16.決闘者は信じる何かのために闘う
 それは私にしてみたら本当に突然の出来事だった。梶木との決闘が終わった後、私は誘われたこともあってシャチのショーを見るという目的を果たしていた。ショーも中盤へと差し掛かり、初めてにも関わらずシャチとの意思疎通が滞りなく形成されてる梶木の手腕に尊敬の念さえ覚える。そんな時、不意に隣のの気配が強張るのを感じた。

「……どうかしたの?」
『済まない、事情を説明している暇がない。ともかく、今すぐここから出るぞ』
「え、ちょっと、まっ……!」

そう言うや否や、は強引に私と身体の所有権を入れ替えると、席を立って小走りで出口へと向かった。「今すぐ」と言ったところで何も説明をされていない状況では私がすぐに行動しないことも分かるため、断りもなく入れ替わったのだということは分かる。それでも、身体がなく意識だけというこの感覚は何度やっても慣れないものだというのに、加えて不意打ちともなればもやもやとした気持ちは避けられなかった。

『……あとでちゃんと説明してもらうからね』
「言いたいことはよく分かってる。だとしても、とにかく今はここを離れることが優先だ」

来た道を逆に辿るだけ、とは言って水槽に沿って通路が設置されているため順路はやや複雑なものになっている。それでも出口までの道を覚えているのかは迷わずに進んでいた。途中何度か人にぶつかりそうになったがそれも無駄なく回避し、恐らく入った時の半分以下の所要時間で水族館の出口を通り抜けた。しかしは尚も足を止めることなく、更に歩を進めていた。

『どこに行くの?』
「水族館の正面から視界に入らないところだ。入口で立ってたら見つかるだろう」
『誰かここに来るってこと?』
「これからな」

水族館から少し離れた建物の陰へと入ると、はようやく足を止める。そして、物陰から入口の方を伺うように確認した後で、止めていた息を吐き出すかのように安堵の溜め息を零した。

『もう良いんだ?』
「一先ずはな。無理矢理代わって済まなかったな、
『良いよ、別に。それだけ切羽詰まってたってことなんだろうし。もちろん理由は説明してくれるんでしょ? 誰が向かって来てるの』

こうして話している間も、は水族館の方から片時も眼を逸らさない。実体がないとは言え普段は必ず私の目を見て話す彼がそれすらも惜しむということは、それだけの事態が発生してるということだ。水族館に向かって来ている『誰か』、がそれに気付いたということは相手は当然千年アイテムの所持者に限られてくる。

「千年リングと千年ロッドの所持者だ」
『なるほど二人も居るんだ。一緒に来てるってわけじゃないよね?』
「いや、別々だ。を狙って来ているというわけではないと思うが、可能な限り接触は避けた方が良い」
『それはバクラとってこと?』

がバクラを警戒していることは分かっている。今までにも何度も『アイツに近付くな』とそれこそ耳にタコができるくらい言われた。そうは言ってもバクラの宿主が幼馴染の了であるためその忠告を聞き入れることはかなり難しく、これまでのところは基本的に曖昧な返答でお目こぼしをもらっている。も本気で止めてくることはなかったため、この程度の接触は大丈夫なのだろうと思っていた。今回は違うということなのだろうか。

「いや、アイツじゃない。千年ロッドの所持者とだ」
『それは、にとってここまでしなくちゃいけないほどなんだね』
「千年ロッドは他者を洗脳して操る力がある。にはそれに対抗する力はないし、そんなものに掛かるわけにはいかない」
『……それ、喋っちゃって良いんだ?』

は今まで千年アイテムに関することをほとんど私に話さなかった。話してはいけない事情があるのだと思っていたから、私の方も敢えて追求はしてこなかった。だから、僅かな情報ではあるがそれをここにきて話してくれるとは思っていなかった。

「いずれ分かることだしな。これくらいなら問題ない」

ならもっと早くに色々教えて欲しかった。そう思ってたのが伝わったのか、が苦笑しながら少しだけこちらに視線をくれた。

「出来るなら、には何も知らせずに済ませたいというのは変わらない。だが、事態は常に変化する。悪展開を避けるためには、理想論ばかりも言ってられないからな」
『私とが二心同体な限り、何も知らせないのは無茶があるってことにもっと早く気付いて欲しかった』
「不要な苦労を掛けたくない。知らない方がいいこともある」
『知らないことには良いも悪いも判断できないよ。絶対にいつかは全部話してもらうからね』
「その日が来ないことを俺は願ってるよ」
『で、私の身体はいつ返してくれるの?』
「いざという時のため、もうしばらくはこのまま。安全が確信できるまでは待っててくれ」
『仕方ないなぁ』

が建物の陰から出れないのに対し、私は誰にも姿が見えないのを良いことに堂々と周囲を見ている。だから、よりも先に彼達に気付くことができた。

『あ、城之内だ。開始時間に居なかったから心配してたけど、ちゃんと参加してたんだ。良かったぁ』
「真崎杏子と武藤遊戯の祖父も一緒か。水族館に入っていくな」
『みたいだね。梶木と闘うのかな? 、ちょっと行って話を――』
「待て、。あいつらを見ろ、グールズだ」

城之内達しか目に入っていなかった私は気付くのが遅れたが、見るからに怪しいコートを着た見るからにヤバい目つきをした人達が水族館の前に居た。いや、あれはどう見ても不審人物だ、私なら迷わず通報する。自分の町を守る第一歩は不審人物を見掛けたら警察に通報することから始まるので、決闘者ではない一般市民の皆様にもぜひその意識を持ってもらいたい。グルーズは城之内達が水族館に入るのを見届けると、まるで入口を塞ぐかのようにその場に立ち並んでいた。

『あいつら、もしかして城之内達を追けてる?』
「そうだろうな。状況的に恐らく千年ロッドの所持者の差し金だろう」
『そんな、このままじゃ皆が洗脳されるてこと? 知らせなきゃ!』
「駄目だ、行ったらお前も巻き込まれる。何のために水族館から出たと思ってる」

もし身体の所有権が私に戻っていたら、今この瞬間に走り出していただろう。でも私の身体は今はのものだった。私の意思に反して、の意思に従って、『私』は動けない、動かない。そして実態を持たないこの状態の私には、彼等と連絡を取る手立てもなかった。

……こうなること分かってて、私に身体を返さなかったでしょ』
「悪いとは思うが、謝るつもりはない。俺はお前を守る義務がある」
が何と言おうと、それでも私はこのまま黙って見てるなんてできないよ』
「俺は……お前を危険に晒したくはない。分かってくれ」

何かに耐えるような苦痛を孕んだ瞳は、それでも真っ直ぐに私を見ていた。の意思は固い。私が何を言おうとも、生半可なことでは動いてはくれないだろう。さっきから身体の所有権を強引に奪い返そうとしているが、それもお見通しなのかには隙がないためそれも叶わない。八方塞がりだった。何もできない自分が歯痒くて、感覚のない拳を握り締める。

「所持者が来た。あれがグールズの総裁だな」

の声につられて視線を再び水族館の方へ向けると、入口にバイクで乗りつけている少年が居た。手に握られているあれが恐らく千年ロッドなのだろう。

『総裁、マリクって名前だっけ。なんでこんなことを……やっぱり王様に関係あるの ?』
「エジプト、千年ロッド……そうか、墓守りの一族か」
『墓守り?』
「そうだ。墓守りと言っても守っていたのは墓ではなく、二つの千年アイテムと王の記憶だがな」
『それってつまり王様の味方ってことじゃないの? どうしてその墓守りの一族の人が王様を苦しめるようなことを……』
「そこまでは俺にも分からない。何かしらの理由があるんだろう」

その理由とやらが分かれば、彼を止めることができるのではないだろうか。無謀とも言える考えが頭に思い浮かぶ。そもそも対話が成立する相手かも分からない。それでも一縷の望みがあるのならば、そこに賭けてみたかった。いつの間にか現れたバクラと共に二人は港の方へと移動をしていく。グールズの部下も連れて行かないということは、それだけ人に聞かれたくない内密な話をするということだろう。

『ねぇ、マリクを止めさえすれば、皆は洗脳されたりしないよね』
「……何を考えている」
、二人の後を追って』
「断る。言ってるだろう、危険なことはさせられない。俺には、千年アイテムの力に抗うような力はないんだ。千年ロッドによる洗脳を拒めない」
『ダウト、私に嘘は無駄だってば。は拒否できるんでしょ』

私に嘘は通じないということを失念していたのか、は微かな狼狽を見せた。分かりきっていたはずのことを思わず忘れてしまうほどの事態だったということなのかもしれない。ほんの少しの逡巡を見せた後、は非常に重たそうに口を開いた。

「 ………わかった。正確に言えばできないわけじゃない。だが、俺が力を使うとその反動は全てに行く。だから使いたくない」
『でも私は今ここで何もしなかったら絶対に後悔すると思う。自分を犠牲にしようってわけじゃないよ、なるべくなら怪我はしたくない。私自身も無事な状態で、でも友達を助けたい。それに力を使ったって死ぬわけじゃないでしょ?』
「それはそうだが……」
が危ないって判断したら、逃げて良いから。だからお願い』

も意思は曲げることはそうそうないが、私も一度決めたことを曲げることはない。本来であれば平行線を辿るところであるが、一つ挙げるとすれば ───

「 ……分かった。少しでも危険だと感じたら、即座に逃げるからな」

は私に甘い。だから、私がどうしてもというお願いをしたら、彼は最終的にはいつも折れてくれるのだ。


◆◆◆


 何故俺はこんなことをしているのだろうか。数分前までは確かにを千年ロッドの所持者から遠ざけるために動いていたというのに。今は全く逆の行為をしている。分かってはいたつもりだったが、俺はに甘い。どうしても、と言われれば無下にはできなかった。そこには恐らく過去の悔恨が影響していることも認識はしている、同時にそれを今の彼女に償ったところで意味がないことも。だとしても、それはに降り掛かる火の粉を払うことを止める理由にはならない。同じ轍を踏まないとは決して言い切れないのだから。

「さて……──貴様の狙いを」
「力を──ためだ……──が開かれる ……」
「条件を……終わった後──いいけどね」
「時間を5分くれてやる……──答えを出しな……」

これ以上一歩でも近付けばあちらに気付かれる。そうした限界の位置である倉庫の陰から様子を伺っているが、この距離だから当然二人の会話を全て聞き取ることはできない。漏れ聞こえる内容からはマリクがバクラに協力を要請し、取引を持ち掛けているのであろうことは察せた。

『バクラはマリクに協力すると思う?』
「アイツならするだろうな。俺の知ってる奴なら、目的のために手段は選ばない」

千年アイテムを集めて闇の力を手に入れる。最終的にそれを成し遂げられるのであれば、過程を気にするような精神をアイツは持ち合わせていないだろう。マリクの計画に加担することで発生すると思われるデメリットが僅かなものであれば尚更だ。

『バクラが協力するとしたら厄介だね、何とか止めるには……、後ろっ!』

の声に咄嗟に後ろを振り向いたが反応が遅れた。背後に迫っていた一人のグールズ、その存在を視界に入れて直ぐに捕らえようと伸ばされた腕から逃れようとしたが、この身体の反射神経ではそれも限界があった。抵抗しようにも腕力も足りず、敢えなく腕を取られて拘束される。捕えた相手を見るとその瞳に生気はなく、千年ロッドに操られた傀儡だと分かる。意思がないため当然敵意などもない、これでは気付かないはずだ。マリクがどこまで意図していたかは分からないが、完全に油断をしていたと認めざるを得ない。 を守るなどと決意を固めた側からこの様だ、ほとほと自分に嫌気が差す。謝るべき相手は既に横には居ない、拘束される直前に心の部屋に押し込めたからだ。これから何をされるか分からない、少なくとも彼女に見せるべきものではないと判断した故だった。そんなことをしたところで目覚めた時に痛みが消えているわけではないため、気休め程度でしかないことも分かっている。それでも、誰だって自分が傷付く様を見たいとは思わないだろう。もしもこの身体が自分の本来の身体であれば多少の無茶をしてでも拘束から抜け出すこともできたが、この身体で同じことをしようとは思わない。意思のない傀儡相手ならばと多少の抵抗はしてみるが、それも虚しくマリクとバクラの前へと引っ立てられた。二人の前に俺を突き出すとグールズは無言で引き返していく、恐らく水族館の入口にでも戻ったのだろう。そこまで千年アイテムの秘密は守ろうとする一貫した行動に対して、王を陥れようとする理由だけが分からなかった。

「なんだ、どんなネズミが聞いているのかと思ったら、女か」
「 ……おい、。何でてめぇがここに居る」
「近くに居たから、気になって……かな」

マリクは明らかに警戒していたが、バクラからは敵意を感じられなかった。その顔に浮かぶ感情は呆れ、その一言に尽きる。この姿が『』だから。誰よりも身に覚えのある理由だからこそ、目の前の男が同じ理由で彼女を見ていることに言い様のない感情を抱く。状況が許すならば俺は思い付く限りの言葉で相手に怨嗟の念を伝えていただろう。しかしここで俺の正体を明かすような真似をしたところで事態は悪化するのみで、にとっても俺にとっても、プラスになることはなに一つない。この様子ではバクラは『』を見捨てるようことはしないと思われるため、の振りをして乗り切るというのがこの場での最善手であることは明らかだった。

「バクラ、貴様の知り合いか?」
「そうだ。とでも言ったらお優しい総裁サマは見逃してくれんのかよ」
「まさか。例えそうであったとしても関係ないね。おい女、僕達の話、どこから聞いていた?」
「あの距離だったし、ほとんど聞こえてないよ」
「そんなことを信じると思うのか?」
「信じてもらうしかない」

少し話しただけで分かる。こいつは自分の障害となるならば、後先考えずに相手を消しにかかるタイプの人間だ。その先の己自身について何も考えていないからこそ、普通であれば避けるようなことも平然と行う。しかしそうであったとしても人一人を消すことは楽なことではない、ならどうするか。簡単なことだ、こいつの場合は洗脳すれば良い。容易く手を伸ばせる方法があるのにそれを使わないということはないだろう。だとすれば、この場は洗脳をされた振りをすれば切り抜けることはできる。だが、に反動が生じる上に再び遭遇した際には誤魔化しが効かない手でもある。頭の中で様々な選択を思い浮かべてはメリットとデメリットの比較を行っていくがどれも決め手には欠けた。

「仕方ない、この女も洗脳するか。見たところ決闘者のようだし、幾らかの利用価値はあるだろう」

こちらの結論が出ない内に相手の方は思索を終えたようで千年ロッドに手を掛ける。を洗脳させて、こいつの良いようにさせるわけにはいかない。使うしかないな。そう覚悟を決めた時、思いも寄らない横槍が入った。

「 ……ちっ、めんどくせぇことしやがって。おい、マリク! その女を洗脳するならオレ様との取引はなしだ」
「へぇ、この女に随分とご執心のようだね」
「うるせぇっ! 良いからそいつをこっちに渡しな。オレは別にてめぇの計画を遊戯にバラしたって良いんだぜ?」
「 ……良いだろう。この女には手を出さないでやるよ、ほら」

この間にマリクが頭の中でどんな計算を繰り広げたかは分からないが、一人を見逃すより計画の破綻に重きを置いたと判断したのは間違いない。マリクの手を離れた『』は背中を押され、バクラの方へと押し出された。よろけて転びそうになったところを腕を掴んで引き留められ、そのままの反動で背中の後ろへと隠される。視界には青と白のストライプ、相手は言うまでもない。

「ったく、余計な手間掛けさせんじゃねぇよ。助けてやったオレ様に感謝しな」
「うん、ごめん。ありがと……」

掴まれた腕はそのまま、離される様子はない。正直なところを言えば、今すぐ手を振り払いたかった。今は状況が状況だけに止むを得ないが、それでもこいつがに触れることは許せない気持ちが勝りそうになる。俺は三千年前にバクラが犯した罪を忘れてはいない。そして、この時代で何をしようとしているのかも知っているからこそ、この敵愾心は揺るぎようもない。バクラは王の敵だ。 けれど――に危害を加えることはないのかもしれない、そう思わせるだけのものがそこにはあった。最初は半信半疑だった、まさかあいつが覚えているとは思わなかったからだ。今は非常に不愉快だが、その点については多少なりとも信じてやっても良いと思わないでもない。

「それで、その女はどうするつもりなんだい?」
「てめぇの計画が邪魔されなきゃ良いんだろ? それならこれで良いじゃねぇか」

その瞬間、首の後ろに軽い衝撃が走った。意識を手放す瞬間、この世の誰よりも憎らしい男の声が聞こえた。

「悪いな、しばらく眠ってて貰うぜ」

少しでも信じてやろうかなどと考えた俺が愚かだった。やはり、俺はこの男が誰よりも嫌いだ。