まず手始めに宣戦布告
そこは不思議な空間だった。
足元にも周囲にも緑が溢れ空気は透き通っているのに1m先の景色すら見えない。けれども、どこかあの懐かしいシャーウッドの森を想像させる。ふらふらと当て所もなく歩いているとイチイの木を見付けた。もしかしたらあるんじゃないかと期待はしていたが、本当にあるとは思っていなかった。
英霊が現代に召還されるのは世界の抑止力として働く場合だ。
こんな人間が一人も居ない争いのない場所に呼ばれるなんてことはそもそも有り得ない。だから、此処はきっと泡沫の夢のようなものなのだと分かった。
英霊でも夢を見るのかとかそんなことは分からないが、現実ではないことは確かだった。
懐かしい空気を楽しむのも悪くはないがさてこれからどうするか。と思いながらも足は自然とイチイの木へと向かう。そして太い幹に背を預けて座り込んだ。結局、ここが一番落ち着くのだ。
「よう、相棒。つっても、同じかどうかなんて分かんねぇけど」
けれどこの世界ならば、或いはそんなことも有り得るのではないかと思えた。要は気持ちの問題だ。オレがそうだと思えばこいつは生前いつも世話になっていたあの大樹なんだろう。そんなことを考えながら眼を閉じる。この森を探索するのも良いが、かつての景色は今も心に残っている。今更この眼で見たところで何も変わらない。ならば、今は此処でゆっくりと休みたかった。何処からともなく吹いてくる風が頭上の葉を揺らし、葉音ですら心地良い眠りを誘うように感じられた。このまま眠ってしまってもいいかもしれない。
寄せてくる眠気に身を任せようかと思っていたら、不意に頭上が騒がしくなった。葉を揺らす音に違いはないがそれは自然の生み出すものではなく人為的なものだ。音の発生源からして間違いなく頭上に誰かが居る。それでも、何故か迎え撃とうなどという気は起こらなかった。この森で生活していた頃はそんなことは日常茶飯事だったというのに。
夢だと分かっているから気が緩んでいたということもある。
だた、それ以上にこの木が登ることを許した相手なら害ある者ではないだろうと思ったことが大きかった。
「あの……だれかいるの?」
暫くそのまま待っていると聞こえてきた声は、想像していたよりもずっと幼いものだった。きっと見上げればその姿は簡単に視認することが出来るだろう。けれども、なんだかそれではつまらないのでこのまま会話を続けることにした。
「そーいうアンタはなんでそこに居んの? オレが来た時には誰も居なかったはずなんだよね、此処」
「もりできにのぼってあそんでたの。わたしずっとひとりだったのに、おにいちゃんこそいつきたの?」
「さあね。ま、予想は付くけどアンタに言っても分かんなさそーだし」
「よくわかんないけど、おにいちゃんはむらのひとじゃないの?」
「あーっとそうだな、前はそうだったんだろうけど今は違うぜ」
「そうなんだ……それならこわくないね」
かさかさと再び頭上から葉音が聞こえる。
次の瞬間には、とんっと軽い音と共に一人の女の子が上から降ってきた。
そしてオレの顔を見ると安心したように表情を緩めて、そのまま隣に腰を下ろした。
再び無言になり、さわさわと木々が揺れる音だけが響く。
先に口を開いたのは相手の方だった。
「……こんにちわ」
「どーも。あのさ、アンタ一人でこいつに登ったわけ?」
「うん、そうだけど……だめだった?」
「駄目ってわけじゃねぇけど、オレの木ってわけでもないし。ただ、よく登れたなぁって思っただけ」
「ほかにあそぶところがないから。たかいところならいろんなものがみえるし、それにだれにもみつからないから」
「ふーん、嫌われてんだ。村の奴らに」
そう言うと、びくりとその身体が跳ねる。
何となく予想は付いていた。
子どもがこんな所で一人で遊んでいるなんてどう考えてもおかしい。
それなりの理由があるのは明らかだった。
その事実を確認したかっただけなのだが、隣を見ると膝を抱え込んで縮こまってしまっている。
子どもの相手なんて生きてる間も死んでからもしたことはない。
どうしたもんかと思いつつも、とりあえずその頭をぐしゃぐしゃとかき回すことにした。
「悪ぃ、別に嫌なら話さなくていいから。なんつーか、同じような境遇なら放っておけねぇなぁと思ったっていうか」
「おにいちゃんも、わたしとおなじだったの……?」
そこで漸く彼女は顔を上げた。泣いているかと思ったが、涙の跡はない。そのことに少しだけ安堵する。いくら夢の中の出来事とは言え、流石に子どもを泣かしたとあっては目覚めも悪い。頭を傾けてこちらを伺う姿は外見的にはオレが知るこの地域の人間と何ら変わりはなかった。だとすれば、やはりコイツの迫害の理由は恐らく自分と似たようなものなのだろう。コイツが『いつ』の人間かなんて知らないが、時間が経っても変わらない風潮には嫌気が差す。
人が悪いんじゃない、全てはあそこにずっと蔓延っている悪習のせいだ。
分かっていても形のないものが相手ではどうしようもない。
それに、そんな些細な出来事のために抑止力は働かない。
どう考えたところでオレに出来ることなんて何もなかった。
だから、これが単なる気休めでしかないことは分かってる。
例え気休めでもないよりはマシだ。
「そんなもんだな、オレも良く此処には来てたし。森は良い、嫌なことなんて全部忘れさせてくれる。それに森に居る間は少なくとも一人じゃない」
「わたしもすき。でもね、おひさまがでてるあいだはいられるけどよるにはかえらなきゃいけないから。それがいつもさびしいの」
「なら良いこと教えてやるよ。この辺りにはイチイの木から弓を作ると森と一体になれるって伝承があるんだぜ」
「イチイのきって?」
「オレたちが今寄りかかってるこいつのこと。まぁアンタには弓なんてあっても仕方ないだろうし――」
立ち上がり、一声掛けてから枝を折る。
興味深そうにこちらを見ている少女にも見えるように再び腰を下ろすと、太過ぎず細過ぎないそれを小刀で削っていく。
数分もしない内に円環を配した1つの十字架が完成した。
久々に作ったにしては悪くはない出来だろう。
「ほら。これなら持ってたって村の奴らにも余計なこと言われねぇだろ」
「わたしに? くれるの?」
「要らないとか言うなよ、せっかく枝をくれたこいつに悪い」
「ううん。たいせつにする、ありがとう!」
「はいはい。こんなことで良ければいくらでもやってやるよ」
「ほんと?」
「嘘吐いてどーすんだっての。オレは森の守り手なんでね、これぐらいはお安い御用ってな」
自分が招いたこととは言え、そのきらきらとした瞳を一身に受けることに居心地の悪さを感じていると声無き声が聞こえた。
本当に此処はどこまでもあそこにそっくりらしい。
「もうちょい付き合ってやりたたかったが、どうやらそろそろ帰らなきゃいけないみたいだぜ」
「おにいちゃん、かえっちゃうの……?」
「アンタも帰るんだよ。どうやって来たのか知んねぇけど、まぁ来れたんなら帰れるだろ」
「わたしかえりたくない」
「我儘言わない、つーかオレに言われても困るから。多分気付いたら戻ってるだろうし」
「じゃあ、またあえる?」
「あーそれも約束は出来ないねぇ。でもま、森はアンタと一緒だからさ。それでもう夜も寂しくはないだろ」
少女の手の中に握られてる木彫りの十字架。それが戻ってからも残るかどうかなんて保障はなかったけど、そうでも言わないと納得しない気がしたから。こくりと頷いたのを見て、最初と同じようにくしゃりと頭を撫でた。
もし戻った時になかったら、それこそ少女は絶望するかもしれない。そう考えると随分と無責任なことを言ったものだと、後悔を覚えたところで景色がぷつりと途絶えた。
+++
意識が覚醒する。本来英霊は睡眠など必要としないのだが何故かこの空間では夜になると睡魔が訪れる。此処がセラフの中でも確実な安全が確保されているからかもしれない。まるで人間みたいだな、と最初は思ったものだ。そもそもこの世界に生きている人間など存在しないことを思えば何とも皮肉な話だ。
「起きたのか、アーチャー」
その声で脳裏にちらついていた何かの残滓が霧散した。
聞き間違えようのない重厚な声。
今のオレにとって何よりも優先すべきものだ。
「っと、マスターもう起きてたんですか。済みませんね、いつまでも眠りこけてて」
「構わん、お前にだって休息は必要だろう」
「そう言って頂けるのは有り難いですけどね。っかしいな、ダンナが起きてんのに気付かないなんて」
「そういうこともある。今日のお前の眠りは随分と穏やかだったからな」
「げ。人の寝顔見るなんて良い趣味じゃないっすよ」
人の気配に気付かないなんて、あってはいけないことだった。
それはすなわち死を意味している。
だから、誰かが居ようと居まいと、熟睡なんてしたことはなかったのだが。
「そんなに良いもん見てたのかねぇ……ま、どーでもいいけど。それで、ダンナ。今日はどうするんです?」
「昨日と同じだ。日中は校内探索、夕刻にはアリーナに向かう」
「へいへい。ほんっと遊びがなくて結構なことで」
「何処へ行くアーチャー」
「偵察です。この部屋出た途端に何かあったりしないとも限らないでしょう。この階だけ見たら直ぐ戻りますよ」
背中に向けられる訝しげな視線に気付かない振りをして、そのままマイルームを後にする。
廊下に出ただけでその気配は一気に濃厚になった。
対戦相手のサーヴァントを誘き寄せて一気に始末する、というわけではないのだろうが。
「誰だか知らねぇがマスターを待たせてるんでね、手早く済まそうぜ」
巻き込まないために単独行動に出たが交戦すればマスターには伝わってしまう。
言及は免れないとしてその弁明を考えていると、不意に腰元に何かがぶつかった。
考え事をしていたとは言え、周囲への警戒は怠っていない。
察知させずに懐に入り込めるとしたら気配遮断スキルを持つアサシンか。
そこで気付いた。
攻撃をされたものだと思ったが身体に痛みなどは無い。
そのことに違和感を覚えて、警戒をしながらも見下ろすと子どもが一人腰に抱きついていた。
「子どもだからって油断するとか思ってるんなら、オレも舐められたもんだねぇ」
「やっぱり……緑のお兄ちゃんだよね?」
声に反応して上げられたその顔はきらきらとした期待に満ちている。
一瞬その光景に既視感を覚えるも、掴み取る前に掻き消えてしまった。
もう思い出すことが出来ない何かに対してちりちりとした焦燥感が走る。
そんなこちらの思考など預かり知らぬ少女は、何が嬉しいのかにこにこと笑っていた。
「やっと会えた! あれから何度もあの木に行ったんだけどお兄ちゃんには一度も会えなくて……でも、これがあったから寂しくなかったよ」
「この妙な気配の発生源はそれか。キャスターかと思えばアサシンみたいな真似もするし、アンタ何なんだよ。ていうかまずこの状況が何なわけ?」
「わたしのこと覚えてないの?」
「覚えてないも何も、アンタとは初対面。もし前の召還で会ってたとかでも、どっちにしろ記憶には残ってねぇよ。ってわけで、それ貰うぜ」
「これはだめ!」
少女の手に握られてる木彫りの、恐らく十字架だと思われるもの。
それから放たれているのは間違いなくオレの痕跡だった。
どうしてそんなものを持っているのかは分からないが、他者の手に渡っているとなれば取り戻さないわけにはいかない。
この少女が警戒していないのは明らかだったから、簡単に奪い返せると思ってオレは手を伸ばした。
しかし、予想に反して少女は素早い動きでそれを避けると、そのままオレから距離を取った。
「いくらお兄ちゃんでもだめなの。お兄ちゃんがくれたんでしょ、だからこれはもうわたしのものなの」
「はぁ? 意味分かんねぇっての。なんでオレがわざわざアンタに渡すんだよ」
「覚えてないんだったら……もういいもん」
俯いてぽつりと呟かれた言葉。
泣くのだろうかと思い、またそれに既視感を覚える。
一体これは何なのか。
自分のことなのに分からない部分のあることが酷くもどかしい。
そのもどかしさが反応を遅らせたのか。
手を伸ばせばぎりぎり届く距離に居たはずの少女は5mほど離れた場所へと移動していた。
そして、こちらに指を向けてこう宣言した。
「お兄ちゃんが覚えてないなら、絶対に思い出させてみせるから。覚悟しててよね!」
それだけ言うと、目的は果たしたとばかりにくるりと背を向けて走り去る。
無防備に去っていく背中を射るのは容易い。
それでも、何故か矢を構える気にはなれなくて、そのまま消え去るのを見送ってしまった。
オレらしくもない。
あらゆる手段を用いて敵を排除する。
そんな作業はこれまでにも幾度と繰り返してきたはずだったのに。
知らないはずなのに知っている気がする少女。
一方的に告げていった宣言からすると、恐らくこれからもオレの前に現れるだろう。
面倒なことになったものだと思いながらも、この理解不能な感覚の答えが得られるならそれも悪くないとさえ感じた。
それはきっと優しい夢の続き