示されていた未来の胎動
彼の王と文字通り駆け抜けた十一日間。
それは今も彼の心の奥深くに色鮮やかな記憶として残っている。
聖杯戦争はそれまで自分が如何に狭い見識であったかを思い知らせてくれた。
勿論、それ以外にも得たことは沢山ある。
けれど何よりも、一緒に行くことを許されなかった自分が、あの男の隣に立つに値しなかった自分が、悔しかった。
色んなことを知る為に世界を見て回りたい。
その気持ちに嘘はなかったが、根底にはあの男の見た場所を自分もこの眼で見てみたいという思いもあっただろう。
世界を回る中でこれまでの安穏とした生活では考えられないようなことを経験し、今まで触れたことも無かったような神秘にも遭遇した。
自分が成すべきことは一体何であるのか。
その答えを得た時、ウェイバーはかつての学び舎である時計塔へと戻ることを決めた。
「恐ろしい程に変わらないな、此処は」
久々に戻ってきた時計塔は彼が通っていた当時のまま権威主義の温床としての様相は全く変わっていないようだった。
そうなると、必然的に一つの問題が浮かび上がる。
ウェイバーが数年前までこの時計塔に通うことが出来ていたのは、歴史が浅いとは言え、偏に彼が魔術師の家柄であったからに過ぎない。
時計塔にはあくまで『休学』として知らせてあるので、生徒として復帰することはそう困難ではない。
しかし問題は『誰に師事を仰ぐか』ということである。
ウェイバー・ベルベットは第四次聖杯戦争に参加するに当たり、彼の師に当たるケイネス・エルメロイ・アーチボルトから聖遺物を奪った。
そうして参加した聖杯戦争で生き残ったのはウェイバーのみ。
彼が直接手を下したのではないにせよ、師を裏切ったことは明らかである。
そんな彼を、新たに弟子として迎え入れる人物が果たしているとは到底考えられなかった。
「さて、どうするかな」
「そんな所で立ち止まって何をしているのかしら?」
再びここで学ぶには何らかの手回しが必要であることは明白であり、その為の手段について考えを巡らせていた彼の前に、彼女は現れた。
キャメル色の髪にラテン系の顔立ち。
何処となく見覚えがあるような気もしたが、名前まで思い出すことは出来なかった。
そもそも、知り合いであると決まったわけではない。
此処に着いてから既にかつての学友何人かと顔を合わせたが、彼達は誰一人としてウェイバーに話し掛けては来なかった。
となれば彼女は偶々廊下で立ち止まっている人物を見て声を掛けただけの相手に過ぎないということも十分に考えられた。
「大方、戻ってきたは良いけどケイネスを裏切った自分を弟子にしてくれる相手は居ないことに気付いて困ってる。といったところでしょうね」
「別にそんなこと誰も言ってないだろ」
「顔を見てれば分かるわよ、ウェイバー・ベルベット」
「どうしてボクの名前を……オマエ、誰だ?」
「あら、私のこと覚えてないの? かつて机を並べて共に学業に励んだ仲なのに」
『机を並べて』ということは同じ学科の生徒であったということだ。
降霊科、キャメル色の髪、そしてこの喋り方――
思い当たる人物は一人だった。
「・、か。見違えたな、誰だか分からなかった」
「女性は年齢を重ねる毎に美しくなるものよ。それに貴方の方こそ随分と雰囲気が変わったわ。そうね……男らしくなったかしら? まぁ、外見よりも中身の方が大事なのだけれど」
「それはどうも、全く褒められてる気がしないけどな。それよりオマエ、まだこんな所に残ってたのか。とっくに出て行ったものだと思ってた」
「何処に居ようと私の自由でしょう。ここでやらなくてはいけないことがまだ残ってたのよ。それに学生ではなく講師助手の立場だから、研究もしてるわ。ねぇ、私の話よりも貴方の話を聞かせてくれないかしら。此処を出てからどうしていたの?」
「なんでそんなことまでオマエに話さなきゃいけないんだよ」
「……意外ね。聖杯戦争で生き残ったことでも自慢されると思ってたのに。第四次聖杯戦争で生き残ったマスターは二人だけという話だったから」
「ボクは生き残っただけだ、勝ったわけじゃない。それは自慢することでも何でもないだろう」
は驚いたように瞬きを幾度か繰り返す。
そして言葉の意味を噛み締めるように眼を伏せた後に見せた表情は、先程までよりも幾分か柔らかいものになっていた。
「貴方の言う通りね。聖杯戦争への参加は条件さえ揃えば魔術回路を動かしたばかりの子どもにも可能なことよ。だから、それは誇ることでも何でもない。そして令呪の放棄によって教会による保護が受けられる以上、生き残ることもまた同じ。
でも……貴方は最後まで戦った上で生き残ったのだから、それは誇っても良いことだと私は思うわ。
貴方のサーヴァントが征服王として知られた彼のイスカンダルであったとしても、逃げ出さないと決めたのは貴方自身でしょう」
「その言葉は受け取っておく。でもボクは、魔術師としてあの時の自分を誇ることは生涯出来ない。唯一誇れるとしたら、それはあの男の臣下として認められたことだけだ」
決然と、ウェイバーは言い切った。
そこには召喚したサーヴァントに臣下として認められたことを恥じる様子など一切なく。
その言葉が、彼の嘘偽りない気持ちの表れであることが伝わってきた。
そしては今度こそ満足そうに笑みを浮かべた。
「本当に変わったのね。これなら、待っていた甲斐があったわ」
「何の話だ?」
「私の家が代々占星術に長けていることは話したことがあったわよね?」
「そういえば、聞いたような気がするな」
「貴方が今日時計塔に戻って来ることも事前に占じていたのよ。だからここで会ったのは偶然では無いの」
「それで、何の用なんだ? そこまでしたってことはボクに何か用があるんだろう?」
「待っていたのは私だけれど、用があるのは私ではないわ。私はある人に貴方を連れてくるように頼まれただけよ。今からその人の所へ行くから、ついてきて」
一方的にそう告げると、ウェイバーからの返事を待たずに彼女は背を向けて歩き出す。
しかし彼にしてみれば『ある人』というのが誰であるか分からない以上、迂闊についていくことは出来なかった。
この時計塔では他者を陥れる為に様々な権謀術数が巡らされる。
今日ウェイバーが此処に戻ってきたことを知る人間は限られており、後ろ盾などないことは誰から見ても明らかである。
早々に追い出すならば今が打って付けのチャンスであった。
何よりも、あのがわざわざウェイバーを待っていたというのが怪しい。
彼女の家は七代も血統を重ねた魔術師の名門家だ。
時計塔の奨学生でもあるそんな彼女が、中途休学までしたウェイバー相手に世話を焼くはずがない。
ついていくべきか、このまま立ち去るべきか。
どうするべきかウェイバーが考えあぐねていると、先を進んでいた彼女が振り返った。
「来ないの? 疑っているなら一つ言っておくけれど、この話は貴方にとっても悪いものではないわ。貴方の抱える問題も解決してくれるでしょうね」
「相手が誰なのか聞かないことには行けないな」
「言わないわよ……いいえ、言えない、かしら?」
「どういう意味だよ、それ」
「制約がかかってるのよ。わざわざこんなことに術を掛けずとも良いと思うのだけれど、よっぽど貴方に来て欲しいのね」
「来て欲しくない、の間違いじゃないのか?」
「あっているわ、名前を聞いたら貴方は絶対に行かないと言い出すもの。相手が誰だか分からない状態の方がまだ貴方が来る望みはある、そう思ったのでしょうね」
筋は通っている。
ただ、そこまでして彼に来て欲しいと思うならば何故わざわざ彼女を使うのか。
本人でないにしても、より関係の深い人間が来ても良いはずである。
彼女が『関係の深い人間』であるという可能性もあるが、もしもそうならば制約などをかけたりはしないだろう。
「私が待っていたことを疑問に思っているなら考えても無駄よ。だってこれはあの人とは何も関係が無いもの。私の我侭に過ぎない」
「オマエが自分から進んでボクの所に来たって? そんなことする理由がないだろう」
「貴方が知らないだけで理由ならあるわ」
「ならボクにも納得出来るように説明してみろよ」
「悪いけど……今の貴方には話すつもりはないの、まだ、ね」
「いずれは話すってことか」
「そうね、貴方がそれに見合うだけになったならば必ず。だから今日の所は『かつての級友の行く末を心配したから』といった理由で了解してくれないかしら?」
「……分かったよ。とにかく、そいつの所に行けば良いんだろ」
「話が通じる相手で助かるわ。家の名にかけて、貴方の身の安全を保証することを誓います」
元来、口約束であっても魔術師はそれを違うべきではないとされていた。
特に占星術を得意とする家は、今でも言葉の力を重んじている。
その名をかけるということは、これはなりの最大の誠意であった。
そこまで言われては、ウェイバーも覚悟を決めるしかなかった。
さて、鬼が出るか仏が出るか。
拭い切れない不安を感じながらもウェイバーは、キャメル色の髪を揺らしながら前を行くその背から眼を逸らすことはなかった。
数年振りに再会した級友。
その姿に眼を奪われなかったと言ったら嘘になるだろう。
ありし日の面影も確かにあるが、それよりも見知らぬ人物のように感じる部分が大きい。
『見違えた』というあの言葉は本心からだった。
思い返してみれば、共に学んでいたあの頃から彼女は家柄から他者を区別するようなことはなく、能力の高い人間に対しては正当な評価を下していた。
ウェイバーに対しても、家柄だけでその実力を決め付けるようなことはしなかった。
その後、成績の思わしくなかった彼に呆れたような眼を向けるようになったが。
『かつての級友の行く末を心配したから』
あの言葉も、存外嘘ではなかったのかもしれない。
と、眼の前を歩いていた背中が消えたことに彼は気付いた。
見失わないように見ていたはずなのに、先程までその背中があった所には壁しかない。
時計塔は曲りなりにも魔術協会総本部である。
考えられることは一つ。
ウェイバーは迷うことなく眼前に聳え立つ壁へと進んで行った。
何らかの境界線を越えたことを感知した時には、そこは突き当たりに大きな扉のある広い回廊となっていた。
「ここは……?」
「あの人の家が所有している領域よ。さて、私の案内は此処まで。あの扉の向こうで彼女が待っているわ」
「彼女って、まさか女性なのか?」
「自分の眼で確かめることね。Arrivederci」
「待てよ! また……会えるよな?」
「あら、気に掛けてくれるの? 私は貴方の嫌いな権威主義の恩恵を被っている側の人間なのに?」
「オマエはそれに見合うだけの努力をしていた、血筋に胡坐をかいてるような奴じゃない」
「ありがとう。そうね、貴方に余裕があるようなら私から会いにいくわ」
来た時と同じように不意に彼女の背中は見えなくなった。
彼女が出て行くと同時にこの空間が閉じられたのを感じ取った。
戻る道はない。あるのは進む道のみ。
彼を視ている数多の視線を感じながら、ウェイバーは突き当たりの扉へと歩を進めていった。
重苦しい扉の先で待っていた人物。
その人物との出会いは彼の未来を決定的なものとした