舞台装置の裏側

 DD新聞社に電話をして情報を買ったその翌日、はいつも通りの時間に店を開いていた。訪れた客にはここ1週間近く午前中しか営業していなかったことを詫びながら、ちょっとしたおまけの品などを付けながら対応をする。つまり、すっかり通常営業へと戻して何事もなかったかのように過ごしていた。それは彼女が意図的に表面上はそのよう振る舞うよう心掛けているからこそでもある。そこには周囲に心配を掛けまいという理由もあるが、それよりも昨日の間に交わした『とある契約』によるところが大きかった。


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 昨日、社長との電話を終えて直ぐには行動を起こした。情報として電話越しに告げられたその名前は、彼女にとって耳慣れないものではなく、むしろこの数年の間に非常によく耳にするようになった名前であり、彼女自身もつい1週間ほど前に口にしたばかりのものであった。その際に、彼らは今もかつてと同じ廃工場を溜まり場にしているという話も聞いた。だから、彼との接触は何も難しくはない。問題は、グラハムを抜きにして彼と二人で、彼ではなく『彼』として会話をすることが出来るかどうかということにあった。幸いなことにグラハムは出掛けていたことから、当初考えていたような問題は発生することなく、彼と深夜に会う約束を取り付けることが出来た。そして深夜、彼は時間通りに呼び出した先である彼女の店へと現れた。

「こんばんわ、シャフト君。こんな時間に呼び出してごめんなさいね」
「時間はいいんですけど、グラハムさんに知られないようにするが大変でしたよ」
「そこはうまくやってくれると思っていたから。そうしないと、困るのは君の方でしょ」
「そりゃ俺がさんと二人であってるなんてグラハムに知られたら、タダじゃ済みませんしね。で、グラハムさんじゃなくて俺に一体どういった用事で?」
「実はね、『シャム』さんに頼みたいことがあるの」

 その瞬間、空気が張り詰めたのをは感じた。こうして呼び出された時点で、並々ならぬ用事があるということは彼の方も既に分かっていたことだろう。彼女が『彼』について知っていることは今更驚くようなことでもないはずである。それでも、いざこうして目の前にその事実を突き付けられた時に即座に肯定するわけにはいかないということなのだろう。彼が『彼』であるということ。それ自体がヒューイの意図から外れたことであり、反逆の意志があるということを裏付ける一つであるということを彼女は知らない。それを他者に知られるということは、彼にとっては致命的にも成り得るリスクでしかないということを。故に、それを肯定するか否かは彼にとっては慎重に見極めなくてはならないことであった。

「……いいでしょう、一先ずは話だけでもお聞きしますよ。その話をお受けするかは聞いてから判断させて頂きます」

 途端、口調をがらりと変えてみせたことで彼の中で結論が出たということが分かった。確かな情報を買ったとは言え、が決定的な証拠を持っていない限りはのらりくらりとはぐらかされてしまう可能性もあったことを思えば、これはまずまず順調な滑り出しと言えるだろう。だから、彼女は当然の疑問としてそれを口にした。

「正直、君が認めてくれるのにはもう少し時間が掛かるかと思っていたんだけど」
「あなたが買った情報は誤魔化しの効くものじゃないと判断しただけのことです。そうでしょう、DD新聞社非正規社員の・クラインさん」
「……なるほど。そこまで知っているのなら私が誰から情報を買ったのかも既に検討が付いてるんでしょうね」
「えぇ。まさかギュスターヴさんが早々に私のことを報告しているとは思っていなかったので、少し驚きましたが。それで、頼みたいことというのは何ですか? ルーアさんの居場所でしたらあなたはもうご存知でしょう」

 彼女が既に姉の居場所を突き止めていることを彼は当たり前のように指摘した。そのことを知っているのはDD新聞社の社長だけのはずであるが、も今更そのようなことでは驚かない。『彼』はどこにでも居る。だから、彼女が情報を集めて回っていたその何処かに紛れていても不思議はない。それらの情報があれば答えに辿り着くことは難しいことではなかったのだから、彼女が未だに姉の居場所を知らないと考える方が的外れと言わざるを得ない。

「そうね、姉さんがプラチド・ルッソの屋敷に軟禁されていることは知っているわ」
「では、私への頼みこととは何です?」
「姉さんを屋敷から助け出す手引きをして欲しい」
「ルーアさんを救出するだけならばあなた一人でも事足りるでしょう」
「ルッソから連れ出すだけならば、ね。ルッソの人達はもちろん、なるべくあそこに出入りしている人達とも関わらずに事を済ませたいのよ」
「そんなことが可能だとでも?」
「あそこにも『あなた』は居るのでしょう? なら、決して不可能ではないと私は思ってる。だからこうして頼んでいるの。もちろん、相応の見返りは用意するつもりよ」

 彼の言う通り、ルッソ・ファミリーの元から救出するというだけのことであれば、一人でもこなすことが出来る。ルッソを敵に回すということは穏やかではない事態を招くであろうが、その際には現在NYに居る少年達のようにこのシカゴの町から出ていってしまえば済む話でもある。だから、問題は別のところにあった。現在のルッソ・ファミリーに出入りしている者達、彼らは一筋縄ではいかないであろうし、ルッソの一部の人間が大なり小なり彼らの恩恵を受けている可能性を考えると、一人で強行するには危険性が高く必ず上手くいくという保証はない。むしろ窮地に立たされる可能性の方が高いと言えた。だからこそ、は成功を確実とするために『シャム』という内部協力者を求めたのだった。そうした背景があることを理解した上で、彼はの言葉を吟味するべく質問を投げ掛けていた。

「手引き、とは具体的にどの程度のことを求めているんでしょうか?」
「姉さんの囚われている部屋の位置と邸内の見取り図の提供、見回りの交代時間、それと侵入経路の確保」
「その程度でいいんですか?」
「十分過ぎるくらいね、流石に私だって案内してとまでは言わないわよ。これからもあなたがあそこで仕事をしていく上で不利になるようなことまで頼むつもりはないから」

 のその答えを受けて何かを考えるように目を閉じた後、暫くして再び彼女の視線を受け止めた彼の瞳を見て、いずれにせよ心が決まったということが分かった。

「分かりました。お受けしましょう」
「いいの?」
「はい。ここで私が要求を拒めば、あなたは一人でもルッソ邸に乗り込むでしょう? そちらの方が私にとっては歓迎しかねる事態ですので。あなたが動けばグラハムさんも動く、この状況を引っ掻き回されては困るんですよ」
「どんな理由であれ、引き受けてくれるのなら何でもいいわ」
「そうですか。では、見返りとしてこちらから幾つか条件を提示させて頂きますが、かまいませんね?」
「それが必須であるというのなら呑むけれども、不死者絡みのものは承諾しかねるわよ。深く関わりたくないから、こうしてあなたにお願いをしているのだし」
「その点は心配いりませんよ、危険なことをお願いするつもりはありません。それにこれは、私の個人的なお願いですから。こちらの条件は――」


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「『指示をするまで何もせずに待機』か……」

 それが昨夜、がシャムから言われた条件だった。他にも幾つか言われてはいるが、現状意味を成しているのはこの一つである。すなわちこれは、彼からの指示があるまではルーアの救出に関するような行動は一切控えるようにと言われたに等しい。指示がいつ来るかなど具体的には何も知らされていない。その時を知らせに来るのはシャフトではなく別の『彼』であるとは聞いてはいるが、与えられた情報はそれだけだった。一刻も早く姉を助けたいと思っているにとって、この状況は生殺しに近い。それでも、どこにでも居る『彼』が今この瞬間も彼女の動向を見ている可能性が考えられるから、契約を反故にされないために何事もないように振る舞うと決めたのだ。今を耐え抜くことさえ出来れば、姉を確実に助け出せる機会が巡ってくる。そう思えばこその判断だった。
 少なくとも、今朝から店を訪れた客の中でそうした彼女の内面の動揺を指摘してくる者は居なかった。1週間ほど前のグラハムの時とは異なり、今度は意識して彼女がそれを隠そうと努めているからだろう。ただし、あくまでもそれは表向きのはなしであり、彼女の内面は今も穏やかとは言い難い心境にある。綺麗に塗り固められているからこそ、それはほんの些細な衝撃でさえ崩れさってしまうようなとても脆いものだった。それでも、少なくとも目の前に居る客に集中している間は姉のことを考えずに済むから、けたたましい音共に入ってきた新たな客を迎え入れるために彼女は相手へと向き直ったのに――よりにもよって、というタイミングでその人物は現れた。

「……リカルド君?」
「騒々しくてごめん、さん。あのさ、これくらい大きな鞄ってある?」

そう言って彼は手でサイズを示す。そのサイズのものであれば店頭には置いておらず、あったとしても棚の中だろうと判断したは在庫管理表を取り出すと該当するようなものがあるかを手早く調べていく。その間も、リカルドはどこか落ち着かない様子で待っていた。

「そういえば、今日はクリストファーさんはどうしたの?」
「クリスなら車の中で待ってるよ」
「珍しいね」
「今日は大事な荷物があるから一人は車に残ってた方が良いってオレがクリスに言ったんだ」
「そう。ところでこの鞄、何に使うのか聞いてもいい?」

 その質問に対してリカルドは一目で分かるような反応は示さなかったものの、注視して見なければ分からないほどほんの僅かに顔をしかめて見せた。それはの質問に気分を害したというよりも、痛いところを突かれた、という反応だった。今この瞬間も、平静を装いつつもどう答えればこの場を切り抜けられるかを考えているのだろう。もしもクリストファーが一緒に居たならば適当なことを言って煙に撒いていたに違いないが、彼はこの場にはおらず、そして最初の時点で僅かであれ反応を示してしまっているリカルドにはそれは既に使えない手だった。そのことをリカルドも良く分かっているからこそ、答えあぐねているのだろう。にしても別にリカルドを困らせるつもりで聞いたわけではない。だから、彼の様子から触れない方が良いことなのだろうと察した彼女の方からその話題は終わらせることにした。

「ごめんね、言いたくないことなら言わなくてもいいよ。何となく気になったから聞いてみただけだから」
「……言いたくないというよりも、知らない方がいいことだから。オレのせいでさんに迷惑は掛けたくないんだ」
「うん。それなら私ももう聞かない。さてと、それじゃあ丁度良さそうなサイズの鞄あるみたいだから、持ってくるね。ついでだし、他に何か必要なものとかある?」
「ありがとう。なら、救急セットみたいなのってあるかな」
「んー商品としてはないから、私が手持ちで置いてるものになるけどそれでもいい?」
「かまわないよ、あった方がいいかなって感じだから」
「それじゃあ、ちょっとだけ待ってて」

 そう言い置いて、は店の奥にある倉庫棚へと向かった。在庫管理表にはどの棚の何段目に入っているかということも記載してあったし、サイズが大きいこともあって目当ての鞄は直ぐに見付かる。救急セットの方はカウンターの下に収納してあるので、鞄だけを棚から下ろすとそれを持っては店の表へと直ぐに引き返した。リカルドの口から聞いたわけではないが、店内に入ってきてからの彼を見ていれば急いでいるのであろうことは分かる。それだけ普段の彼とは違っていたし、そのくらいのことは分かるくらいの付き合いは重ねてきていた。表へと戻ると、やはり待ちきれないような雰囲気を纏いながら店内を歩き回っていたリカルドが直ぐ様カウンターの方へと駆け寄ってきた。

「これでサイズは大丈夫? あと、こっちは包帯とシップと消毒液くらいしか入ってないけど」
「うん、これでいいよ。それで、お金だけど」
「鞄の方は代金貰うけど、こっちはいいよ」
「でも、そういうわけには……」
「元々備え付けで置いてあった使い掛けだから、それにお金なんか貰えないって」
「駄目だよさん。商売なんだから、そういうことはしない方がいい」
「うーん、私は気にしないんだけど……そうだね、それでもリカルド君が気になるって言うのなら、私の質問に一つだけ答えてくれるかな?」
「……さっきの質問以外なら」

 何を聞かれるのかと身を硬くしたリカルドを見て、これから口にすることを果たして本当に聞いても良いのかと躊躇する気持ちがに湧いてきた。それでも、このタイミングで現れた彼にどうしても、聞きたいことがあったから――彼女はその言葉を口にした。

「姉さんは元気?」

 それを聞いたリカルドは、はっと目を見張ったかと思うと気まずそうに目を伏せる。先ほどの質問の時とは違って、それは明らか過ぎるほどの反応だった。そんなリカルドの様子を見てしまって、やはり聞かなければ良かったという後悔がを襲っていた。リカルドとの関係は客と店主というものでしかなく、ここに居るリカルドという個人を相手とした関係だった。そこにルッソの孫という肩書を持つリカルド・ルッソは関わっていなかったのだ。情報屋として多かれ少なかれ裏の世界に関わっているにとってルッソファミリーの存在はそこまで意識するようなことではなかったし、何よりも姉の恋人があのラッド・ルッソだ。ルッソの名前を忌避するような感覚は彼女の中からはとうに失われていた。だからこそ、彼女はこれまでリカルドをルッソの孫として扱ったことは一度もなかったのだ。少なからずリカルドにとっても悪くない関係であったはずのそれを、はたった今、壊してしまった。

「……ひどいな、さん。このタイミングで聞かれたら、オレは断れない」
「軽蔑してもいいよ」
「しないよ。もしかしたら知らないで普通にしてるのかとも思ってたから。知っててそれでもオレを個人として見てくれてたのが分かったし。大事なんでしょ、お姉さん」
「うん。自分も含めて他の何よりも、姉さんが大事。私は家族と友だちを天秤に掛けたら、家族を選ぶ人間だから」
「……元気だよ、ルーアさん。部屋からは出られないから多少不自由はしてるかもしれないけど、オレも出来る範囲で気に掛けるようにはしてる」
「そう、良かった」
「オレには家族の大切さは分からないけど、さんはそれでいいと思うよ」
「リカルド君……。ごめんね。それと、ありがとう」

 一度口にしてしまった言葉は今更どうあっても取り消すことは出来ない。気まずい空気と共にはそれを痛感していた。だから、お金を払って立ち去るリカルドに掛ける言葉も思いつかず、ただその背中を見送るしかなかった。

 『自分も含めて他の何よりも、姉さんが大事』

リカルドに語ったその言葉に嘘はない。けれども、数年前までは姉以外のことは気にしなかったはずの心が軋むのを、この瞬間は確かに感じていた。