紛い者の懺悔室

 その仕事が彼女の元に回ってきたのは、たまたまそういう流れがあったからなのだろう。ドイツの片田舎に居を構える、とある魔術師一家の魔術刻印の移植を頼むという依頼が舞い込んだ。名前を聞いて直ぐには思い当らないような程度の家柄であり、代を重ねるに連れて衰退の一途を辿っていったよくある魔術師の家系だった。曰く『魔術刻印を姉から弟へ移して欲しい』と。本来、魔術師の家系とは一子相伝であり、親から魔術を伝えられる後継者はただ一人。魔術刻印を受け継ぐ子もまた一人である。しかし万が一、不慮の事故等で後継者が亡くなってしまう可能性を踏まえて、代替品として予備の後継者を用意しておくことは衰退を辿る家系ではそう珍しいことでもなかった。だからこそ、何らかの事情があって魔術刻印を同世代間で移植するということはそう珍しいことでもない。細々と衰退を辿るくらいであれば魔術刻印を協会に売り払い、そのお金で魔術とは別の道を開拓しようという家も居ないわけではないという。こと現代において、魔術刻印を正しく一子相伝の形で伝えられているのはそれこそ貴族主義の家系など力ある家くらいのものだろう。
 そう、姉から弟への魔術刻印の移植、それ自体は珍しいことではなかった。彼女が受けたこの仕事において特筆すべきことがあったとすれば、それは刻印の持ち主である姉の方が刻印を移す側である弟よりも、遥かに魔術師として優れた回路を有していたことだろう。調律師が見るべきは魔術回路と魔術刻印のみであり、その家の事情などではない。優れた調律師であればあるほどその一線をよく弁えており、余計な口を挟むことなくその場で見たことを決して口外しないものだ。彼女も調律師の端くれでありそれで生計を立てる身の上であるからこそ、見極めるべき一線というものは身に付けている。ただ、相手の方が勝手に語り始めたとなれば話は別だった。

「調律師さん、とおっしゃるのですよね。魔術刻印を調律する専門の術者だとか」
「その通りです。本来、魔術刻印の移植は専門ではありません。ですが今回は刻印の全てが現後継者に移植済というわけではないようでしたので、一部の移植であればと引き受けさせて頂きました。何やら込み入った事情もおありのようでしたので」
「私の都合に巻き込んでしまって申し訳ありません」
「いえ、これも仕事ですから」
「移植の準備には時間が掛かるのですよね? ついでに少しお話を聞いては頂けませんか?」
「本当に聞く『だけ』で宜しければ、どうぞご自由に。こちらも信用商売でやっておりますので仕事上耳にしたことは口外致しません」
「ありがとう」

椅子に腰掛けた少女の皮膚の上を滑るように手を動かすことで彼女は少女の持つ波動を感じ取っていく。繊細な神経を必要とするその作業を一切阻害することなく、少女の外見に相応しい穏やかな声で語られる話が彼女の耳に流れ込んできた。
訥々と紡がれたのは魔術師としての少女の半生とその傍らに常に在った弟について。そして今日この日を迎えることになった経緯だった。調べて直ぐに分かったことであるが、少女の魔術回路は衰退していると聞くこの家のものとしては稀有なほどに優れており、両親が少女を後継者として見定めるのは当然の判断と言えた。この家にとって、いや魔術師を名乗る者であれば誰であれ、少女が魔術を捨て野に降ることは許される行為ではないと言うだろう。けれども、少女は今の道を歩んでいくことを止めるという決断をした。それがどのような事態をもたらすか、この賢い少女であれば分からないはずがない。誤算があったとすれば、共に手を取ってこれからも同じ道を歩んでくれると思っていた弟がその手を離したことだろう。結果として、予め定められていた通り弟は少女の代替品となった。自分が切り離すことにした重たいものは、全て弟に押し付けられることになってしまったのだ。
 これ以上、弟に何かを背負わせるわけにはいかないと思った。言ってしまえば、少女は懺悔を聞いてもらいたかったのだろう。少女は己の選択を悔いてはいないし、翻すつもりもない。故に許しを得たいわけではない。ただこの先へと少女が進むためにも、己の業と向かい合う機会を必要としていた。どこまでも部外者であり、この先決して交わることはないと確信を持って言える彼女の存在は、少女にとっては良き巡り合わせであったのだろう。一先ずの作業の終わりを伝えられ入れ替わる弟を呼びに行った少女は、どこかすっきりとした面持ちをしていた。少女にはこの先ずっと、背負っていかなくてはならないものがある。話を聞くだけで少女の憂いが少しでも拭えるのであれば、彼女がここを訪れた意味もあったのだろう。

 刻印の移植自体は、当初想定をしていたよりも短い期間で終了した。聞けば弟の方は元々姉のスペアとして育てられており、幼い頃より姉に不慮の事態が起きた時にはいつでも刻印を移植できるようにと調整をされていたという。姉弟という血縁としても近しい存在であったことから、二人の生体波動も全く同じとはいかないまでも系統として「似ている」と分類して差し支えのない状態であったことも味方していたのだろう。不安材料と言えば弟の魔術回路が姉に比べるとかなり少ないという点であったが、一度に全ての刻印を移すわけではなく今回は既に姉に移植してあった分の刻印のみを移すということであったため、多少の拒否反応はあったものの強い副作用なども起きずに無事に移植は完了した。経過観察の必要もほとんどない、良い仕事をできたと自信を持って言える完成度であった。
 しかしそうは言っても魔術刻印は魔術師が一生涯付き合っていくものであり、時間経過と共に上手くいったと思われる移植にも異変が起きる場合もないわけではない。晴れて跡継ぎとなった弟はいずれ時計塔へ留学をする予定だと少女から聞いていたため、時計塔に来た際にはこちらを訪ねてくるようにと少年には連絡先を手渡しておいた。アフターケアは必要であるが、本来そこまでする必要はない。連絡先を家ではなく彼本人に渡したのは、少女から事情を聞いてしまったからこそ、だろう。姉の代わりとしてのみ存在を認められ育てられてきたにも関わらず、事ここに至っても姉の願望をただ一人否定することなく背中を押す。それだけでなく、共に行くこともできたはずなのに己の道を歩むことを決めた姉の代わりに全てを引き受けることを選んだ少年に対して、ほんの少しだけ面倒を見てあげようという気持ちが芽生えてしまったのだ。調律師として完全に割り切ることができない、彼女の自覚している欠点だった。


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「それで何だっけ? 君が魔術刻印移植してあげたあのドイツの家」
「フォルヴェッジ家のこと?」
「そうそう。どうだった?」
「別に。あなたの好みの面白そうなことは特には」
「なんだつまらない」
「あ、でも、刻印を移植した弟くんが将来時計塔に来るそうだから、その時にはここを訪ねてくるように伝えておいた。私が弟子としてお世話になってる師匠の工房が時計塔にあるから、そこに来てね。師匠は三大貴族の家の出だからいくつかコネも紹介できると思うよって」
「……君さぁ、まだそんなこと吹聴してるの」
「何かご不満かしら? メルヴィン師匠」
「そもそも私は君の師匠ではないし、君と私は同年代だろう」

彼女、はメルヴィン・ウェインズの肩にも届かない位置にある頭を可愛らしく傾げてみせる。その様子からはとても彼女が二十代後半いやさ三十を越えているかもしれない年齢であるとは見えず、かなり甘く見積もったとしてもせいぜいハイスクールの生徒がいいところだろう。

「外見は女性の武器なんだから最大限に使わないと損でしょう。それにウェインズ家の庇護下にあるということにしておくと面倒事もあちらから避けてくれるし」
「なら年下から子ども扱いされた時に、年長者への敬いが足りないといって不機嫌になるのはやめたらどうだい」
「それはそれ。外見で相手の力量を判断するようなら、魔術師として三流も良いところでしょ。視る力をもっと養わないと」
「遠回しに初対面の時のウェイバーのことを批判するのはやめてあげなよ」
「――そもそもだ、君たちは何故私の部屋に居るのかね?」

不意に割り込んだその声は明らかに不機嫌さを纏っており、発言者の眉間には常の三割増しくらいで深い皺が刻まれているであろうことは確認するまでもなく明らかであった。しかしもメルヴィンも、そんなことで怯むような二人ではないし、相手が彼となれば尚のことであった。この時計塔で暮らしているのだから、時と場所と相手は彼らもよく弁えている。故に、弁えた上での振る舞いがこれということであった。

「もちろん親友に会いに来たからさ。借金の取り立てではないから安心したまえ」
「珍しく工房が出てきてるメルヴィンとその親友に会いに来たから。お茶は勝手に頂いてるからお構いなく」
「分からないようならばはっきりと言おう。仕事の邪魔だ、出ていってくれ」

言うだけ無駄、ということはこれまでの付き合いから彼も重々承知していることだろう。それでも何も言わずにいればこれ幸いとこの二人は今後も入り浸るようになる。それだけは避けねばならなかった。無下に追い払うこともできず、かといって師匠の心境を推し量れば二人にこのまま居てもらうわけにもいかずフードを被った小柄な少女は見るからに困っていた。そこに面白そうな予感がしたという理由でロードの義妹が現れるまであと数秒。そしてエルメロイ教室の双璧が喧噪と共に駆け込んでくるまであと数分。いつも以上に騒がしい状況に耐え兼ねたロード・エルメロイU世が爆発するのは未来視の魔眼を持たない者であれ容易に想像が付くことであったが、分かった上でその未来を回避しようという者はこの場に一人も居なかった。

2017.12.13→加筆修正 2018.05.21