普通を求める存在
眼が醒めると彼女は見知らぬ場所で寝ていた。
身体を起こして見渡してみるが、覚えのあるものは何一つとしてない。
此処が今まで過ごしてきた場所ではないことは確かだった。
そして、彼女は思い出した。
眼を閉じる前に自分が何をしていたのかを。
それならば此処が見知らぬ場所であるのも道理だろうと納得をする。
彼女が状況を把握すると同時に部屋の唯一の扉がノックをされた。
入ってきたのは黒い神父服を身に纏った長身の男だった。
「ふむ、意識が回復したようだな。気分はどうかね」
「……問題、ありません」
「大半がかすり傷だったが目に付いたものは一通り手当をしておいた。他に痛むところは」
「いえ、大丈夫です」
「そうか。私は言峰という、この教会で神父をしている者だ。部屋は余っているから怪我が癒えるまでは此処に居ると良いだろう」
言峰と名乗ったその男は、用は済んだとばかりに部屋を出て行こうとする。
怪我人である彼女の体調を慮っての行動であったのかもしれないが、何故かそうだとは思えなかった。
だからだろう、彼女はそれを呼び止めた。
「あの……」
「何か質問でも?」
「はい。貴方が、私を拾って下さったんですか?」
「『拾った』とは可笑しな表現だな。確かに、君を助けたのは私だが」
「いえ、間違っていません。普通の人間は損得感情抜きで他者を助けるなどという行為はしませんから。ですから貴方は、私を『拾った』んです」
「興味深い考えだ。しかしその考えに沿うならば、やはり私は君を助けたことになる」
それは即ち、言峰が彼女を助けるに辺り何らかの損得が働いたということだった。
詳しく尋ねようとしたが、部屋に新たな人物が入って来たことで彼女は機を逃す。
金色の髪に赤い双眸を備えたその人物は、異質な気配を纏っていた。
彼が入って来た途端、部屋全体の空気がそれに飲み込まれて変化したのだ。
目覚めたばかりと言えど、そのことに気付かない程彼女の感覚は鈍っていなかった。
「ギルガメッシュ、部屋には入らないようにと言った筈だが」
「我は誰の言葉にも従わん。ほう、その女が新しい贄か? 雑種にしては中々の毛並みだな。女、名を述べよ」
「……名前、ですか?」
「そうだ。この我が直々に名を問うてやっているのだ、疾く答えよ」
尋ね返されたことでギルガメッシュは微かな苛立ちを示したが、それに気付かず彼女は深く考え込んでいた。
名前とは他者から呼ばれることで意味を持つものである。
最も短い呪でもある名前は、それが偽りのものであっても長く呼ばれることで意味を成す。
逆に、呼ばれなければそこに意味は
「恐らくですが、、だと思います」
「自分の名であろう、何故に曖昧な表現をする。記憶喪失というわけでもあるまい」
「意味の無いものだったので。この十年間、私は『聖女』と呼ばれていましたから」
「成程。君が絡紗村の『聖女』であったならば、あの場に倒れていたのも納得が行く」
「言峰、貴様この女について何か知っているのか?」
「お前に話す程のことは知らんよ。もしも君が追っ手の心配をしているなら、それは無用だと言っておこう。絡紗村は村民諸共に消滅したと聞いている」
誕生以来、暮らしてきた村が消滅した。
その事実をは淡々と聞いていた。
表情に変化は無く、それが彼女に何ら影響を与えなかったことが伺える。
彼女にとって、村は、民は、その程度の存在に過ぎなかった。
「村が消滅したというのに君はあまり哀しんではいないようだな。あそこは君の帰る場所であったのだろう?」
「いいえ、彼達に請われたから居ただけです。母の墓所に参れないことは哀しいですが、それだけです」
「すると君はあの村から逃げ出したかったと?」
「生活に困ることはありませんでしたし、彼達は良く尽くしてくれました。だから、逃げることを考えたことはありませんでした」
「分からんな。女、貴様はその村での生活に不満は無かったと言う。ならば何故、村の消滅を嘆かない」
が自身を拘束していた村人達を嫌悪していたと言うならばその反応も分かる。
けれども、そうではないと言う。
彼女の口ぶりでは、不自由無い生活を送らせてくれた彼達に感謝すらしているように聞こえた。
ギルガメッシュが理解に苦しむのも仕方が無いことだろう。
「私は普通でありたいんです。特別な存在などではなく、普通の存在として生きていくことを望んでいます」
「雑種にしては身の程を弁えた発言だな。だが、それが何の関係があると言うのだ」
「ですから、『聖女』という存在が嫌だったのです。普通に扱って欲しい、名前で呼んで欲しいと何度も頼みました。けれども、彼達はあくまで私を『
「ふん、やはり怨んでいたのではないか」
「違います。彼達があくまで私を『聖女』として扱うので、やがて私は自分の可能な範囲で普通を求めることにしました。その結果、私はあの村に留まりました。だって普通の人は、衣食住が満ち足りた生活を自分で捨てようとはしないでしょう?」
自分で捨てようとはしないことは大切であることと同義ではない。
彼女にとって村の消滅とは、衣食住が満たされた生活が失われたに過ぎず、彼女を『聖女』として扱う村人の死は哀しむに値しなかったのだろう。
普通であること。
如何なる状況であってもそれを追求し続ける姿勢。
その姿勢が既に歪みを生じており、普通では無いということには気付いていなかった。
そして、人の持つ歪みこそを是とする者が此処には居た。
「フハハハハ、面白い。歪みを抱えて尚、愚直なまでにその心根を貫くか。女、名をと言ったな」
「はい、そうですが」
「貴様には我の傍に侍ることを許す。我が貴様を
「有難う御座います……えと、あの……お名前を伺っても宜しいですか?」
「我の名を請うか。良いだろう、我の名はギルガメッシュ」
「ギルガメッシュ、様……?」
「そうだ。言峰、貴様も文句はあるまいな? この女からは魔力を感じる、ならば部屋に入れずとも回路を繋げば十分であろう」
ギルガメッシュはそれまで黙って成り行きを見ていた言峰へと話を振る。
一応尋ねる形を取ってはいるが、彼の贄として連れて来られたのだからをどう扱おうと彼の自由である、と思っていることが如実に伝わる発言であった。
「好きにするといい。魔力の制御については私の方から彼女に教えよう」
「あの、魔力とは何のことでしょうか?」
「君が『聖女』として扱われた所以である能力は魔術と呼ばれるものだ。そして魔力を用いて魔術を行使する者を魔術師と呼ぶ」
「では、私も魔術師だと?」
「そういうことになる。『普通』を求める君に一つ助言を与えよう。君はどうあっても『普通』の人間にはなれん。魔術師としての『普通』を目指すならば、求める姿に届くこともあるだろう」
「魔術師として……」
「偶然にも、私も魔術師だ。君に出来る限りの知識を授けることは出来る、『普通』の魔術師となる為に」
が頷いたことに満足したのか、言峰は今度こそ部屋を後にした。
ギルガメッシュもまた、言峰の後に続く形で部屋を出て行った。
一人残されたは思う。
数日前まで居た、生まれ育った絡紗村はもう無い。
行く宛ても無い自分を彼達は受け入れてくれると言う。
『普通』ならば、その言葉に甘えるべきだろう。
それにギルガメッシュは村人達と異なり、
普通であることを求める、普通でない少女。
故郷に当たる村を失った代わりに、普通とは程遠い教会において名前で呼ばれるという普通を手に入れた。
けれども、普通を求める故の彼女の歪みは此処でますます深められていくことになる。