起源
が教会に来てから1月が経過した。
大した怪我は無かったことから、2、3日する頃には動けるようになり今では完全に回復している。
怪我よりも問題とされたのはその食の細さだった。
『聖女』として暮らしていた時には精進料理のようなものを食べていたらしく、最初は食事が全く摂れない状態であった。
しかし、それも少しずつであるが食べられるようになり、体力も『ほぼ万全』と言える程に回復した。
そして漸く、は言峰の元で魔術の基礎について学ぶことになったのである。
「どうやら君の特性はは『補完』と『浸食』のようだな」
「二つもあるのですか?」
「魔術師でない者でも一つは持ち合わせているものだ。特筆すべきことではない」
「普通、ということですね。それでしたら構いません」
「では、君が今まで使用してきたのはどちらの特性であるのか。あれを見れば分かるだろう」
そう言って言峰が指し示したのは、テーブルの上に置かれた一つのグラスだった。
何の変哲も無いグラス。
しかし、それは数分前までは砕けていたのである。
手始めに『聖女』の所以となった力を見せるよう言峰に言われ、が行ったことだった。
砕けたグラスの破片の一つで腕を切り、自らの血液をその上へと垂らすことでグラスの修復を行う。
いや、それは修復では無いのだろう。その手には破片の一つが残っている。
血液という魔力を媒介として修復魔術を行ったわけではないということだ。
故に、それは――
「『補完』ですよね」
「その通りだ。君は自身の血液を対象に相応しい形に適合させる。対象は元の形に戻ったわけではない、君の血液によって補われたというわけだな」
「この力はそういった仕組みだったんですね。知りませんでした」
「魔術の存在すら知らなかったのだ、仕方あるまい」
はその血でもって村人の治癒を行っていたと考えられていたし、自身もそう思っていた。
しかし、実の所それは治癒ではなく補完だったということだ。
恐らくの血液が白血球や血小板へと適合して体組織を補っていたのだろう。
それが『治癒』という現象に見えたに過ぎない。
別の視点から見れば、彼女の行為は他者の身体に異物を加えているとも言える。
適合して見た目は変わらないとは言え、それは彼女の血液であることに変わりは無いのだから。
「さて君の魔術だが、まずは慣れている『補完』から鍛えていった方が良いだろう」
「鍛えるということは、このままでは駄目なんでしょうか?」
「今の君の魔術行使は自身の血液が不可欠だ。貧血という危機とも隣合わせということになる」
「それもそうですね。では、どうしたら良いのでしょうか?」
「血液を使わずに何処まで『補完』が使えるかを知る必要がある。まずはそれを試してみたまえ」
言峰の指示に従い様々なことを試みていく内に、の魔術について幾つかのことが明らかとなった。
一つ。彼女の魔術回路は血管と統合している。即ち、血液が減少すれば生成される魔力も減少するということ。
二つ。『補完』は魔術基盤を介した魔術ではなく、その発動に詠唱を必要としない。
三つ。『補完』は媒介無くして機能しない。また、媒介は彼女の細胞の一部である必要がある。
この三点である。
魔力そのものを媒介とした『補完』は作用せず、現状として血液の代わりとなったのは髪だけだった。
女性の魔術師は髪にも魔力が宿ることから代替品と成り得たのだろう。
けれども、血液と比較するとより多くの量が必要とされたことから適切な媒介であるとは言えなかった。
「ふむ、髪以上に魔力を含むものとなると残りは限られてくるな」
「綺礼さん。私は髪も媒介になると分かっただけでも十分です」
「しかし、君のもう一つの魔術である『浸食』がもしも私の推測通りであった際には、そうも言ってられないだろう」
「予想が付いているのですか?」
「確証はない。それでも、あらゆる事態を想定して可能性のあるものは試しておくべきだとは思うが?」
恐らく言峰の言葉に嘘は無いだろう。
彼にとっても、の力を正確に把握することは得になることはあれ損になることはないからである。
例え推測が違っていたとしても、新たな媒介が見付かることはにとっても良いことである。
「分かりました。では、今度は何を媒介に?」
「一般的な魔力供給の際にも使用とされるものだ。成功する可能性はそれなりに高いだろう」
これまでと同じようにグラスへと手を伸ばそうとしたを遮ると、言峰は何処からともなく取り出した黒い剣で自身の腕を浅く切り付ける。
突然の事態に驚くの前に、傷口から微かに鮮血の滲む腕が差し出された。
「あの、綺礼さん? 私は何をすれば良いのでしょうか?」
「傷を舐めれば良い。体液、この場合は唾液が媒介となるかを試す。グラスでは君が怪我をすることも起こり得るのでこちらにさせて貰った」
「つまり、体液にも相応の魔力がある、ということですね」
「その通りだ。唾液は簡易的な魔力供給の手段として血液と同程度に用いられている」
気化の性質を持つ魔力の保存が利くものとして体液は魔術協会では高く取引されるものである。
加えて通常の魔力供給は体液の交換によって行われることから、体液が魔術の媒介としても機能する可能性は十分にあった。
一連の行動は、あくまで血液の代替として作用する媒介を見付ける為に過ぎない。
双方ともそれを理解しているが故に、他者の血を舐めるという特殊である筈の行為は彼達にとって何ら問題とされなかったのである。
それが端からどのように見えるかなど気にも留めることなくが言峰の腕に顔を近付けていると、不意に扉が開かれ誰かが部屋へと入ってきた。
「言峰、貴様何をしている」
現在教会で生活してるのは三人だけであり、入室者は必然的に残りの一人、ギルガメッシュである。
彼は二人の傍まで寄って来ると、言峰の傷を前にして止まっていたの腕を引いて自分の方へと引き寄せた。
何故そのようなことをするのか、そして酷く不機嫌そうな顔をしているのは何故なのか、理由が分からないは首を傾げるばかりだった。
「我に断りなく何をしていた、言峰」
「魔術訓練をしていたのだ。彼女には必要なことだろう」
「そのようなことは言われずとも分かっている。我が問うているのは、貴様のその手をどうするつもりだったのかということだ」
「訓練の一貫として彼女に治癒して貰うつもりだったのだが、何か問題でも?」
「あるに決まっていよう。この女は我のものだ、我以外に魔力を与えるなど認めん。、貴様もだ」
「え、はい、ギルガメッシュ様。何がでしょうか?」
「我の物としての自覚が足りないと言っている」
「それは申し訳ありませんでした。以後気を付けます」
ギルガメッシュが何に対して不機嫌になっていたかを理解したは、素直に自分の非を認めて謝罪をする。
の謝罪によってギルガメッシュの機嫌が少し持ち直したのを見て、言峰は話を進める為に口を開く。
「ギルガメッシュ、彼女の訓練を続けたいのだがね。どうすればお前は満足なのだ」
「決まっている。魔術行使の対象を我にすればよい」
「お前がその為に傷を負うとでも言うのか?」
「魔力さえあれば戻るのだ、そのようなことは小事に過ぎぬ」
「ふむ、お前が構わないと言うならばそのようにしよう」
「決まりだな」
言うが否や、ギルガメッシュは自身の爪で手の甲を浅く傷付けるとそれをの前へと突きつけた。
二人の会話から何をすれば良いのか分からないわけではなかったが、ギルガメッシュの手の甲を伝い落ちる血を眺めては動きを止める。
手の甲という白いキャンバスに映える血の赤を、彼女はじっと見詰めていた。
「貴女は………ては……いけませんよ」
「、我を待たせるな」
その鮮やかな色によって何かを思い出しそうだった彼女の意識は、僅かに増したギルガメッシュの威圧によって引き戻される。
その顔を見ずとも、一向に動かない彼女にギルガメッシュが苛々としているのが分かった。
「舐めろ」
端的に告げられた命令に対して頷くことで応えると、これ以上彼の機嫌を損ねない内にと迷うことなくはそれを実行に移した。
そっと両手でギルガメッシュの手を支えて、垂れてしまった血の跡を辿るように指先から甲の傷へと舌を這わしていく。
『補完』の魔術を発動するに当たって唾液が血液の代替と成り得るかと調べる行為であったので、唾液を擦り込むように幾度か傷口を往復させた後、唇を離す。
先ほどまであった傷がその痕跡も残さず塞がっていることを確認して、はほっと息を吐く。
そして無事に終わったことを報告しようと顔を上げると、彼女の行為を観察していたらしいギルガメッシュと至近距離から視線が交わった。
「傷は治りました。どうやら唾液も血液の代替品として成り立つようですね」
「そんなことはどうでもよい」
「……ギルガメッシュ様?」
「瞳を閉じるな」
掬い上げるようにの頤を掴んで動きを封じると、ギルガメッシュは食い入るように顔を眺める。
本能的にここで瞬きをすれば大変なことになると悟ったは閉じそうになる瞼を堪えながらその視線を感じていた。
実際にはどれほどの時間であったかは分からないが、彼女にとっては酷く長いものに思われた。
ギルガメッシュの視線と手から解放された時にはの瞳は完全に渇き切っており、潤いを与える為の生理的な涙が溢れてきたことからも、それは決して短い時間では無かったのだろう。
「全く以って面白い存在だな。現世にも退屈してきていた所であったが、貴様を傍に置けばそれも紛れよう。喜べ、貴様の生き様はこの我が見届けてやる」
止め処なく零れる涙によって視界の塞がったには、耳から聞こえる声だけが情報として入ってくる。
それが先日初めて邂逅した際よりも遥かに愉しみに満ちていて、それでいて変わらずに個としての彼女を認めているということは分かった。
分かったのはそこまでだった。
唐突な立ちくらみが襲い、彼女の周りの音が遠ざかっていく。
訓練と称して血を使い過ぎたことによる貧血だから、騒ぐ程のことでもない。
かつて絡紗村で『治癒』を行った際にも見られた症状であったことから、はそのように判断した。
「言峰、此奴には他の魔術を教えてやった方が良いぞ。少なくとも、先刻の魔術を物質以外に行使することは止めるべきだな」
「理由は尋いても教えて貰えないのだろうな」
「わざわざ言う必要もあるまい。貴様とて、薄々は気付いているのだろう?」
「さて、何のことか私には分からないが」
「そういえば貴様、かつては異端討伐とやらを行っていたのだったな。識れば見逃すことは出来ぬか」
周囲の音は遠ざかっていたが、猶も二人の会話は聞こえていた。
しかし耳に入って来るというだけで、それを情報として処理することは彼女には出来なかった。
――血が欲しい
薄れていく意識の中で、彼女が抱いた想いは何だったのか。