be in a bad mood

 エクターの下に引き取られてから十年、基本的に義兄がわたしのすることについて口を出してきたことはほとんどなかった。そのことについて彼に尋ねれば 「おまえのすることになんざ興味はない、オレに迷惑かけさえしなけりゃ勝手にすればいい」 と、いつものようにうざったそうにしながら言うのだろう。そんな義兄から、珍しくもこの旅に出る前に一つだけ言われたことがあった。
 人生の大半を過ごしてきた慣れた土地で、同じような訓練を繰り返す日々を過ごすことと、見知らぬ土地を旅することでは大きく勝手が異なる。いざという時に十分な力を発揮できないのであれば、睡眠を削ってまでして何かをしたところで意味がない。休息が常に同じようにとれるものと思わない方がいいと。
 その話を聞いて、わたしは実にもっともなことだと思った。エクターの下での日々において、不測の事態というものは、まず起こらなかった。それに反して、これから先はそうした事態の連続になるのであろう。成すべきことは決まっており、その決意が揺らぐことはない。けれども、何事も意志の力だけで成し遂げられるものではない。
 足手まといはごめんなんだよ。と面倒臭そうに憎まれ口を叩く義兄は、恐らくこれまでのわたしが眠っていなかったことをどこかで知ってしまったのだろう。心配を、してくれていたのだと思う。もちろん正面切ってそのことを指摘すれば、彼は顔をしかめて否定をするだろうが。それでも、馬小屋で目を覚ます度に、いつもかけられていた毛布の暖かさを、わたしは覚えている。だからその遠回しな心遣いに、心の中で感謝をしたのだ。


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 長年染み付いた習慣というものは、簡単には抜けないものである。かつてと同じように早朝に目覚めて、宿の馬小屋に繋いだ馬たちの朝の世話をする。そうして宿にあてがわれた部屋へと戻れば、旅の同行者である二人も姿を現していた。

「おはようございます。今日は随分とお早いんですね」
「あ? そりゃあおまえに比べれば、誰だって遅いだろうよ。オレだって好き好んでこの時間に起きたわけじゃない。今日はたまたま目が覚めた、それだけだ」
「なるほどなるほど。ねえ、ケイ。キミは昨晩、どこの花を愛でていたのかな」
「……なんで、オレがそれをおまえに答える必要がある?」
「いやなに、少し気になることがあっただけさ。うん、まあキミが気にしてないというなら私はかまわないよ」
「そういえば、ケイ兄さん。昨晩は早くに戻られていたようでしたね」

町に滞在する間、二人が女性に声をかけていることは承知している。自分には理解できないが、男性にはそういった行為も必要なのだろう。不誠実な振る舞いをしていないということであれば、と、これまでも取り立てて口を挟むことはしてこなかった。昨晩の義兄の様子からしても、当然そういった相手を探しに行ったものだとばかり思っていたから、珍しいと思ったことを覚えている。ここにくるまで滞在してきた町では大抵の場合、義兄が戻ってくるのは朝方になってからのことが多かったからだ。

「おやそうなのかい? ケイが失敗するなんて、珍しいこともあるものだ。キミは確実性を求めてあまり冒険はしないタイプだろうに」
「ふん、別に失敗したわけじゃないさ。巡り合わせが悪かっただけだ。時間はまだまだあるんだ、焦らずやっていけばいい」
「へえ、キミが一人の女性に固執するなんて、興味深いこともあるものだね。きっとそれだけ魅力的な女性なんだろう、ぜひ私もお目にかかりたいものだ」
「良いことではありませんか。騎士たるもの、心に決めた相手は一人であるべきです。マーリンも少しは改めてみたらいかがですか?」
「うん? 私の場合、そのどれもが永遠の愛を誓ったものだ。ある意味、全員が心に決めた相手であるとも言えるだろう。そもそも、私は騎士ではないからね」

そうやって嘯く彼には、何を言ったところで暖簾に腕押しにしかならないだろう。一頻り他愛もないやりとりを済ませたところで、昨晩できなかったこの町での滞在日数などを含めた今後の方針について話し合うことになった。話し合い、と言っても議論を交わすわけではない。この旅も、決められた道筋を歩んでいるに過ぎないのだから。預言にも等しいマーリンの言を聞き、わたしが意見する。そこに義兄が口を挟むことは滅多にない。求めれば意見を口にすることもあるが、それも嫌々ながらといった体である。この旅に付き合うことも本意ではないらしい義兄に、無理強いをすべきではないことはわたしもわかっていた。
 決めた、というよりも決めさせられた、という感覚が強い。そんな話し合いを終えて、五日間という今回の期限が決められた。


 旅の間、わたしが町を歩くのに、取り立てて何か理由があるわけではなかった。なにせ頭の中の冷静な部分はいつも同じことを告げている。一つ一つの町を知ることに意味はない、その行為はいずれ成すべき決断を鈍らせることに繋がるだけに過ぎない、と。それでも必要な時が来れば、自分は求められる最適な判断を下すことができるだろうという確信があった。それに本当に意味のない行為であれば、そもそもエクターもマーリンも、わたしを旅に出すことはしなかっただろう。だからこうして町を見て回るということも、わたしが王としてあるために無駄ではない過程の一つであると理解していた。
 この町は、十年間暮らした故郷の町とは異なる活気に満ちていた。昼間の町は、昨晩見回った際とはまた違った顔を見せている。城下町に近いことで流通の多さがもたらす結果として、様々な商売が盛んであることに起因するものなのだろう。いくつか並んだ露店を見ていると、ふと、店と店の間の路地の入口でしゃがみ込んでいる女性が目に入ってきた。

「お嬢さん、どうかされましたか」
「ああ、すみません。なんでもないんです。少し予定よりも多く買い過ぎてしまって、どうやって帰ろうかと考えていただけなんです」
「よろしければ、手を貸しましょうか?」
「え、いえいえそんな、騎士様のお手を煩わせるようなことではありませんから」

腰に佩いた剣にちらりと視線を向けながら、女性は恐れ多いとばかりにそう口にした。服装からして女性はごく普通の身分であることが伺える。身分差から彼女が遠慮をするのも無理のないことだと思った。

「気にしないでください。それに困っている方を見過ごすことはできません」
「ですが……」
「ではこうしましょう。わたしは美しい女性を見かけて声をかけた、そして彼女ともう少し共に時間を過ごしたくて、帰り道を送ることを申し出ました」
「ふふ、お優しいんですね。ありがとうございます。せっかく素敵な騎士様にお声をかけていただいたのに、お断りしては悪いですね。お誘いに乗らせていただこうと思います」
「もちろんです。それではどちらまで?」
「お店の買い出しだったんです。ついてきていただいてもいいでしょうか?」

頑なな様子を見せていた女性は、こちらからの提案に少し驚いたように目を瞬かせた後、ふわりと花が開くように笑った。その笑みはどこか高貴な雰囲気すら感じさせるものであり、それと同時に、似たような笑みを比較的身近などこかで見たことがあるように感じた。その影を追い求めようとしたところで、彼女が纏っていた雰囲気はぱっと霧散していってしまい、後に残ったのはその身なりに相応しい愛嬌のある町娘然としたものだけだった。
 今ここで言及するほどのことでもない。そう結論付けると、不思議そうに首を傾げてこちらを見ている女性の荷物を預かり、彼女の先導の下、ひと時の会話を交わしながら目的地へと向かった。店について別れる頃にはすっかり緊張も解けた様子の彼女を見ていると、先ほど感じたものは気のせいだったのだと思わざるを得なかった。けれども、そのままにしておくべきではないとも、直感が告げていた。この町に滞在している間に、もう一度会うこともあるかもしれない。その時に尋ねてみてもいいかもしれない。この時のわたしは、そう結論付けたのだった。


 再会は思っていたよりも早くに訪れた。日が傾き、町並みが橙色に染まり始めた頃、馴染みのある音を耳が拾った。それは本来であればこのような町中で聞こえてくるはずのない、剣戟を振るう音だ。頭で判断するよりも先に、身体が動いていた。音を頼りに駆け付けてみれば、目に入ってきたのは無残にも地面に散らばった商品と思しき品々と、壊れた露店。そして、その直ぐ側で立ち竦んでいる見覚えのある女性の姿だった。

「貴方は昼間の……」
「あ、騎士様……また、お会いしてしまいましたね」
「できれば再会はこのような場所でないところが良かったですが。怪我はありませんか?」
「はい。私はお客さんの忘れ物を届けた帰りに、たまたま通りがかっただけでしたので……ですが」

彼女とわたしの視線の先では、鎧を纏った男たちが互い以外は目にも入らぬ様子で剣を振るっている。自分たちの行いで周囲に被害が及んでいることなど、気にも留めていないのだろう。見ている間にも、形あるものが次々に失われていく。ぶつかり合う剣の音が響く度に、隣の女性がびくりと肩を震わせるのが分かった。

「こういったことは、この町ではよくあるのですか」
「時々、です。誰にだって虫の居所というものがあるでしょう。そういうものが重なってしまった時に、あるんです。こういうこと。でも、私たちにはどうにもできないので」
「嵐が去るのを待つしかない、と」
「仕方がない、ですよね」

通りに広がる惨状から目を背けるようして彼女は視線を落とす。見たところ彼女に怪我はない。目の前の通りは男たちにより塞がれているものの、迂回をすれば店に戻れないこともないだろう。にも関わらず、彼女がこの場に留まっていた理由は、壊された露店の店主らに対して気遣わしげに向けられた視線から大方のところは察しがついた。

「大丈夫です。ここはわたしに任せて、貴方は避難して下さい」
「そんな、危ないですよ!」
「ご安心を。こう見えて剣の腕には多少の自信があります。良き師が居ましたから、そう易々と遅れを取るつもりはありません」
「でも……」
「ここに居ては貴方も巻き込まれてしまいます。今度は送って差し上げることができず申し訳ないですが、さ、早く」
「っ、ありがとうございます……!」

昼間に女性を送っていった店はここから程近い場所にあったはずだ。女性の足でも走っていけば問題なく辿り着けるだろう。その背中が路地の向こうに消えていくのを見届けた後、剣の柄に手をかけながら、騒ぎの中心に向けてわたしは歩を進めていった。これ以上被害を拡大しないためにも、彼女が望んでいたであろう、一刻も早い事態の収束をするために。

 話合いで済むとは初めから思っていなかった。明らかに頭に血が上っている様子の二人には、どんなに正論をぶつけたところで届かないだろうと。あの女性をこの場から立ち去らせるために言った言葉に嘘はないが、少しばかり見栄を張ってしまったかもしれない。続け様に浴びせられる攻撃を躱しながら、このままでは確実に立ち行かなくなることをわたしは理解していた。
 多くの場合、一対一の戦いに横槍を入れた結果引き起こされるのは三竦みの睨み合いであるものだが、稀に両者どちらからも集中攻撃を受けることがある。今回の場合、運悪くと言うべきか、引き当てたのは後者の方だったらしい。彼女が言ったように虫の居所が悪かっただけで、彼らの間には互いにそこまでの因縁はなかったのということなのだろう。横槍を入れてきた第三者に目標を定めた彼らは、それまでのいがみ合いは何だったのかという程に調子を合わせて攻撃を仕掛けてくる。鎧を纏っていることもあり大振りとなっている彼らの一撃を躱すことそれ自体は何も難しいことではない。けれども、場が良くなかった。わたしが躱すことでその後ろに居る人に、物に、被害が出てしまう。そう考えると、躱してばかりもいられず、受け止めざるを得ない。受け止めれば、当然そこには隙が生じる。
 視界の端に、こちらに向かって剣を振り被る男の姿が見え、わたしは襲い来る衝撃に備えて身を硬くした。が、予期していた方向から衝撃が襲ってくることはなく、視線を向ければそこには自分に打ち込まれるはずだった剣を受け止める、よく見慣れた後ろ姿があった。

「ああ、くそ。やっぱりか……嫌な予感ほどよく当たるもんだ」
「ケイ兄さん、どうしてここに……?」
「聞いたんだよ、金の髪を一つに束ねた少年騎士に助けてもらったってな。そんな容姿のやつは他にもいくらでもいるだろうが、揉め事に進んで首を突っ込みそうなやつは、オレの知り合いに一人しかいないもんでな。……で、余計な面倒を起こすなと何度言えばおまえは理解するんだ?」
「すみません。理解はしているのですが」
「ちっ、理解してても実行に移せなきゃ意味なんざありゃしねえんだよ。おい、そこ! 見てないでさっさと出てこい!」

剣を押し返す勢いのままに、義兄がどこかへ向けて声を張る。と、さも当然のようにどこからともなく彼は姿を現したのだった。

「やあ、これはこれは。まさかキミまで来ているとは思わなかったよ。偶然というものは恐ろしい」
「マーリン!? 貴方までいつの間に」
「私かい? 私は面白そうな気配がしたから来てみただけさ。なかなかに楽しそうなことになっているね。うん、やはり来て良かった」
「はっ、よく言うぜ。どうせ最初から全部見てたんだろうが。いいか、一つだけ言っておくぞ。おまえは、余計はなことは、するな」
「いやはや、そう期待されると応えたくなるものだが、どうしたものかな」
「どこをどう取ったらそう聞こえるんだドアホが!ったく、こっちは今日こそは、と思ってたところを邪魔されてただでさえイラついてるんだ。これ以上何かしようってんなら、まずはおまえから叩き切るぞ」
「二人とも、たわむれはそこまでに。来ます!」

その時になって、わたしは自分の口元に笑みが浮かんでいることにようやく気付いた。いつもそうだ。未熟なわたし一人の力では上手くいかないことでも、マーリンと義兄がいれば何とかなる。ここぞという時には必ず、二人はこうして来てくれるのだ。こんなことを口にすれば、義兄からは迷惑をかけるなという意味を理解しているの、とまた皮肉をぶけられてしまうだろう。それでも、今だけと理解していても、こんな日々が続くのも悪くないと思ってしまう。

 目の前には屈強が騎士が二人。
 ――だとしても、もう負ける気はしなかった。


 後片付けも含め全てを終えて宿に戻った頃には、さすがに疲れが身体を襲っていた。なんだかんだと不平を漏らしながらも、義兄は散らかった露店の片付けまで手伝ってくれた。その様子を思い返して、思わず口元がほころぶ。あの口の悪さが治れば、義兄を誤解する人も少なくなるだろう。もっとも、エクターでさえ治せなかったのだからそれは到底無理な話なのだが。
 恐らく、義兄を寄越してくれたのはあの女性なのだろう。明日にでも、彼女の店を尋ねて御礼を言わなくてはならない。そんなことを考えながら、わたしは与えられた寝床にもぐりこみ、眠りについた。

2021.06.08