ハッキングAI――ラブマシーンによるOZのアカウント強奪事件が発生した夏。
世間を混乱へと陥れたサイバーテロがあったにも関わらず、9月になると新学期は当然のように始まった。 長期休み後の特有のダルさも抜けて、そろそろ授業も苦痛ではなくなってきた頃。 老朽化してきている物理部のドアが勢いよく開けられた。

「こんにちはー」
「健二、ドア壊れるから静かに……ってあれ、? 珍しいな、お前が来るなんて」
「どうせ幽霊部員ですよーだ。あ、パソコン借りますね」

私は部室に居た佐久間先輩に挨拶をすると、直ぐさま目当てであるパソコンを起動させる。 やはり家のものより立ち上がりは遅いが、まだ時間は十分あるから間に合うだろう。 荷物を置いたりデスクを片付けたりしていると、先輩が不思議そうに聞いてきた。

「自分のパソどうしたんだよ?」
「壊れました」
「それはご愁傷様。でも、なら自分で直せんじゃん?」
「まぁ、直すのは簡単なんですけど、生憎とその時間が無かったんで」

そう、昨日の夜に自分のデスクトップが壊れた。 修理というほどのことではないけれど、直すには専門店でパーツを買わなくてはいけなかった。 夜にはお店は閉まってるし、登校前にはまだ開いてない。 学校が終わってから買いに行って直す時間は無かったから、こうして部室に借りに来たのだ。 ほとんど来てないとは言え『一応』物理部部員だから、備品であるパソコンを使用する権利はあるだろうというのが理由。

「それで此処に来たわけか。PC室はどうしたよ?」
「あそこだと人が多いじゃないですか、邪魔されずに静かに観たいんです。部室には多くても二人しか居ませんからねー」
「はいはい、いつだって俺と健二しか居ないよ。で、何を観るって?」

こうして話している間にも、佐久間先輩と私はずっとスクリーンを見ながら手を動かしている。 そのため二人とも開いての顔を見ながら話してないわけだが、これが普通だからあまり気にはならない。 起動したパソコンでOZにログインしたところで、私は佐久間先輩の方を向いた。

「何って、キング・カズマの試合ですよ。もし見逃すなんてことがあったら、私生きていけませんから」
「そういやお前、キングのファンだっけ?」
「そこらのミーハーファンと一緒にされるのは不愉快ですけど、ファンには違いないです。キングの試合観戦は現在私の中で最優先事項なんで、試合始まったら終わるまでは、絶対に、話し掛けないで下さいね。――話し掛けた瞬間、先輩の人生が終わりを迎えますから」
「……そこまでかよ。分かった、邪魔はしない。にしても、キング・カズマか。あの歳であそこまでの技術あるんだから凄いよなぁー」

開始までまだ10分以上余裕があった。 念のため、と佐久間先輩に釘を刺しておこうと忠告をしたら、是の返答と共に返ってきたのは耳を疑う言葉だった。 それはまるで、キング・カズマが誰であるか知っているかのような口ぶり。

「佐久間先輩、違うならはっきり違うって言って下さいよ、変に期待したくないんで。もしかして……キング・カズマと知り合いなんですか?」

返答次第によっては、キングと連絡を取れるかもしれないと思うと、息が詰まりそうになる。 流石に佐久間先輩も作業を止めて、私の方を向いた。 その顔は誰が見ても「しまった」と読み取れる表情だった。

「あーやば、特に口止めはされてないけど……、聞かなかったことに」
「出来るわけないでしょ! 先輩、知ってるなら紹介して下さい、お願いします!」
「いや、俺はそんなに親しくはないから紹介とかは……」
「謙遜なんていらないんで、紹介して下さい! 一生に一度のお願いだと思って!!」
「ちょ、落ち着けよ。謙遜なんかじゃなくて、俺なんかより健二の方が親しいから、頼むなら健二にしろって」
「え、小磯先輩?」
「そう。俺はスカイプ使って多少話しただけ。健二は直接会ってるからさ、あいつの方が詳しいよ」

そういうことだから手離して。 言われて、自分が佐久間先輩の胸倉を掴んで詰め寄っていたことに初めて気付いた。 立ち上がった自覚すら無かったから、自分でも驚きつつも大人しく手を離す。

「済みません、一応でも何でも仮にも先輩の胸倉掴んだりして。人は興奮すると周りが見えなくなるって、本当だったんですね」
「多少言い回しが引っ掛かるけど、謝ったから許してやる」

胸倉掴んで詰め寄ったりしたら、それってもう『お願い』じゃなくて『恐喝』と言っても過言じゃない。 いくら興奮してたとはいえ、自分でも女子高生としてどうかと思う。 申し訳なさは消えないが先輩が許してくれたので、とりあえずは良しとしよう。 先程の行動を反省しながら、蹴倒して立ち上がったらしい椅子を元に戻すと、私は再びパソコンに向かった。

「健二のとこ行かないのか? 今なら剣道部見てると思うぞ」

その行動を追っていた佐久間先輩が訳が分からないといった風に尋ねてくる。 あの剣幕なら直ぐにでも小磯先輩の所に行くと思っていたのか、疑問に思ったらしい。

「行きますよ、キングの試合を観終わった後に」
「………そこまでいくと、いっそ尊敬したくなるな」

私の視線は既にスクリーンに固定されていて、耳だけが呆れたような溜息を含んだ声を捉えた。



ワールドクロックが17時を示す。
そして、スクリーンにはOZで知らない者は居ない、赤いジャケットのウサギのアバターが現れる。


(だって小磯先輩には何時でも連絡取れるけど、キングのこの試合は今しか観れない!)