遊ぶ

彼女達が追ってきてはいないことを確認すると、私は徐々にペースを落としていった。 先ほどストレルカの後を追い掛けていた時よりは幾分か慣れはしたが、単純に持久力が減っているのだろう。 普段と同じ感覚で動かすのではなくて、この身体に適した形での動かし身を考えた方が良いのかもしれない。 ゆっくりと歩を進めているにも関わらず、未だに全身が脈打っていることからもそれは明らかだった。 あまりに小さくなってしまった身体に出来る範囲で気を配りはするも、それでも、私は歩みを止めることはしなかった。

校舎を繋ぐ渡り廊下以外に校舎へと進入が可能な場所となれば自然と選択肢に上がるのはもう一つの渡り廊下だ、北校舎を半周して校舎裏を通るその道のりは果てしなく遠いものに思える。 校舎の角が見えてくると、漸く右手に体育館の姿が見えてきた。 教室からこの場所の自販機まで十分の休み時間で来て戻るなど、今の姿では到底不可能だろう。 そんなことを考えていたからか、自動販売機の前に佇んでいる見知った後ろ姿が見えた。他人の空似だろうか、一瞬そうも考えはしたが彼を見間違えるわけもない。 気付けば足は未だに自動販売機に向き合っている彼へと向いていた。しゃがみ込んで購入した飲み物を取り出そうとしているその背中はあまりにも無防備で、こんな状況であるのに、いやこんな姿であるからこそ少しばかり悪戯心が沸いてしまった。 私はそっと背後に近寄ると、後ろ足に力を込めてその背中へと飛び掛かった。

「うわ、なに!?」

突然飛び掛られた彼は当然背中に襲い掛かったものの正体を確かめようとするも、この周辺には鏡のようなものはない。手探りで伸ばされた手も私の身体に触れることはなかった。手を伸ばしただけでは届かないと気付いたのか今度は立ち上がって振り解こうとするので、私は制服に穴が空かない程度に前足の爪を立てることでぶらぶらと反動に身を任せてぶら下がる。 そうしている内に諦めたのか疲れてたのかは分からないが、彼はため息と同時に動きを止めた。思った以上に慌てふためく彼の様子が面白くて少々遊び過ぎてしまったらしい。 そろそろ種明かしをしようと彼の肩を目指して背中をよじ登ろうとした時、第三者の手によって私は彼の背中から引き剥がされた。

「何を背中に張り付けているのかと思えば、猫か」
「なんだ、背中に猫くっつけるの流行ってるのか?」
「そんなわけなかろう。俺の知る限りでも、そんなことをしているのは鈴くらいのものだ」
「でもよ、もしかしたら猫を張り付けるのが理樹の新しい趣味って可能性もあるぜ」
「なるほど、おまえの言うことにも一利あるな。としたら、理樹。俺は余計なことをしたのだろうか?」
「いやいやいや、僕にそんな趣味ないから。ありがとう、謙吾。何かと思ったら、猫だったんだね」

正体が分かったことで落ち着きを取り戻したのだろう。先ほどまでの慌てぶりは何処へやら、謙吾に首元を掴まれた状態の私を理樹はまじまじと見詰めてきた。 覗き込むようにこちらを見てきたので片腕を繰り出してみるも、予想していたよりも長さが足りず空振りに終わってしまう。 避けることもせずむしろ微笑ましいものを見守るような理樹の視線から、今のが所謂猫パンチであり、彼からすればじゃれているようにしか見えなかったのだろうと気付いた。 理樹からこんな視線を向けられたことはこれまで一度としてなかった。逆にこちらが彼にそういった視線を向ける側であったため、この状態は何やら落ち着かない気持ちに私をさせる。 首元に掛かっている一定の負荷からそういえば謙吾に掴まれたままであることに気付き、この何とも言えない気分を打破するためにもその手を振り解こうと私はじたばたと暴れてみることにした。

「謙吾、なんか離して欲しいみたいだよ」
「そうか。まぁ、いつまでも掴んでいる理由もないしな」

突如として手を離され、一瞬にして身体が宙を舞う感覚が訪れる。何とか足から着地することが出来たものの、危うく地面に叩き付けられるところだった。猫ならばこれくらいの高さで放しても問題はないと判断してのことだろうが、せめて一言くらい何かあっても良かったのではないだろうか。謙吾がわざわざ猫を地面に下ろすような人物ではないことは知っているし、相手はこちらを普通の猫と思っての行動であったことは分かるが、それでも心臓に悪い。仕返しとばかりに、草履を履いて露出している謙吾の足の甲を軽く引っ掻いておくことにする。僅かとは言え、こちらは命の危機を感じたのだからこれくらいは当然だろう。

「で、どうして理樹は背中に猫なんてくっつけてたんだよ?」
「ジュース買ってたら、その猫がいきなり飛び掛ってきたんだ」
「何か恨みでも買ったのか?」
「うーん、野球の練習中に鈴の猫達には何度かボールをぶつけちゃったことはあったけど……」
「なら、こいつもその一人ってわけか」
「そう断じるのは早計だな。何故なら、俺はこの猫を今初めて見るからだ」
「それに何の問題があるんだ?」
「謙吾の言う通りだよ、真人。僕もこの猫は今この瞬間まで知らなかった。つまり、今まで居なかったってことは鈴の猫じゃないんだよ」
「じゃあ、なんでこいつは理樹に飛び掛ったんだよ」

こちらを伺うような視線が三人から向けられているのが分かる。そこからもう一歩踏み出してこの「猫」が理樹と直接関係があると思い至って欲しいところだが、流石にそれは無理というものだろう。 幼馴染が猫になっていようなど、まさか誰も思いも寄らないはずだ、なにせ私自身でさえ未だに確信が持てていないのだから。 彼らがこの猫がであると気付いてくれさえすれば話は早いのだが、そう話が上手くいくわけもなかった。 ここで彼らと出会えただけでも幸運だと思っておこう。この姿で単独で校舎に入り教室まで辿り着くのはかなりの困難が予想されるが、共犯者が居れば事は容易に済む。 向けられている視線に応え、私は何事かを訴えかけるように理樹の視線を合わせた。

「なんか……すごく見られてるんだけど」
「やっぱりおまえ、こいつに何か恨み買ってるんじゃないか?」
「しかし理樹に敵意があるようには見えないな。むしろ伝えたいことがあるんじゃないのか?」
「言われてみれば確かに、何かを訴えかけているような、命令しているような」
「そう言われても、僕には猫のことなんて分からないし……鈴なら分かるのかな」
「にゃあ」

あたかも「鈴」というその名前に反応したかのように、私は声を出した。会話による意志疎通が出来ないことは既に嫌というほどに思い知っているので、極力発声を減らすことでこちらの意図を伝えようと考えてのことだった。 これまで一言も声を発していないからこそ、このタイミングにおける相槌は意味あるものとして受け取られるだろう。幸いなことに私達の間では「猫=鈴」という共通の認識が成り立っている。つまり、こういった状況に陥った時に私自身が取るであろう行動を彼らもまた取るということだ。

「今、鈴の名前に反応したな」
「ああ。こっちの会話が分かってるとは思えねぇが確かに反応した」
「君は僕じゃなくて、鈴に、用事がある。なら、連れていって欲しいってこと?」
「うなー」
「おい、実はこいつオレらの言葉分かってるんじゃないか?」
「奇遇だな。俺もそんな気がしていた」
「例え分かっていても、こっちに伝える手段がないんじゃ意味がないよ。とりあえず、鈴の所に連れていこう。真人」
「あいよ」

どうやら無事にこちらの意図は伝わったらしいが、私は伸ばされた真人の手をぱしりと尻尾ではたいて拒絶を示す。悪いが、真人が猫を連れているようで逆に悪目立ちしてしまう。 次いで伸ばされた謙吾の手も同様にかわす。先ほどは背後からの不意打ちであったから難無く捉えられてしまったが、正面に相対している状況ならかわすことはそう難しいことではない。 謙吾についても、真人同じ理由でお断りだ。彼らはどうして私が理樹にだけ訴えかけていたのか、その理由をまるで分かっていないらしい。 三人にも分かるようにと、私は理樹の元へと近寄ってその靴に前足をかけて見せた。

「えぇ、僕?」
「ご指名だぜ、理樹。どうやらオレじゃダメらしいからな」
「確かにこの猫は最初から理樹にだけ構っていたな。買ったものは俺が運んでやる、お前はその猫を連れて来い」
「そう言われてもなぁ、二人に対する様子を見てたら引っ掻かれるんじゃないかって気がするよ」

恐る恐るといった様子でこちらに手を伸ばしてくる理樹に半ば呆れながらも、その手を伝って素早く肩まで駆け上がる。お世辞にも安定が良いとは言えないが、場所としては悪くない。久々に普段と近い視界で世界を見ることが出来た。思ってもみなかった場所に私が収まってしまい戸惑っているらしい理樹の首を顔で突き、出発を促す。急がなければ昼休みも終わってしまう。鈴のところレノンが居なければ、また他の場所を探さなくてはいけないのだから。そのためにも、鈴の下に辿り着いた時に昼休みが終わってしまうようでは困るのだ。

「わかったから、そんなに急かさないでよ。くすぐったいんだってば!」
「にゃー」
「はいはい。それじゃあ、真人、謙吾。僕は先に戻ってるから」
「理樹のやつ、猫に良いように遊ばれてるぜ」
「案外、最初に理樹に飛び掛ったのも遊びたかっただけかもしれないな」
「ふかーっ!」
「……なぁ、やっぱりアイツ、分かってるんじゃねぇか?」
「あ、あぁ。迂闊なことは口にしない方が良さそうだ」

相変わらず鈍いのか鋭いのか良く分からない二人ではあるが、とりあえずもう黙っていて欲しい。