ずれた頂点の在るべき場所

 一歩一歩踏み締めるように階段を登っていく。うだるような暑さは過ぎ去ったが、太陽が照り付ける昼間であれば秋口とは言えじんわりと汗が滲む感覚があった。足元ばかり見詰めていた視線を上げれば、目指すべき山門はまだ遠くにそびえている。山の上に寺院がある一般的な理由として、参拝をするために険しい山を一心に登ることで心を落ち着けることが出来るから、というものがあるそうだが、これでは心を落ち着けるより前に心が折れるような気がする。最も参拝目的ではない自分にとっては元より関係のないことだが。そんなとりとめもないことを考えながら、がまた一歩と足を進めたところで微かに声が聞こえてきた。それは笑い声というには控えめなものであり、それでも核として喜の感情は含まれていると感じさせる声だった。

「……なにか?」
「なに、そのような顔をしてここを登ってくる者が居るとは思わなかったゆえな」
「生憎と、信心深さとは無縁なのよ」
「お主にそうした観念が備わっているとは思っておらんよ。して、今日はどのような用向きかな」
「別に貴方のマスターを含めてお寺の人に用があるわけではないわ。ただのお墓参りよ。待ち合わせ、先に来ているでしょう?」

 神社仏閣に数えられるこの場所を訪れる者は少なくはないが、その中でと縁のある者は限られている。この山門を寄り代とする彼は門番としてこの土地を訪れる者を全て見ているため、それが誰を指しているかは直ぐに思い当たったのだろう。

「確かに。待ち人ならば数刻前にここを通った。しかし、待ち合わせにしては随分と遅くはあるまいか?」
「一人で話したいことだってあるでしょう。何も見せてはくれないけど、ここに来る時の大河ちゃんは特別だということくらい言われずとも分かっているわ。その程度の気遣いは出来て当然というものよ」
「成程、分からぬ言い分ではない。では、そう言うお主自身はどうなのだ?」
「私は今更彼と語らうことなんてないもの。それに言ったでしょう、信心深くないのよ、私は。そこに居ないのは分かっている。だから、手を合わせるという形式、それだけよ。けれどたったそれだけのことであっても、するのとしないのでは大きく違うから」

 魂があるとか眠っているとか、それらを否定するつもりはないけれども、それでもきっとあの人はそんなところには居ないと、心の何処かでそう思ってしまっている時点で、にとっての墓参りという行為そのものは形式と化していた。それでも、長年頑なにそれを拒む士郎と、毎年一度も欠かさない大河をすぐ近くで見ているから、行かないという選択は彼女には出来なかった。だから、ここに来て、ただ手を合わせるというそれだけの行為をしに来ているのだろう。それは一緒に来る隣の彼女のためであり、来ることが出来ない彼のためでもあった。そんなことを説明したところで大河や士郎ですら理解しないであろうから、尚のこと今の話し相手である彼が理解するとは思えない。そう考えたはその話題を終わらせて、別の話を振ることにした。

「ところで、貴方は飽きないのかしら?」
「さて、この場所に縛られている身ではあるゆえ変わらぬ景色には些か閉口している面もあるが、あの魔女をからかう口実がある限りはそうした感情に縁はないだろうよ。ただ惚気るだけのあれはつまらぬが、宗一郎が絡んだ際の反応は中々に面白い」
「……ここは、貴方達はあくまで一貫しているのね。それが彼女の方針であって、貴方はそれに従っているだけなのだろうけれど。どうなのかと思ったのよ」
「そのような感情を抱く理由がなかろう」
「そう、私はそうではないから聞いてみただけよ。探るような他意はないわ」

 恐らく早々にキャスターはこの4日間の仕組みを看破しているはずだ。にも関わらず、彼女は何かをすることもなく、与えられた配役に抗う様子もない。その理由はにも身に覚えのあるものであり、例え泡沫の夢だとしても可能な限りは現状を維持していたいという願望から来るものだろう。は人よりもずっと繰り返すという行為には慣れている、慣れてしまったというべきだろう。その間に感じていたものは飽きるというよりも苦しいに近い。変化のない繰り返しとは、人を緩やかに狂わしていくに十分過ぎるものであった。だからこの山門から動くことの叶わぬ彼にとっての4日間とは、他の誰よりも変化の限られたものではないかと、そう思い立ってふと聞いてみたくなったに過ぎない。別に彼が自分と同じ考えを持ち合せていることを期待していたわけではない。他にやる事もなかった、という単なる暇潰とも思えるような理由で魔剣を生み出すような男は、やはり常人とは異なる感性を持ち合わせているという事実を確認するだけのことに過ぎなかったとしても、には本当に言葉通り他意はなかったのだ。逆に言えば、そのくらいしかこの相手に振る話題がなかったのである。と彼の接点はほとんどなく、関係は希薄過ぎるくらいのものだ。こうして会話をしていることさえ、端から見れば大層物珍しい状況に違いない。

「いやいや、問いの中身に関して気にしてはおらんよ。その口振りからして、私なぞよりもお主の方がよほど俗世から縁遠いのではないかと思ったまでのこと」
「……こんな現世においても花鳥風月を愛でるような浮世離れした剣士にそう言われるとは思わなかったわ」
「ほう、随分な言われようをされたものだ」
「事実でしょう? サーヴァントの大半は装いも変えてこの世界に馴染んでいる、それは貴方のマスターも例外ではないわ。ここから動くことが叶わないという点を考慮したとしても、服装一つを取ってみても貴方にはここに馴染もうという意志が感じられない」
「否、とは言い難いのは確かよな」
「それを悪いと言っているわけではないのよ。ただ、そんな貴方にそうまで言われてしまう私は何なのかと思っただけだから。……それほどまでに私は嵌まっていないかしら?」

 輪から外れた者から「おまえは外れている」と言われるということはつまり、自覚はなくとも客観的に見れば十分に外れているということである。それも言われた相手が相手であることから、かなり度を越えて外れているとも取れる。自身にも、周囲の者達と比べれば自分が異質であるという自覚が全くないというわけではない。ただ、それでも上手く溶け込んでいるつもりであった。漸く出会えた彼の居るこの場所を手離し難くて、出来うる限り『そう』在るように振るまうことを心掛けていたから、それをして異質であると他者から指摘されるということはにとっては『この場所』から存在を拒否されたように思えてしまったのだ。それが彼女にはひどく悲しかった。勿論そんな彼女の心の内など、彼は知るよしもない。だから、感じたことをそのまま口にし、そして躊躇いもなくそれを覆してみせる。

「そのようなこと、さして深い縁を持ち合わせてはおらぬこの身では到底分かるまい。それを決めるのはお主自身であろう。どう、思っておるのだ?」
「……そうね、今回ばかりは自信を持って言い切るわ。『ここ』は、私の居場所よ。間違いなくね」
「ならば有象無象が何と言おうとそれが真実であろう」

 何処から来て何処へ行くのか。始まりは覚えていても、それが何処であったのかは既ににも分からない。こうして彼と再会することが出来たのも『ここ』が同じであるからかそれとも違うのか、当然ながらその判別も付かない。ならばこそ、誰にも分からないのであれば彼女自身が『ここ』がそうだと思えばそれが答えとなる。このような状況であれば尚更だ。

「少し、気が楽になったわ。ありがとう」
「礼を言われるようなことはしておらぬ。むしろ一時とは言え、お主の顔を曇らせたことが知れればこの身が危ういのでな。それに、やはり女子には笑顔が似合う」
「言葉が軽いわね。世辞にしても他に言い様があるでしょう」
「愛でられるべき相手の定まった花に無闇に言葉をかけるものでもあるまい。要らぬ火種は起こさぬが身のためよ」
「……貴方のマスターの苦労が私にも少しばかり理解できたわ、本当に良く回る口ね」

 時折町で見掛けるようになった若奥様然とした彼女のことを思い浮かべながら、は深く溜息を吐いた。話している間にも、いつまでも続くかと思われた階段は既に踏破され、彼女は山門へと到達している。足を止めていた時間は長くもなく、短くもない。既に先に待っているであろう相手も十分な時間を過ごしたことだろう。むしろ、いつまでたっても現れないを心配して探し始める頃合いであるかもしれない。

「大河ちゃんも待ってるだろうし、そろそろ行くわ。また機会があれば会いましょう」
「お主がここを訪れるのであれば、いつでも会えよう」
「えぇ知ってるわ。だから『機会があれば』なのよ」

 友人がここに住んでいる士郎とは異なり、意味もなく柳洞寺を訪れるだけの理由がにはない。それはつまり、暗に機会など二度とないということを告げていた。もしも機会が訪れることがあるとすれば、それはまた次のことになるのだろう。結局顔を合わせることもなく言葉だけを交わし続けた相手の姿を最後に一目でも見てみようと見上げた先で、は風に靡く紺の髪を捉えた。その姿を見て、出てくる感想は一つ。

「貴方にはそこがお似合いだわ」

 真実思った通りを口にしただけの言葉への返答はなく、周囲の木々を通り抜ける風の音を背後に彼女は門を潜り抜けた。

2014.11.22.