happening!
一週間のほとんどにおいて、私の一日は弓道場から始まる。――――スパンッ
という小気味よい音に耳を傾けながら、目を閉じて壁に寄り掛かる。
そうすると、瞼の裏に弓をつがえる姿をありありと思い浮かべることができる。
別に中で見て貰っても良いのよー? と顧問の藤村先生にも言われたが、それでも部外者の私が弓道場内に入って見学することには気後れしてしまう。
だから私はいつもこうして音に耳を澄ませることで、中の様子を想像して楽しんでいた。そろそろかな、と思い腕時計を見ると針は八時過ぎ指している。
いつも通りならば、朝練も終わる時間だ。
挨拶の声が聞こえてから十分もしない内にばらばらと部員の人達が出てくる。
その中には、後輩の女の子達に囲まれた彼も混じっていた。
「じゃん。なに、今日も待ってるわけ? ほんと良くやるよね」
「おはよう、間桐くん。もう習慣っていうか身体に染み付いちゃってて。せっかくだから引退までは続けようかなって」
「他人のためにそこまで出来るって僕には理解出来ないな。お前にとってアイツってそこまでする価値があるんだ」
「価値とかじゃなくて、もうそれが当然になってるっていうか。小さい頃からずっと一緒に居るから」
「ふーん。僕に幼馴染って奴が居たとしても、そうなったとは思えないけど」
「うん、人それぞれだからね」
会話はそれだけだった。
間桐先輩行きましょうよー。という後輩の女の子の声に促されて彼は行ってしまったから。
振り返ることはないと知っていたので、私はその場で大きく息を吐いてしゃがみ込む。
暫くそうしていると、扉を施錠する音が聞こえて足元に影が差した。
「……何やってんの?」
「あ、ああああ綾子ちゃん! どうしよう、朝から間桐くんと話しちゃった!!」
「はいはい、良かったねー」
「凄い棒読み!? 私にとっては一大イベントなのにっ!!」
「だってあたしには関係ないし」
主張はばっさりと切り捨てられたけれど、綾子ちゃんは私が立ち上がるまでその場で待っていてくれた。
それが嬉しくて、私は彼女の腕にしがみつく。
歩きにくいだろうに、振りほどこうとはしない。
だから私はこの幼馴染が大好きだった。
「でも、もうちょっと幼馴染の恋路に興味持ってくれても罰は当たらないと思う」
「あたしにしてみたら、あんたがなんで間桐なんか好きなのか不思議でしょうがない」
「また綾子ちゃんはそういうこと言うー。間桐くんは良い人だよ?」
「その認識がまずおかしいって」
間桐くんの見解について、私と綾子ちゃんはいつも平行線だった。
私が何度言っても、綾子ちゃんは間桐くんの良さを分かってくれないし、私も綾子ちゃんが言う間桐くんの悪さが分からない。
それでも、私は彼女に『好きでいるのは止めろ』と言われたことはなかった。
その辺りは私の意思を尊重してくれるらしい。
こうして毎朝彼女を待っているのは、間桐くんに会えたら良いなという打算が混じっていることもきっとお見通しなのだろう。
それなのに、中で見なくて良いの? とまで言ってくれる。
幼馴染の優しさにずるずると甘えてしまうわけにはいかない。
私が外で待ち続けている本当の理由はそれだった。
小さい頃からいつも綾子ちゃんに頼り切りだから、これ以上は迷惑を掛けるわけにはいかない。
高校に上がってから少しだけ距離を置いたのも、多分そういう気持ちがあったからだと思う。
「綾子ちゃんだって好きな人が出来たら分かると思うよ。遠坂さんと賭けてるんでしょ?」
「……なんでが知ってるのさ」
「風の噂。かな」
「はぐらかさない!」
組んでいた腕を解いて先に歩き出すと今度は逆に綾子ちゃんに腕を掴まれて引き戻される。
そんなやり取りをばたばたと続けながら私達は教室へと向かう。
下駄箱で靴を履き替えている時になって、不意に綾子ちゃんが思案気な顔で聞いてきた。
「そういえばあんたは間桐に告白しないの?」
「どうしたのいきなり?」
「高校入った頃から好きだとは聞いてるけど、一向にそういうそぶりがないからね」
だってもうじき三年じゃない。受験勉強も本格的にしないといけないし、いつまでも部活の待ち伏せしてるだけってわけにもいかないでしょ。
そう綾子ちゃんは説明した。確かに三年に上がってしまえば今まで以上に余裕はなくなる。
その段階で告白して奇跡的に間桐くんと付き合うことが可能になったとしても、恋人としての時間はあまり取れないだろう。
けど、私には最初から決めていることがあった。
「あのね、告白するつもりはないの」
「はぁ? どういうこと、それ」
「だって私なんか間桐くんに眼を留めて貰えるほど可愛くないし、告白して断られたら今みたいに挨拶したりも出来なくなっちゃうだろうし……。だからね、毎日会えるだけで幸せだし、今日みたいに時々話しが出来るだけで良いの」
「。昔から言ってるでしょ、あんたは……」
綾子ちゃんが何かを言いかけたところで、反対側の下駄箱のガタリと音がした。
ばっと素早く反応した綾子ちゃんが様子を見に行くと、そこには話題の当事者である間桐くんが居た。
「……立ち聞きとは、良い趣味だね。間桐」
「人聞きの悪いこと言わないでくれるかなぁ。僕がここに居たらお前らが勝手に話し始めたんだろ?」
「随分前に教室に向かったあんたがここに居ることが不自然過ぎる」
「フン、何処に居ようと僕の勝手だろ。それに、今はお前の相手なんてしてる暇はないんだ。なぁ、。僕のこと好きなんだって?」
「ちょっと間桐! 待ちなさいよ!」
「煩いな、僕の邪魔をするなよ。美綴なんてどうでも良いからさ、は――」
間桐くんの言葉を最後まで聞くことなく、私は走り出していた。いつもなら間桐くんと話しているのに立ち去るなんて絶対に有り得ないけど、今だけは別だった。後ろから綾子ちゃんと間桐くんの声が聞こえたけど、とても振り返ることは出来なかった。
間桐くんとどんな顔をして会えば良いのか分からなくて、これからどうしたら良いのかも分からなくて、頭の中はもうぐちゃぐちゃだった。