石垣のある坂道を登ると、そこから先には広大な敷地が拡がっていた。
元々は門があったのだろうか、その残骸らしき石垣の壁が残っている。
残骸とは言っても、そこに刻まれていたであろう長い歴史の年月を感じさせるものであった。
その場所に、は立ち尽くしていた。
「栄さんって、もしかして凄い人だったのかな」
直接会ったこともなく、ただ一度だけ、電話で話したきりの相手。
きちんと報告をしたい。
その一心で四十九日へと来てしまったが、高校生の自分など場違いではないかという気がしてきた。
少し離れた丘の上に荘厳な屋敷が見える、その情景に圧倒されていたからだ。
けれど、せっかく来たのに今更帰るわけにもいかない。
上司の名代という大儀名分もあるから、追い返されるということは無いだろう。
荷物を持つ手にぐっと力を入れ直し、は屋敷を目指して歩を進めた。
受付を済ませ、屋敷の中へと入ると大勢の人が居た。
屋敷の外、庭の方にも人が沢山居るようだったが、中にもかなりの人数が居る。
あの人達が全て栄のために来たのかと思うと、やはり凄い人であったということがの中でますます確信を帯びてきた。
加えて不思議だったのは、通常の葬儀などとは異なり形式ばったものが感じられないということである。
弔問客の人々は皆一様に喪服を着込んでおり、そこだけを見れば普通の葬儀と何ら変わりないのだが、屋敷を取り巻く雰囲気は悲哀に満ちたものではない。
あれほどの弔問客が来ているならば、もっと格式のある葬儀であって然るべきだろう。
その矛盾に首を傾げていると、正面から恐らく喪主であろう人がこちらへ向かって歩いてきた。
栄には四人の子どもがおり、本家筋に当たるのは長女万理子だということだけは事前に上司から聞かされていた。
陣内家に高齢の女性は一人しか居ないということだから、間違いないだろう。
お悔やみの言葉を述べてそのまま立ち去ろうと考えていたら、思いっきり眼が合ってしまった。
「あら、貴方……夏希のお友達?」
なつき? その名前を聞いて、の頭に該当する人物が一人だけ思い浮かんだ。
まさか、彼女である筈が無い。
偶々、同じ名前の人がこの家にも居るのだろうと思い直す。
「いえ。葛西の名代で参った、と申します。この度は、お悔やみ申し上げます」
「あぁ、さんね。お話しは伺ってます、今日はこちらに泊まっていかれるのよね」
「はい。あの……やっぱり私のような学生は場違いでしょうか?」
此処に来てからずっと思っていたことをは思い切って尋ねた。
先程の『なつき』さんというのもきっと高校生くらいなのだろう。
だから、何処から見ても学生である自分はその友人ではないかと思われたのだと。
喪主である万理子からもそのように見えるならば、やはり自分は来るべきでは無かったのだろうかと思ってしまったからだ。
「そんなことはないわ。母ならば、どんな人と知り合いであっても不思議ではないですから」
「……栄さんは素晴らしい人だったんですね」
「そうね。うちの家族は皆、母のことを尊敬していたわ。貴方は?」
「私は、一度しかお話したことはありませんでしたが、とても大切なことを教えて頂きました。栄さんに頂いた言葉があったから、今の私があります」
「そう云って貰えて、母も喜んでいると思うわ。挨拶の方はもう済ませたの?」
「いえ、まだです」
「それなら、今からしてきたらいいわ。引き止めてしまってごめんなさいね」
「お話し出来て良かったので、気になさらないで下さい。では、失礼します」
万理子と別れてから、屋敷の奥へとは向かった。
しかし考えてみたら屋敷は広くて、目的地が何処にあるのか分からず危うく迷子になるところだった。
途中で出会った眼鏡の女性に案内をして貰い、何とか無事に仏壇のある部屋へと辿り着くことが出来た。
壁に飾られた先祖代々の写真。
薄々分かっていたことではあるが、陣内家は由緒正しき家柄であるらしい。
案内して貰っている途中で見掛けた部屋には鎧兜の一式が飾ってあった。
武家だったのだろうか。
疑問は尽きないが後で家族の方に聞くことにし、真新しい写真が飾ってある仏壇へとは向き直った。
「お久しぶりです、栄さん。今日はご報告したいことがあって来ました。――私、もう一度絵を描きます。仕事にも復帰する予定です。出来れば、直接お伝えしたかったんですけれど、少しだけ遅かったみたいです。
2年前に言われたこと、あの時は分からなかったけれど、今なら分かります。栄さんは分かってたんですよね、私がいつか必ず戻ってくるって、また絵が描きたくなる時が来るって。
戻りたいって、私も心の何処かでずっと思ってたんだと思います。『その時』だと思えることが夏休みにあったけれど、そのことがあったからじゃないんですよね。私が進もうと決心をすれば、それが『その時』になる。あの言葉自体が、私が戻って来る為のおまじないみたいなものだったんですね。
全部、私の気持ち次第だった。そんなことは最初から分かってた筈だったのに、こうしてもう一度進むことを決意するまで気付くことが出来なかった。
でも、もう大丈夫です。
目を背けてきたこの2年間で、私は『強さ』が何なのかを知ることが出来ました。だから、これからはどんなことがあっても、逃げ出さずに立ち向かっていこうと思います。絵を描くのが好きだという気持ちが変わらない限り、絶対に乗り越えられるので。
これも、栄さんの御蔭です。本当に有難う御座いました」
つらつらと思うままに述べた今の気持ち。
本当は言うことをきちんと決めてきていたのに、いざ栄に報告しようと思ったらそういったことは全て頭から飛んでしまっていた。
それでも、伝えたかったことは伝えられたと思う。
届いているかは分からないけれど、きっと栄は聞いていてくれただろう。
飾られている写真が一瞬だけれども、笑い掛けてくれたような気がした。
仏間を後にしたは来た時と同じ道のりを辿って元居た場所へと戻って来た。
栄に報告をするという仕事を終えたからか、幾つもある庭の様子を眺めたりする余裕もあった。
屋敷の内側の庭と外側の庭、全てに手入れが行き届いており、そこからはこの屋敷の広さが伺われる。
まだ全貌を把握していないが、相当な敷地面積を誇るのは間違いないだろう。
そんなことを考えながら戻ってきたは良いが、広間には自分よりも二回りは年が上だと思われる人ばかりが居た。
テレビや雑誌で顔を見たことがあるような人も居るようで、のような一介の高校生がそんな所にずかずかと入って行けるわけもない。
それならばご家族の方を探して栄のことや陣内家のことを聞こうと、再びその場を離れることにした。
これだけの人が居るのだから、人手があって困るということもないだろう。
手伝いをするという名目を掲げながら、は陣内家の人間を探して屋敷内を歩き回る。
その内に見たこともない場所に来てしまったが、最悪玄関の場所さえ忘れなければ何とかなるだろうと高を括って捜索を続行しようとした。
けれども、良く見てみると、この辺りは生活区間であるらしい。
だとしたら、ただの弔問客でしかない人間が歩き回っていて良い場所ではないかもしれない。
そう思い至ったところで、角の先から複数の足音が聞こえてきた。
しまった、何処かに隠れないと。
がその考えを実行に移すよりも前に、足音の主達は角を曲がってきてしまった。
「ちょっとアンタ、こんなとこで何してんの?」
「あの、えーと……」
「直美さん、そんなにきつい言い方しなくても。どうしたの、道に迷った?」
「いえ、いらしてる他の方が年配の著名の方ばかりで、ちょっと居心地が悪くて。何かお手伝い出来ることはないかなと」
「確かに、貴女みたいな子には、あそこは居辛いわよね」
「でも生憎と人手は足りてるの、ごめんね」
「そうなんですか……」
どうやら当てが外れてしまったらしい。
手伝いをしながらであったら、話を聞くことも出来ると思っていたのだが。
目の前の女性達もどうしたものか、と顔を見合わせてしまっている。
の目的は話を聞くことであるが、此処でそれを切り出したとしても忙しそうな彼女達からは断られてしまうだろう。
それぞれの手に荷物を持っており、今から何処かへ向かおうとしていたようであるし、こんなところでいつまでも立ち話をしているわけにもいかないに違いない。
大人しく戻った方が良いのだろうか、そうも思い始めていると新たな足音が聞こえてきた。
「あれ、奈々さん。広間に向かったんじゃなかったの? 直美さんと典子さんと由美さんも」
「夏希! 丁度良いとこに来たわ、この子の相手してあげてよ。客間に居辛いんだって」
「そうね。この子も高校生みたいだし、同じ年頃の夏希ちゃんなら話相手に丁度良いと思う」
先程、万理子の口からも出た『なつき』さんが来たらしい。
やはり高校生だったらしいが、でもこの声って……。
聞き覚えのある声のような気がして視線を『なつき』さんの方へと向ける。
向こうもに目をやった時だったらしく、その瞬間、二人の目があった。
「え、この子って……ちゃん!?」
「夏希先輩!? どうして此処に居るんですか?」
「何、知り合いなの? それなら問題ないわね」
「じゃあ、夏希ちゃん。私達、これを持って行かなきゃいけないから、後はお願いね」
そう言って女性達はのことを夏希に任せると、立ち去ってしまった。
後には、互いがどうしてこの場に居るのか分からず混乱した状態の二人が残される。
場を支配する沈黙を先に破ろうとしたのはだった。
しかし、そこに新たな足音が聞こえてきた。
今度の足音は二人分である。
「納戸って佳主馬くんが居たところ?」
「そっちじゃない。もう一つ、小さい納戸があるんだよ」
「……案内頼んでも良い?」
「そのために一緒に来てるんでしょ。数日居ただけでこの家の全部が把握出来るわけないんだから」
「ありがとう」
「これくらい大したことじゃないし」
一人は聞き覚えのある声、健二だろう。
夏希の知り合いの家にどうして彼が居るのかは分からないが、それよりも気になることがある。
もう一人の足音の持ち主は、誰であるかということだった。
聞き間違いでなければ、健二は「かずまくん」と呼んでいなかっただろうか。
夏希と健二の共通の知り合いで「かずま」と言ったら思い当たる人物は一人しかいない。
キング・カズマ
一瞬でその結論まで達すると、は夏希の腕を掴んで直ぐ側の部屋へと入って障子の影に身を隠した。
特に何かを伝えたわけではないが、夏希も察してくれたらしく声を上げることなく一緒に身を潜めてくれる。
そうして、二人が歩いて前を通り過ぎるのをそのままやり過ごした。
完全に足音が聞こえなくなったところで、二人は深々と息を吐き出す。
「夏希先輩、いきなり引っ張ってごめんなさい」
「それは気にしなくて良いけど、どうして隠れたの? 今の、健二くんと佳主馬くんだったけど」
「そのカズマくんが居たからです」
「なんで? ちゃんは佳主馬くんとメールしてるんだよね、それで喧嘩しちゃった?」
「あーやっぱりカズマくんなんですね、隠れて良かった。別に喧嘩とかじゃなくってですね、何ていうか、いきなりのことで心の準備が出来てなくて」
「心の準備?」
「今までOZでカズマくんの試合を見たり、最近ではメールもしてたけど、あくまでもそれはネット上での付き合いだったので……」
「いきなり本人に会うのは抵抗があると」
「そうです。今、カズマくんと会っても頭真っ白で、何話して良いか分からなっちゃうので。せっかく初めて会うのに、一言も話せないなんてことにはしたくないんです」
直接会うことなんてまだ先、もしくは一生無いかもしれないと思ってたから。
まさか、栄に会いに来た先で会うことになるとは予想もしていなかった。
共通の知り合いであるかもしれない、とは聞いてはいたが、佳主馬も今日来ているなんてにとっては予定外の事態だ。
思わず逃げてしまったので、顔も見ていない。
「そっか。じゃあ、此処に居ると多分また戻ってくると思うから、来ない場所に行こうか?」
「そうして頂けると助かります」
「ちゃんがどうして此処に居るのかも聞かせて貰うからね」
「私も夏希先輩の話が聞きたいです。あの、夏希先輩と栄さんはご親戚なんですか?」
「栄おばあちゃんは、私の曾おばあちゃんなの」
「え、でも苗字が違いますよね?」
「うーん、大家族だから事情があってね。長くなりそうだし、続きは上でしよう」
(知り合いに会うとは思ってもいなかった。ましてや、彼が居るなんて)