月にみせる

月が見える
遥か頭上で輝く第二の故郷
膨らみ続けて丸々と肥えた姿を晒す
それはなんて朱いあかいアカイ――月

あぁ――今夜は満月だ



 生きとし生ける者が眠りに付く時間。 あらゆる音が消え、静寂が空間を支配する。 しかし今夜に限ってはその支配を拒むように響き渡る音があった。 我武者羅に壁を殴り付けているようなその音は、響くだけでなく教会という建物全体を揺さ振る震動を起こしている。 当然ながらそのような状況下の教会において安息を手にしている者は居ない。

「おい言峰。てめぇのことだ、これの原因も知ってるんだろ?」
「これについては私が感知する所では無い。期待に応えられなくて悪いな、ランサー」
「けっ、悪いなんて微塵も思ってないくせに良く言うぜ。で、あの王様は何処だ」
「ふむ……今のギルガメッシュには近付かない方が賢明だと思うがね」
「アイツの事情なんて知るかよ。これを引き起こしてるんだから、教会には居ることは分かってんだ。文句ぐらいは言わせろ」

 一般的に教会という建築物は広い空間を有してはいない。 虱潰しに探して行けば、そう時間は掛からずとも目当ての相手を探し出せるだろう。 加えて探索用ルーンを使用すれば、ランサーならば直ぐにでも辿り着くことが可能だ。 今夜、アレの近くに他の者を行かせるわけにはいかない。 優先すべきはその一点であると判断した言峰は、不機嫌そうな顔を隠しもしないランサーを納得させるべく幾らか手の内を明かすことにした。

「ランサー。先程はこの件に私は感知していないと言ったが、知っていることもある」
「あーはいはい、そうだろうと思ってましたよ、このクソ神父」
「そう怒るな。私が知っていては些か都合が悪いことなので、見て見ぬ振りをしているのだよ。それが彼女にとっての最良というわけだ」
「彼女? これに嬢ちゃんが関係してんのか?」
「関係しているも何も、全ては彼女がしていることだ。彼女こそ、お前の知りたがった『原因』だ」

 それはランサーにとって俄には信じ難いことであった。 何故ならば彼の知る彼女――はこのようなことをするような者には見えなかったからである。 この腐り切った教会には似つかわしくない穏やかな性格。 黄金の王に呼ばれ、駆け寄る際に靡く長い黒髪。 思い浮かぶのは誰かに庇護される側としての姿ばかりである。 何よりもあの細い肢体が、建物を揺らす程の力を持ち合わせているとは思えなかった。

「信じられないかね? それも当然だろう、今夜のアレはお前の知る娘ではないのだからな。その姿も、能力も、別人のようなものだ」
「回りくどい説明は止めろ。つまりは何なんだ」
「ランサー。お前には彼女からの魔力の受け渡しを禁じてあったな、アレの血を混ぜるなと。そして今夜の空、よもや分からないとは言うまい」
「血と……月、なるほどな吸血種か」
「そういうことだ。アレは特別製でな、吸血衝動に駈られるのは満月に限られる。外に出られても困るので今夜は部屋に封じているというわけだ」
「あの王様も一緒なんだな」
「それもまた満月の夜の慣習だよ。大方、特等席で見たいのだろう。あやつならば噛まれた所で吸血鬼化はしないと見て黙認しているがね」
「何でもありだな、人類最古の英雄王様は。それに対して俺には近寄るなってわけだ」
「私とてお前達サーヴァントが吸血鬼化するとは思っていないさ。それでも不安材料を取り除く程度はして良かろう」
「……ちっ、此処で大人しくしてりゃ良いんだろ」

震動は止まない。 それは彼女の苦しみの表象なのだから、夜の闇が去るまでは続くだろう。



この渇きを癒したい。
欲しいのは朱いあかいアカイ――血。

その欲求を、衝動を、本能を押し殺す為に、
殴る、刔る、引き裂く。


 壁や床、そしてその身体を痛み付けながら、尚も止まらない衝動が彼女の理性を焼き尽くそうとする。 早く夜が明ければ良いのに。と願わずにはいられなかった。 憎らしいあの丸い姿が見える夜はいつだって、朝に恋い焦がれる。 一度負けてしまえば、後は血に餓えたバケモノに成り下がるだけだから。

「はぁ……はぁっ……」
「苦しいか、?」
「……っぁ、ギル…さま……」
「我の血を飲みたいならば飲むが良い。お前の気が済むまで好きにすることを許してやろう」

 その言葉は、この上なく甘美な誘惑となって脳髄に響く。 ギルガメッシュが許可を与えてくれているのだ、拒む理由など無い。 それでも、晒された白い首筋から無理矢理に視線を引き剥がして、はふるふると首を横に振って拒む。 弱々しい動きは、それだけ彼女が消耗していることを意味していた。 傷だらけになった身体を見れば限界が近いことは明らかである。

身体が壊れるか、精神が壊れるか。

最早どちらが先であっても可笑しくは無い状態だった。 彼女とてそれに気付いていないわけではない。 それでいて、新たな傷が付くことすら厭わず、今にも彼に噛み付いてしまいそうな自分の身体をその両腕で必死に押さえ付けていた。

「我の誘いを拒むか。そうまでしてバケモノに成り下がるのは嫌か」
「ちが……わたし、は……普通を……っはぁ!」
「あぁ、そうであったな。お前は『普通』を望んでいるに過ぎないわけか。多くの雑種が労せずして手にし切り捨てるそれを、お前は此処までしなければ得られないとは。全く皮肉な話だと思わないか、
「身に、すぎる……ものだった……から」
「フハハハハ、たかが『普通』を身に過ぎるとは。いや、お前はそうでなくてはつまらんな」

 内から生じるモノを押さえ込むように蹲っていたへと、何の警戒も無しにギルガメッシュは近付いていく。 その接近に気付いた彼女は、動くことも儘ならない身体で何とか逃れようと足掻いた。 しかし、追う者と追われる者が逆であるべき逃走劇は、の背中が壁についた所であっさりと終わりを迎える。 眼の前の存在がバケモノの成りかけであることなど気にも留めずに、ギルガメッシュは平素と同じように手を伸ばし、彼女の頬に触れた。

「ギルさ……はなれて、くださ……」
「必要無い。この我がお前に噛まれてやっても良いと言っているのだ、その衝動に任せて好きにすれば良い」
「はぁ…はぁっ……や、です」
「何故だ。お前の基準に照らせば、『普通』であれば良いのだろう? ならば、今後は『普通』の吸血種としてあれば良いではないか。その身が人の枠に収まらぬ存在であること、気付いてないわけではあるまい」

残酷な事実を突きつけるのは、冷え切った朱いあかいアカイ――瞳
同じようでいてどうやっても違う赤を持つ瞳が交わる。 強まる衝動を感じながらも、今宵初めて彼の顔を正面から見つめて彼女は告げた。

「……どんなに歪でも、逸していても……それでも、私は……人でありたい!」

それは一線を越える直前にという極限状態故に引き出された言葉だったのだろう。 『普通』という言葉に覆い隠してきた、彼女の心からの叫びだった。

「それがお前の本心というわけか。『普通』など、確かに身に余るものであったな」
「ぁ……や、も、だめ……おねがい……」
「嘘偽りなく心を曝した褒美だ。お前の望み、聞き届けてやろう。――天の鎖よ――」

 ギルガメッシュが片手を上げると同時に空中より現れた鎖は彼女の肢体を吊るし上げる。 理性という制御を失った身体が幾重にも巻き付いた鎖の束縛から逃れようともがくが、それも僅かな間に過ぎなかった。 満月の加護によりその能力は増していると言えども元より不完全な吸血鬼、神を律する為に作られた鎖から逃れられるわけも無かった。

「夜が明けるまで大人しくしていろ。月の満ちた夜のお前の容貌は嫌いではないが、それ以上の傷が増えては価値も下がる。そうして動けぬならば、理性が飛んだ所で我を襲うことも出来まい」
「はぁっ……ぎる、……わたし……」
「謝罪ならば聞かぬぞ。お前を傍に置くと決めたのは我だ。それがどのようなモノであれ、我の物であることに変わり無い」
「で、も………ギル、ガメッシュ、さ……」
「くどい! 言ったであろう、貴様の生き様はこの我が見届けてやると。せいぜい足掻いて我を愉しませよ。だが――」

 服が切り裂かれたことで露になっているその首筋へと口を寄せると、ギルガメッシュは躊躇なく噛み付いた。 痕を付ける等という生易しいものではない。 噛み千切らんばかりに強く歯を立てられた其処からは血が滲み出ていた。 その血一滴すら自分のものであるかのように彼は丁寧にそれを舐め取った後、今にも唇が触れそうな距離で彼は尊大に告げる。

「お前が堕ちる時、その牙で此処に喰らい付く最初の相手は我だ。努忘れるなよ、

彼女の首がこくりと上下したのを認めると、僅かな距離は零へと詰められた。



金色の王と出来損ないの金色の姫が交わした約束。それは姫が抗い続ける限り果たされることの無いもの。 けれどきっとそれで構わない、約束の意義は果たすことではなく交わすことにあるのだから。 出来損ない金色の姫が永遠に完成品にならなくても
――金色の王の決定は覆らない。

2011.10.17.