カズマくんに全てを伝え、背中を押して貰ったことで思い残すことは無くなった。
翌日、学校を休んで私はかつての職場へと向かった。
この2年間、一度も足を向けなかった場所。
ビルの高さや入り口の大きさ、全てに圧倒される。
けれど、進むと決めたから。
入り口の前で歩みを止めてしまった足に力を入れて、建物の中へと進む。
幸いなことに、受付の位置は2年前と変わっていなかった。
真っ直ぐに受付へと向かうと、かつての……いや、現在も一応上司である相手への取次ぎを願う。
休職中であるので社員証は返却してあり、これ以上中へと入ることは出来ない。
上司と会うには、呼び出すしかないのだ。
アポイントメントは? と聞かれることなく、取り次いで貰えることになった。
私がどう見ても学生だからだろうか。
孫か何かと勘違いされた可能性がある。
とりあえず、取り次いで貰えたなら何でも良かった。
あとは、上司が私の名前を忘れていたりしなければ会えるだろう。
「お待たせしました。第一応接室の方でお待ち下さい」
「あ、案内は結構です。分かりますから」
受付嬢の方がすかさず案内をしてくれようとしたがそれは辞退させて貰う。
一人で向かうことで、久々に社内の空気を感じ取りたかったからだ。
そうは言っても、私が此処に来た回数は少ない。
基本的に家でデザインをしている時間の方が多く、此処で仕事をしたのは2年前の春休みにメイン棟のデザインをしていた時くらいだったと思う。
それでも、私にとってやはり此処は職場だった。
目的の第一応接室にも迷うことなく到着し、中に入ったところで高級そうなソファを眼の前にして躊躇する。
こういうのって上座とか下座とかあるんだっけ?
応接室に通されるような普通の客なら上座だろうけど、私の場合は上司、つまり目上の人間に会うわけだから下座に座った方が良いんだろうか。
どちらに座るべきか測りかねて立ったままでいると、ドアの開く音がした。
不意に響いたその音にびくりと肩を震わせた後に振り返ると、其処には上司が居た。
「お前、立ったままで何やってるんだ」
「いえ、上座と下座どちらに座るべきか悩んでました」
「どっちでも良いから近い方にさっさと座れ」
「分かりました」
こうして上司との2年振りの再会は呆気なく終わった。
その後、恐らく秘書であろう女性がお茶を持って入室してきた。
こういった時のタイミングはどうやって知るのか非常に気になる。
わざわざ監視カメラで観察したり、入っていく人間を見ているわけでもあるまい。
秘書になるためには必要な能力か何かなんだろうか。
女性がお茶を置いて退出し、この場には私と上司しか居なくなると漸く上司が口を開いた。
「それで、何の用で来たんだ」
「2年間音沙汰の無かった社員が、出向いてくる理由なんて一つしか無いと思うんですが」
「今度こそ完全に辞職する気になったのか」
「違います、逆です。態とですよね、それ。大体、2年前に辞職しようとした私を無理矢理休職扱いにしたのは貴方じゃないですか」
「さて、そうだったかな。最近物忘れが激しくてのぅ、2年前のことなんて覚えておらん」
「急に爺臭い口調になって誤魔化さないで下さい」
人が真面目に話そうというのに、相変わらずこの上司はのらりくらりとかわしてくる。
確かにそろそろ良い年ではあると思うが、この人がぼけたりなどするはずがない。
その仕事振りを見ていたのはもう2年前のことではあるが、たった2年で変わるものでも無いだろう。
眼の前の人物は自分の仕事に誇りを持っており、仕事をしている時はいつだって真剣なのだ。
「2年は短くないぞ」
そう思っていたら、見透かされたように言われた。
2年は短くはない。
それは先日出来上がった絵を見た時に自分でも思った。
この2年の間に自分は色々なものを失った。
それは逃げていた、停滞していたことへの代償なのだろう。
「分かって……います。2年は、短くはないです」
「そうだな。2年の間に亡くなる人も居る」
「……栄さんのこと、ですか」
「知っていたのか。誰から聞いた、いやそんなことはどうでも良いか。忘れてなかったんだな、お前」
「当然です。2年前のあの時の、栄さんからのお電話がなければ自分は今此処には居ません」
「そうか。戻ってくる、決心をしたんだな」
「はい」
上司の目を見て、はっきりと自分の意思を伝えた。
もしかしたら、上司はこのまま話をはぐらかして本題を切り出させずにこのまま帰すつもりだったのかもしれない。
その意図は分からないけれど、そういうこともする人だ。
追い返されたとしても、何度でも来るつもりではあった。
けれど、偶然にも栄さんの話が出たことで話は本題へと移った。
こんな場面であっても、私は栄さんに助けられてしまった。
「どうして今更戻ってくる気になったんだ」
「強さを見たからです。その強さは自分には無いもので、手に入らないものだと思ってました。自分が弱いのは仕方が無いことだって目を逸らしてました。でも、その強さは立ち向かうことで、誰にでも手に入れられるものだと知ったんです」
「強さか。それだけではないな」
「決心をしたのは、夏のことです。あのラブマシーン事件、うちの部署も無関係じゃなかったですよね」
「どうだかな、はっきりとは言えん」
「まぁ、それは良いです。ラブマシーン事件の最後にジョンとヨーコがしたこと、当然ご存知ですよね」
「知らないということもない」
「ご自分がやったと、いっそ素直に認められたらどうですか。アレの存在は、貴方しか知らない筈です」
ジョンとヨーコが託したもの。
OZの関係者だけではない、この世界中の期待を背負った彼女に託された希望。
それは、2年前に私が一つだけ残していったもの。
それがどうしてあの場にあったのか。
答えは一つしかない。
この上司が何かしたからだ。
「どうしてアレがあそこにあったんですか。答えて下さい、チーフ!」
「……その呼び方、久々に聞いたな」
「っ当然でしょう、2年振りに会ったんですから」
「アレのことだが、捨てるには惜しかったから私が取っておいた。レアとしてならそうそう使用されることもあるまいと思ってな。それだけだ」
「そうですか、分かりました。済んでしまったことは仕方ありません、この件についてはもう良いです」
「それで?」
「アレを見て、栄さんがおっしゃった『その時』が来たんだと思ったんです。充分に休息は取ったから、そろそろ進む頃だと、そう言われている気がしました。だから、此処に来たんです」
捨てるのが惜しかった。それは本当だろう。
けれども、それならばずっと使わなければ良かったのだ。
あのタイミングで、あの時ジョンとヨーコにアレを託したのは上司に違いない。
もしかしたら、この人なりに自分のことを心配してくれていたのかもしれないと思った。
相変わらず何を考えているんだか分からない顔をしているが。
「。言うことが、あるんだろう?」
「もう一度、此処で描かせて下さい。描きたいんです」
「次はないぞ? もし、また今回のようなことがあったら」
「分かってます、もう逃げ出したりなんてしません」
「ならいい」
ふっと一瞬微かな笑みを浮かべると、上司は満足そうに頷いた。
復帰を認めてくれたということだろうか。
思いは通じたらしい。
身体の緊張を解いて、力を抜く。
認めて貰えなかったら、その先を考えていなかったので良かった。
正式に復帰するのは少し先になるだろうが、一段落というところか。
そうして、上司の顔を見ていて不意に思い付いたことがあった。
「あの、チーフ」
「なんだ。用が終わったならもう帰れ、そもそもお前今日は平日だろう。学校はどうした」
「サボタージュしました。一刻も早くこの決心を実行に移そうと思ったので」
「仕事復帰しても、学校はちゃんと行けよ」
「行きますよ。そうじゃなくてですね、栄さんのお墓の場所とかご存知ですか?」
「……報告にでも行きたいのか」
「はい。遅くなってしまったけど、きちんと伝えたいので」
栄さんの知り合いだという上司ならば、そのお墓の場所も当然知っているだろう、という考えだった。
カズマくんに聞くということも考えたが、彼にその質問をするのは酷だと思ったから。
それならば、この人に聞いた方が良いだろう。
ご家族の方達も、ネットで知り合った人という紹介よりも、この人の部下という紹介の方が安心出来るだろうし。
「お前、栄さんの死について何処まで知ってる」
「亡くなった、ということしか知りません」
「そうか。栄さんが亡くなったのは、今年の7月31日、丁度ラブマシーン事件のあった日だ」
「じゃあ、ほんの1ヶ月と少し前ってことですか!?」
「そうなるな」
「……本当に、少し遅かったんですね、私」
ラブマシーン事件が無ければ、アレが表に出ることもなかった。
そうであったならば、私が進むことを決心することもなかった。
その時間はどうすることも出来ない。
いつまでたっても契機を待つばかりで、一人で決めることが出来なかった私の責任だ。
生きている間に栄さんに報告をしたかった。
もう一度、お話しをしたかった。
それでもこればかりは、悔やんでもどうにもならないことだった。
「今週の日曜が四十九日なんだが、行くか?」
「場所は、何処ですか」
「長野だ。行って挨拶をして来い。火曜日までは連休だ、泊まってくるのも良いだろう」
「チーフは行かないんですか」
「私は葬式の時に行ったからな。あそこの家族ならば、お前一人くらい快く受け入れてくれるだろう。私の名代ということで、旅費は経費で出してやる」
「有難う御座います。お言葉に甘えて、行かせて貰います」
長野県上田市、陣内家へ。
一日だけ宿泊させて貰うつもりで、荷物を持って向かった。
ご家族の方から、栄さんの話が聞ければ良いとそう思いながら。
そこで、予期せぬ人物達に出会うことになるとは、思いもせずに。
(陣内家がどういう存在か。この時はまだ知りもしなかった)