……逆らうつもりか?
近頃では、彼の淹れてくれた珈琲を味わう時間が数少ない楽しみの一つに増えた。
これまでは手間を惜しんでカフェイン摂取という最低限の目的だけは果たせるインスタントを購入していたが、やはり珈琲は豆から挽いたものに限る。
挽きたての豆が放つ薫りが味を深みのあるものにしていた。
以前のように一人暮らしをしていたのでは到底味わうことが出来なかっただろう。
この珈琲を毎日味わえるだけで彼を召喚した価値があったとさえ思う。
彼を繋ぎ止めるのに供給する魔力など微々たる対価だ。
無言でカップを差し出すことで2杯目を要求しながら、ふと彼の中についでのように紛れていた情報を思い出した。
サーヴァントとしての性能には全く関係無い、無意味であるとして今の今まで自分も忘れ去っていたものだ。
「君は家事全般が得意だそうだな」
「唐突に何を話し始めるかと思えば……例えそうだったとして、マスターに何の関係があるのかね?」
「関係なら大いにあるとも。私一人で生活するにはこの家は広過ぎてね、掃除が行き届いていないんだよ」
つまりは暗に掃除をしろ。という命令だった。
2杯目の珈琲を受け取り、視線はカップに向けたまま中身をくゆらす。
背後の彼がどんな顔をしているかは想像に容易い。
きっと次に出てくるのは、何故自分がそんなことをしなくてはならない、といった言葉だろう。
「何故私がそんなことをしなくてはいけないのかね。悪いが私は君のサーヴァントになった覚えはある。それさえも不本意ではあるが、事実は事実だ、認めなければなるまい。しかし、君の執事にまでなった覚えはないな」
「サーヴァントなど言ってしまえば使い魔とさして変わらないよ。執事や召使と似たようなものだろう」
「マスター。どうやら我々は一度見解の擦り合わせをする必要があるらしい」
「甲斐甲斐しくも珈琲を淹れてくれるサーヴァントに何を言われても説得力は低いな」
「それは――」
尚も言い募ろうとする彼の言葉を左手を上げることで遮る。
ただ黙るように指示しただけではない。何故なら左手の甲には彼のマスターであるという証である令呪が刻まれている。
目的はそれを見せ付けることにあった。
「……逆らうつもりかい?」
「力による屈服は関係を破綻させる、とだけ忠告しておこうか」
「その意見には全面的に賛成だ。だから、私に令呪を使わせないでくれるかな?」
振り向いて彼の顔を見上げると、予想に違わず不満げな表情を浮かべていた。
幸いなことに令呪はまだ3つとも残っているので、私は令呪を消費することに抵抗は無い。
令呪はサーヴァントへの絶対命令権であると同時に、一時的にその能力を跳ね上げるブースト的な意味合いもある。
つまり、圧倒的に不利な戦局においてそれを逆転させる切り札でもあるということだ。
そんな切り札をこんなくだらない場面で使うことを彼は良しとしないだろう。
結局、この展開に持ち込んだ時点で結末など見えていたのだ。
せめてもの抵抗、いや当てつけなのだろう。
深々と溜息を吐くと、諦め顔でやれやれと大仰なジェスチャーをしてみせた。
「いいだろう、掃除でも洗濯でもしようじゃないか。それがマスターの意向だと言うのならば、仕方あるまい」
「物分かりが良いのは好きだよ、私は」
「全く、女難には縁が無いつもりだったんだが……どうしてこうも他者を扱き使うような女性にばかり遭遇するのか」
「それはおかしいな。『何よりも己に対して厳しくあれ』を私は信条としているんだが」
「魔術師の世界において、だろう? マスター。こう言ってはなんだが、君は一般的な生活能力という点において欠陥が見られる。それで良く今まで生きてこられたのものだと感心すら覚えたほどだ。故にこれまでの生活を悔い改めるべきだと進言させて貰おうか」
「甘んじてその批判は受け入れよう。しかし、改善する必要性は見当たらない。なにせ今は君が居るからね」
私には君が必要だよ。
だから、さあ。私のために働いておくれ。
「まずは1階奥の部屋から掃除して貰おうかな。多分使える礼装なども転がっているはずだ」
「了解した。地獄に落ちろマスター」
それはもう素晴らしい笑顔を浮かべて毒を吐くと、彼は居間から出て行った。
その背中を見送るとまだ湯気が立ち上る珈琲を一口啜る。
ああ、やはり誰かが居るというのはそれだけで楽しいものだ。