代替品ではない私を貴方に
「お待ちしておりました、ジャンヌよ」
そう言って、今日も彼は私の前に現れた。
最近私は変な人に付き纏われている。
外出する度に行く先々で現れるその人は、所謂ストーカーというものなのだと思う。
誰にも教えてないはずの場所にも現れ、しかも私より先に待っているのである。
つまり、後を追けてきているわけではないということだろう。
これはちょっとした恐怖だ。
とは言っても、からくりは分かっているので彼という人物そのものに慣れてしまった今となっては既にそれは問題ではなかった。
「こんにちは、ジル・ド・レェ卿。一日振りですね」
「ご機嫌麗しゅう。何度も申し上げておりますが、私めのことはジル・ド・レェと呼び捨てに」
「目上の方には敬意を払うようにとの教育を受けてますので」
「目上などと……! 貴女の方が私などより余程高貴な存在です!!」
ここまでのやり取りは最早通例と化している。そして今日も噛み合うようで決して噛み合うことのない会話を行うのだ。
彼は黒魔術の背徳と淫欲に耽溺し、神をも恐れぬ行為を反復したフランスの『聖なる怪物』ジル・ド・レェ伯爵。
彼を題材とした青髭という童話によって現代でも広く知られている。
この冬木の地に、第四次聖杯戦争のサーヴァントとして召喚された存在だった。
どうやら私のことを、かのジャンヌ・ダルクの生まれ変わりだと思っているらしい。
私と彼女の共通点と言えば髪色くらいのものだと思うが、理由の程は不明である。
彼は私を完全にジャンヌだと思い込んでおり、私が訂正しても頑なに主張を曲げようとはしなかった。
私の行く先々に彼が現れて執拗に交流を求めるのは、私が彼にとって『ジャンヌ』であるからに過ぎない。
だから、私は時折考えることがある。
もし本当のジャンヌ・ダルクが現れたならば、その時に私はどうなってしまうのかということを。
彼のジャンヌ・ダルクへの執着は常軌を逸している。
ならば、偽物として彼を騙していた私は殺されてしまうということも大いに有り得るだろう。
なんて理不尽な話なのか。そんな理不尽な事態にまみえてしまう前に、本当はどうするべきであるのか私も分かっている。
彼達に今置かれている状況を話して、あのホテルから一歩も出なければ良いのだ。
彼は渋い顔をするかもしれないが彼女はきっと味方をしてくれるに違いない。
そうなれば結局は彼も折れることになるのは目に見えている。
確実に生命を保証される環境が手に入るだろう。
けれども、私は未だに彼達にジル・ド・レェ卿の存在すら報告していない。
この行動の意味は何なのか。
「ジャンヌ。もしやご気分が優れないのですか? なれば一刻も早く休息の取れる場所にお連れ致しましょう」
「いいえ、大丈夫です。少し考え事をしていただけですから」
「どうかご遠慮なさらず。貴女に万一のことがあってはこのジル・ド・レェ、償っても償い切れませぬ」
「本当に大丈夫ですから。それよりも、今日もお話を聞かせて頂けますか?」
「それが貴女のお望みであるならば、我が聖処女よ」
彼は酷く優しい。今ここで、私と相対する彼からは伝え聞く狂気などは全く感じられなかった。
その全ては彼がこの地上の如何なる存在よりも高く戴くジャンヌ・ダルクへと向けられたものであるからだろう。
よもやそれが『私』に向けられているなどという勘違いはしていない。
では何故、私は彼との関わりを保ち続けているのか。狂おしいまでにジャンヌ・ダルクを求める彼への同情から、一時の戯れに興じているだけなのか。
それとも、別の何かがそこにはあるのか。
生来感情の起伏というものに乏しい環境で生きてきた私には、自身の気持ちなど分かるわけもなかった。
そしてその答えは得られないまま、私と彼の歪な関係はある日突然終わりを迎えた。
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「こんにちは、ジル・ド・レェ卿」
いつものように出掛けた先に現れた彼に、私は違和感を覚えた。
恭しい挨拶も、私の言葉に反応することもなく、ただ無言でそこに立ち尽くす。
その様子は明らかにこれまでとは違っていた。
「何かあったのですか?」
「今日は貴女にお別れを告げに参りました」
それだけで、何が起きたのか分かってしまった。
彼の様子がおかしい理由にも納得がいった。
「見付かったんですね。本物のジャンヌ・ダルクが」
「そうです。彼女こそ、間違いなく私が追い求め続けた麗しの聖処女ジャンヌ・ダルク! 誰よりも気高く、そして誰よりも敬虔であった我が運命の乙女に相違ない!!」
「おめでとうございます。他人事ではありますが、貴方の願いが叶うことは私も嬉しいです。それで、私の処遇はどうなるんでしょうか。やはり、殺しますか?」
これから殺されるかもしれないというのに、不思議と心は落ち着いていた。
恐らく、随分と前から私の中で覚悟は決まっていたのだろう。
この結末を予測しながらも回避しようとはしなかったのだから。
けれども、いつまでたっても私の身には何も起こらなかった。
「ジル・ド・レェ卿? 私を殺さないのですか?」
「確かに、私は今日そのつもりで貴女に会いに来ました。ですが、貴女の命を奪うことに抵抗を感じているのです」
「そうですか、貴方らしくもありませんね。私にとっては喜ばしいことですが。覚悟が出来ていたとは言え、まだ死ぬには惜しい年齢なので」
再び口を閉ざした彼は、ただじっと私を見詰めている。
何故彼が私を殺さなかったのか、その理由は分からない。
けれども、彼の瞳に今映っているのは『ジャンヌ』ではなく『私』なのだということは分かった。
それを許容すべく彼自身も理解が及ばぬ理由で葛藤しているということも。
「……貴女はジャンヌではなかった」
「はい。貴方は聞いてくれませんでしたが、私はこれまでに何度もそう言っていますよ」
「では貴殿は何者ですか?」
その瞬間、私が待っていたのはこの言葉だったのだと、気付いた。
いつか私が『ジャンヌ』ではない気付いた時に、彼に『私』の名前を尋いて欲しかった。
ただそれだけのために私は彼との関係を保ち続けていたのだと。
「私の名前は。・アーチボルトです」
「。良い名ですね、覚えておきましょう」
「ありがとうございます。私も貴方のことは忘れないと思います」
万感の想いでもって告げた私の名前は今度こそ彼に届いた。
だから、それ以上交わす言葉は何もなかった。
彼は私の目の前で霊体化して姿を消したがそれを呼び止めたいとは思わなかった。
ただ、やはり彼も英霊だったのだと、この段に来て今更のように実感を覚えたくらいだ。
何故ならこれまで彼は一度として、私の目の前で姿を消したことはなかったのだから。
全ては終わった話だ。
もう二度と、彼と会うことも話すことも無いだろう。