傷だらけのレゾンデートル

 この世界は創られた物語だ。 今この瞬間でさえ、誰かがという登場人物が書かれた本を読んでいるに過ぎない。 彼女以外の全ての人間は役を演じているだけなのかもしれない。 与えられた役割も分からないままに舞台に立ち続けているのは彼女一人で、出番の済んだ人間は舞台裏で談笑しながら休んでいるのだ。
 そんなことをずっと考えながら彼女は生きていた。 この世界が創りものめいて感じられる。 不幸にも、上位次元からのメタ認知という視点を得てしまったことで彼女は世界を、延いては自己の存在に疑問を抱いてしまった。

 生きている

 そんな単純にして当たり前のことを実感することさえも出来ない。 彼女が考えて何かを為したとしても、それもまた台本に記されている通りなのだ。 ならば、この存在にはどんな価値があるというのか。 無気力に流されるまま時間だけが経過した。 「生きている」のではなく「ただそこにある」だけ。 そんな日々に変化を訪れたのは、一人の神父と出会ってからだ。 神など居ない。 居るとすればそれはそう、この物語を創った作者という名の神だけ。 だから神に縋ろうなどと思ったわけではなく、ただ、何となくその教会に足を運んだというだけのことだった。

そして――は言峰綺礼に殺された。

 殺されて、初めて生きているのだと思えた。 身体を貫く痛みが、確かに「ここに居る」のだと教えてくれる。 容赦なく刃物で貫いたこの人は、自分と同じ世界に居るのだと示してくれる。 あと数分もしない内に心臓が止まる、そんな状況において彼女は笑った。 とても幸せそうに。それが創られた世界で彼女が見出だした、唯一の価値ある存在だった。



「おもしろきこともなき世をおもしろく、と言ったのは誰だったか」
「悪いが、お前と違って無駄な知識に割く記憶野など持ち合わせてはいないのでな」
「高杉晋作。一般常識の類だから覚えていないことの方が問題だと思うけど?」
「知っていてわざわざ聞くとは、相変わらず無為に時間を過ごしているらしい」
「頁をめくれば経過する時間にどんな意味がある? 何をやっても筋書通りなら、こうして何もせずにいることも予め決められている通りだよ」

言峰の居室に置かれたソファで彼女は寛ぎながら、聞きようによってはただの暴論を振りかざす。 それでも彼女にとっては真実であり、その理論に綻びなどはない。 何をしようと世界は勝手に進むのだ。

「つまらない、つまらない、つまらない。全てが決められている世界はなんてつまらないんだろうか、なぁ言峰」
「それはお前の価値観だ。私にとってこの世界はつまらないものではない」
「どうして貴方は同じところまで来ないのだろうな。それが何故なのかは分からないが、未だにそう思えていることが本当に羨ましい。『こちら』から見れば貴方でさえも幸せに思えるくらいだ」
「それで、お前は私に何を求めているのかね?」
「おもしろきこともなき世をおもしろく。創りものに実感を与えてくれ、いつものように」

いつの間にか彼女の手元にはライトを反射する刃物が握られている。 立ち上がった彼女が音を立てて突き刺した机には、似たような傷が幾つも残されていた。 溜息を吐きながらナイフを抜いた言峰を確認すると、彼女は躊躇うことなく服を脱ぎ捨てる。 ――刹那、晒された白い肌に赤い線が走った。 線は傷口となり、鮮血が零れ落ちる。 一本、二本、三本。 視認出来ない速度で振るわれるナイフは、確実に線を増やして彼女の肌を朱に染め上げていく。 増える傷と流れる血を嬉しそうに見つめながら、彼女は痛みを受け止める。 まるで肌が焼け付くように痛い。 けれど、この痛みこそが彼女が「生きている」実感だった。

「自傷ならば一人でやれば良いだろう。毎回付き合わされるこちらの身にもなって欲しいものだな」
「自分でやっても意味は無い。貴方が、言峰綺礼がするからこそ意味があるんだ。それに、強制はしていないつもりだよ」
「詭弁だな。こんなことなら、あの時にお前を殺しておくべきだった。過去を悔いても仕方のないことだが、認めよう。あれは私の失態だ」

彼女が彼と出会った日。 何をせずとも放っておけば生き絶えるはずの彼女を治癒魔術で救ったのは、他でもない言峰だった。 死ぬ間際の女が、これ以上の幸福はないと、自らを刺した男を見ながら笑ったのが赦せなかったのだ。 そんな顔が見たくて、この女を殺したのではないと。 結果、殺されるはずだった彼女は生き延びて、彼に傷を求めている。 あの日初めて知った、生の実感を再び得るために。

「ならば、あの日のように刺してみるか? そうして欲しいと言っているのに、いつも貴方は実行しようとしない。刺し易い黒鍵でなく、切るためのナイフばかり使うのもそうだ」
「後始末が面倒だ。お前に治癒を施術するのにどれだけ私の魔力が削られると思っている」
「傷なら時間を掛ければ治る、痕など残って構わないよ。まさか死なない程度の加減も出来ないわけではないだろう」
「そうか……誤って殺してしまうかもしれないが、構わないな?」
「それこそ望むところだ」

この世界に刻み付けて欲しい。 貴方の手で、私という存在を。

to めぐるさん 2012.07.23.