的な第一印象としては、あまり衛宮とは似ていないように思われた。恐らくそれは私の身近に居る他の姉弟として、由紀香や美綴嬢の印象が強いからだろう。間桐のように兄妹であまり似ていない場合も存在することを思えば、外見的に似ていない姉弟という点はあまり深く気にするようなことではないだろう。それに衛宮嬢の場合は内面的な部分では衛宮士郎と似通っている部分があるように感じられた。雰囲気、とでも言えば良いのだろうか。彼女のそれは衛宮に近く、また藤村先生とも共通するものを感じさせる。藤村先生が衛宮にとって姉の様な存在であると言うのならば、実の姉である衛宮嬢にそのどちらとも似ていると思われる部分があって当然であろう。

「あの、衛宮くんのお姉さんは…」
でいいわよ。その呼び方だとちょっと長いでしょう?」
「ありがとうございます。えと、ではさん、とお呼びしてもいいですか?」
「はい、どうぞ」
「じゃあ、さんは今日はどうしてここに? 何かご用事があったんですか?」
「うーん、そうね。用事、というほどのことではなかったし、場所はここでなくても良かったんだけれど」

 どこか歯切れの悪い返答をする彼女からは質問への解答を曖昧にしようという意志が感じられる。由紀香も鈍い方ではないためそのことに気付いたのだろう。「あ、あの、話したくなければ無理に話していただかなくても大丈夫ですし、むしろ何だか答えにくいことを聞いてしまったようでごめんなさい!」と、ひどく恐縮してしまっていた。一方で私は彼女のその反応から別のことを考えていたし、同じことを蒔寺も考えていたのだろう。申し訳なさそうに縮こまってしまった由紀香に代わって、口火を切ったのはあちらの方が早かった。

「もしかしてさ、さんデートだったりする?」
「さて、どうかしらね。そもそも何をしたらデートになるのかしら?」
「んー誰かと二人で一緒に出掛けたら、とか?」
「蒔、それでは相手が同性でも良いことになってしまう。一般にデートとは、異性と二人きりで外出する場合のことを差すのではないですか?」
「それなら私は士郎といつもデートしてることになるわね。一緒に買い物に出掛けたりするし」
「その場合は数には入らないでしょう。確かにさんから見れば弟さんも異性ではありますが、それよりも先に家族という大きな括りの中に入る存在であると思います。その括りの中で異性という概念は限りなく意味の薄いものになる。故にそれを意識することは禁忌へと繋がるのでは?」

 デートというものの定義を求めた彼女に対して私なりの解答を告げてその顔を見れば、衛宮嬢は感情の読めない表情を浮かべながら聞いていた。肯定するでもなく否定するでもない。けれども、今の発言の何かが彼女の琴線に触れたのであろうということは伝わってきた。一般論に基づいた今の発言のどこが彼女の心に触れたのか、私と彼女は今日出会ったばかりの関係であるためそれを推測できるだけの情報はない。この瞬間、ほんの僅かではあったが私の中で彼女に対する興味が湧いてきていた。覆い隠されたその秘密を解き明かしてみたいと。そして、私のそのような内心などは預かり知らぬ衛宮嬢が求めた側として返されたものに応えようと口を開きかけたのと、何かに気付いたように目を見張ってみせたのは同時だった。

「何をしているんだ君は」

 その声は私たちの背後から聞こえてきた。困ったように曖昧な笑みを浮かべる彼女の視線の先を追って振り返ってみれば、どこかで会ったような――その事実はここには存在しない――けれども見覚えのない男性が立っていた。

「飲み物を買いに行くと言って居なくなったかと思えばいつまでも戻ってこない。気になって探しに来てみれば、同行者を連絡もなしに待たせて立ち話とは……分別のある年頃だと思っていたのだが、認識を改める必要がありそうだな」
「心配させてしまった? ごめんなさいね」
「別にそうは言っていないだろう。私は君が糸の切れた凧のようにふらふらとして人に迷惑を掛けていないかが気になったのであって、君の安否を気遣ったわけではないさ」
「えぇ、だから心配してくれたのでしょう? ありがとう」

 暖簾に腕押し、とは正にこのことか。聞いているだけのこちら側としても彼は遠回しに彼女を批判していることが明らかであるのだが、彼女はそれを物ともせずに受け流している。結果として相手がどんな皮肉を言おうとも、彼女にはそれが届いていない。彼がどのような意図で発言をしているのかは分かりかねるが、少なくとも彼女が故意にそうした返しをしているわけではないということは顔を見れば分かることであった。私たちと会話をしていた先ほどよりも幾分か彼女の表情が和らいでいることからもそれは明白である。恐らく彼女にとってこの相手との会話は普段からしてこうなのであろう。

「話の途中ではあるけれど、迎えが来てしまったのでこれで失礼するわね」
「迎えってことはそのにーちゃんがさんのデートの相手ってことか!」
「さぁ? 私はまだ用事がデートだと肯定した覚えはないわよ」
「じゃあその人は……?」
「逆に質問しましょうか。私とこの人、どういう関係に見えるかしら?」

 するりと私たちの間を抜けると、彼女は自然な動作でその人の隣へと並んだ。どう見えるか、と聞かれれば非常に絵になる組み合わせであるというのが私の偽らざる気持ちである。柳洞一成と美綴綾子のような美男美女の組み合わせという理由ではなく、一言で表すのならば『収まりが良い』これに尽きる。あるべきところにあるべきものがある。彼女が聞きたいのはそういう曖昧なものではないのだろうが、何よりもまずそうした考えが頭に思い浮かんだ。しかしそれをそのまま告げるわけにはいかない。かと言って何と答えるのが正解なのか、それを見抜くことができずに思わず私たちは顔を見合わせた。その様子を見ていたが故かは分からない。ただ、まず行動を起こしたのは成し崩し的に巻き込まれた形になった彼だった。大仰に溜め息を吐いてみせると「付き合っていられないな」と言い残し、あろうことか迎えに来たはずの衛宮嬢を残して立ち去るという思ってもみなかった行動を取ったのだった。残された彼女は文句を言うでもなく仕方がない、というように瞳を閉じた後、最初と同じような笑顔を私たちに向けて浮かべて見せた。

「ちょっとしたクイズのつもりだったのだけれど、困らせちゃったみたいね。ごめんなさい」
「いえ……」
「さて、と。それじゃあ今度こそ失礼しようかな」
「えー正解は教えてくれないのかよー」
「教えてもいいけれど、答えはもう出ているんじゃないかしら」

 今日のこと、士郎には内緒にしておいてね。そう言って人差し指を立てて見せたその姿は彼女にとても良く似合っていた。そうして引き留める間もなく、長い髪を風に踊らせて彼女が立ち去って行った方向には、疾うに立ち去ったかと思われた先程の男性が待っていた。そのことに驚くでもなくそのままの歩調で彼女が彼の隣に立つと、二、三言葉を交わした後に二人は肩を並べて今度こそ、この場から姿を消したのだった。 彼女が立ち去った後も夢現のような気持ちになっていたのは私だけではなかったのだろう。私たち三人の間には暫し不自然な沈黙の間が落ちた。

「なんか……不思議な人だったね」
「そうだな。私たちが普段関わることのない年代ということもあるが、掴み所がない、という印象だった」
「まぁ、あの衛宮のねーちゃんだし。そんなことより、由紀っちと鐘は結局あの二人、どういう関係だと思う? あたしは付き合ってると思った!」
「私も蒔と同感だ。概ねそのように見えた」
「うーん……私はそうは思えなかったかな。どこが違うとかはうまく言えないんだけど、恋人同士というのはちょっと違うかなって」

 由紀香が否定するとは意外だった。私や蒔の字には分からないが、由紀香には感じるところがあったということなのだろう。彼女が最後に言い残した言葉から推察する限りでは、やはり答えは既に出ているように思われる。けれども、由紀香の抱いた違和感という矛盾、その原因を突き詰めない限りは真の答えに辿り着いたとは言えないのではないだろうか。

「なるほど、この謎はまだ調査の必要がありそうだ」
「げ、また調べるのかよ氷室。どう考えてもあの二人は付き合ってるって、もういいじゃんよー」
「でも、私もちょっと気になるかも……。さんもはっきりとは言わなかったから」
「だそうだ。というわけで私と由紀香は調査を始める。蒔は一人で遊んでいてくれ。さて、どうやら衛宮には知られたくないようだから、事情聴取の相手として彼は除外だな。となると、やはり藤村先生に尋ねるべきか」
「うん。でも、それよりも先にあの男の人が誰なのかを聞いた方がよくないかな?」
「ふ……まさか由紀っちも氷室に付くとはな……。あたしだけのけ者にしようたってそうはいかないぞ! あたしも混ぜろー!」

 恋とは四百四病の外である。それ即ち、恋患いとは一般的な病に陥るよりもよほど厄介なものであるということだ。そこには理論では片付けられない複雑怪奇な感情が渦巻いている。それらを追及し、秘められた謎を明らかにすること。この目的を果たさぬ限り、何人たりとも私を止めることは出来ないだろう。
 標的があの衛宮の姉ともなれば、俄然興味も湧いてくるというものだ。あの謎めいた彼女は一体どんなものを魅せてくれるのか。暫くはまた退屈のしない日々を過ごせるに違いない。

2014.10.12.