妹は姉の為に情報を求める
耳に当てた受話器は単調なコール音を繰り返す。受話器の向こうに居る筈の人物が電話に出る気配はない。「やっぱり出ない……か」
その結果を噛み締めるように呟いた後、は受話器を下ろす。グラハムから姉の不在を聞いてから一夜明け、もしかしたらという想いと共に電話をしてみたが結果は同じであった。姉に何が起こったのか。その身を案じて立ち尽くしていると、先ほど下ろした電話が鳴り出した。期待はするだけ無駄だと分かっているので、あくまで事務的には電話を取る。
「はい、もしもし」
「か?」
「あぁ、フーさん。こちらから連絡しようと思ってたのに、わざわざ済みません」
相手はラッドを介して知り合いとなったフーだった。現在NYに居る人間でルーアとの関係を知っており、彼女の事情も把握しているのは彼しか居ない。だから昨日の内には彼に連絡を入れて、姉の様子を見に行って貰うように頼んでいたのだ。
「ルーアのことになると見境ないお前のことだ、なるべく早く知りたいだろうと思ったんだよ」
「ありがとうございます。それで、姉さんは? やっぱり居なかったですか?」
「居なかったな。ポストも手紙が溜まってたし、あの様子からすると暫く帰ってないんじゃないか?」
「……そうですか」
ルーアは家に帰っていない。それもグラハムがシカゴに向かう朝からなので、2日も前からずっとだ。最早疑いようのない事実だった。
「何か聞いてるのか?」
「いえ何も。知ってたらフーさんに連絡したりしませんよ」
「それもそうか。この3年間、俺にもルーアにも何もなかったから油断してたな。厄介なことになってないと良いけど」
「どんな状況であれ、姉さんは無事に取り戻しますけどね」
「お前の気持ちも分かるが今はラッドも居ないんだ、あんまり一人で無理すんなよ。死んだら元も子もないんだから」
「分かってますって」
「いや、絶対分かってないだろ。……まぁ、また何か分かったら連絡する」
「お願いします。では」
流石に付き合いが長いだけあってのことを良く分かっている。姉を想ってラッドの所に繰り返し殴り込みに行った彼女が、危険だからという理由で引くわけもないことを見抜いていた。しかし、だからといってフーに出来ることはなく、せいぜい気を付けるように忠告をするに留まる。それが決して心配をしていないというわけではないことはも分かっていた。それもまた、長い付き合いがある故なのだろう。
フーからの電話を終えたは考える。これほど長い期間出掛ける可能性として考えられるのは旅行だ。仮にそうであったとすると、に連絡を入れないのはおかしい。断りなく長期間ルーアが姿を消せば、姉を一番に想う彼女が狼狽するのは想像に難くないのだから。そして何よりも、旅行というのはルーアの意思に反した行為なのだ。ルーアがNYに留まっていたのは恋人であるラッド・ルッソを待つ為である。シカゴに戻って来て共に暮らそうというの懇願を断ってまで貫き通した強い想いが其処にはあり、現にこの3年間ルーアはNYから出たことはなかった。だからこそ、ルーアが自分の意思でNYを離れるとは考えられないのだ。
可能性を消却していくと残るのは一つ。ルーアは何者かに連れ去られた、ということだ。ラッドの恋人になってからは久しく起こっていなかったが、ルーアが連れ去られることは何も初めてのことではない。 彼女の纏う厭世的な雰囲気に惹かれた人間によって行われたことが何度もあり、その度にが姉を助ける為に奔走していた。その際の手段は厭わなかった。逆に言えば、がそれ以外の場合において誰かを傷付けることはない。繰り返し挑まれているにも関わらず、彼女はグラハムと戦ったことさえなかった。人を傷付けるのが嫌だからではなく姉の為以外で動くつもりがないからである。そして姉の為に動く時のの強さは普段からは想像が付かないほどであり、ラッドの折り紙付きである。相手がマフィアであろうと、姉を取り戻すと決めたにとっては難しいことではないだろう。問題は、『誰が』『何の目的で』行ったかということだ。
「まず、こんなことをするのは十中八九、裏社会の人間。これは間違いないと思う。目的は、ラッドさんなんだろうな。姉さんとあの世界との繋がりなんてそれくらいしかないから」
は思考を声に出すことで順に整理をしていく。彼の今までの行いを思えば復讐を考える人間も少なくはないだろう。または彼個人にではなく、彼が身を寄せていたルッソ・ファミリーに対する抑制ということも考えられる。数年前から力が衰えているとは言え、未だファミリーとして存在しているのだから有り得ない話ではない。しかし、ラッドはまだ服役中である。その上、彼が入所しているのはただの刑務所ではない。あのアルカトラズだ。そんな所に居る相手と交渉するのは不可能に近い。
「手紙は検閲を受けるから危うい内容は書けない、直接接触を取るにしても面会は出来ない。あそこの所員は全員厳格な審査を受けるから潜入するのも無理。出来るとしたら……『双子』くらいか」
あの双子ならば、誰にも怪しまれることなく何処にでも潜入することが可能性だろう。それが例えアルカトラズであっても。けれども『あの人』が今のところラッドに興味を持つとは考えられない、そして指示がなければ双子は動かない。つまり、ルーアの誘拐に関しては彼達は関係してないと言える。
「とすると、今のラッドさんに接触を考える組織はないし、姉さんを連れ去る道理もない。でも、ラッドさんが近い内に出所することを知っているとしたら?」
事実、ラッド・ルッソは近い内に出所する。そのことを知っているのは彼と近しい関係にあるものだけだ。それは身元保証人となっているプラチド・ルッソも例外ではない。ラッドに恨みを持つのは何も敵対組織に限ったことではない。これまで彼を司法制度から守ってきたファミリーに対して恩を仇で返すように離反をしたラッド。もしかしたら、彼を一番恨んでいるのはプラチドなのかもしれない。
「決め付けるにはまだ情報が足りないけど……とりあえずはこの線で調べてみるか」
方針が決まったとあれば、後は足で稼ぐしかない。は手早く身支度を済ませると、シカゴの街中へと繰り出して行った。
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シカゴにおいて、ルッソ・ファミリーの情報を集めることは難しいことではない。何故ならシカゴ市民は常にその情報に糸を張っているからだ。裏社会の人間は堅気の人間には極力関わらないようにしている。しかし、それでも折悪く巻き込まれてしまうことはある。そういった事態を避ける為に人々は情報を求めた。集まる情報は『この辺りで何人か見掛けた』という些細なものから『今週中に抗争があるらしい』といった重要なものまで、様々なものがある。当然それらが集まる場所も決まっており、長い間この地で暮らしているにとって後は容易なことだった。
「――――後は、最近あいつが戻ってきたってことくらいかな」
「グラハム・スペクターですか」
「そうそう。また手当たり次第に分解されるのかと思うとなぁ……」
「そうですね。それでは、有難う御座いました」
シカゴは広い。故に情報が集まる場所もまた幾つかに分かれて存在する。が全ての地点を回り切ったのは、調査を始めてから数日後のことだった。趣味で経営しているとは言え何日も店を臨時休業にすることは憚られた為に、調査は主に午後になってからしか行っていなかったことも時間が掛かった理由の一つであると思われる。そうして集めた情報を整理した結果、中でも重要と思われるものが四つあった。
1週間程前からルッソ邸に大きなトラックが出入りしているということ。組員が酒を飲むだの飲まないだの話していたということ。グラハムが戻ってきたということ。そして、ルッソ邸の窓越しに女性の姿を見たということ。その窓は格子が嵌まっていたということ。
まず、最後の情報に出てくる『女性』がルーアである可能性は高い。それだけならば話は簡単なのだが、これらの情報を繋ぎ合わせると面倒な事態が浮かび上がってくる。にしてみればグラハムがこちらに戻ってきたのはNYに居られなくなったからだとばかり思っていた。けれども、他の情報と合わせると彼もまたこの事態に少なからず関わっていることになるのだ。何よりも残りの二つの情報が問題だった。計らずも、フーが言った通りに『厄介なこと』になっているようだ。ルッソ・ファミリーだけなら此処の情報だけでルーアの救出まで何とかなるだろうとは考えていたのだが、そうもいかないらしい。紙に書き出した情報を睨み付けた後、は数日前と同様に電話の前に立った。番号は調べるまでもない、月に一度は連絡を入れているのだから。いつもと異なるのは『客』として電話をしているということだ。
「です。社長ですか?」
「定期連絡以外で君が電話してくるのは珍しいね、どうしたんだい?」
「社長なら既にご存知だとは思いますが、姉が居なくなりました。情報が必要なんです」
デイリー・デイズ新聞社、其処がが電話を掛けた先である。表向きはただの弱小新聞社であるが、情報屋としての裏の顔を持つ。彼女は数年前からその情報屋の社員として仕事をしていた。
「ルーア君が失踪したことは知っているよ、彼女の現在の居場所もね。だが、君が知りたいのは別のことだろう?」
「全部お見通しなんですね……。社長のおっしゃる通り、姉の居場所は大方予想が付いています」
「シカゴのことなら君の情報だけで十分だと分かっているからね。にも関わらず、わざわざ私に電話してくるくらいだ。何が知りたいのかな?」
「双子の片割れシャム、シカゴに居る彼の情報を」
「最低限の情報で最良の情報を得る、というわけか」
ヒューイ・ラフォレットにより生み出された双子、シャムとヒルトン。彼達はあらゆる場所に存在する個体であると同時に一つの集団である。故に、彼達を介すれば多くの情報を得ることが出来るということだ。
「しかし、彼が君の話を聞くという保証はないよ」
「分かってます。それでも、彼女の方よりは可能性がありますから」
「そうだね。最近の彼の動きからすると賭けても悪くない勝負だろう。では、君の勝率を少しばかり上げる相手を教えよう」
「どういう意味ですか?」
の訝し気な声に応えはなく、代わりに受話器からは紙をめくるパラパラという音が聞こえる。恐らく何らかの情報を探しているのだろう。しかしそれはあの部屋の状況を知っている者には、あの紙の山が崩れないかと不安を掻き立てる音でしかない。
「君は運が良い。この情報は数日前にサンジェルマン君から伝えられたばかりの新しいものだからね。それと、彼は君にも会ったと言っていたよ」
「副社長が……? 私はお会いした覚えがないのですが」
「君は会ったことがないからね、気付かないのが当然の成り行きだ」
DD新聞社副社長と言えば常に世界中を回っており、本社には年に数日居れば良いというような人である。本社に居ても滅多に会えないという相手に、月一でしか行かないが会ったことがあるわけもない。向こうから名乗られでもしない限り、彼女が自分から気付くことはないだろう。ここ数日に会った中からそれらしき人物が居ないか思い返してみるが、にはどの人物が副社長であるか特定することは出来なかった。
「来週にはこちらに戻る予定だが、それまでにもう一度会うこともあるだろう」
「具体的には、教えて下さらないんですね」
「そちらの方が楽しいだろう? それに、サンジェルマン君の情報も安くはないからね」
社員に関する情報でさえ無料ではない。DD新聞社とはそういう所だった。もその点を利用して、逆にある情報を秘匿にして貰っていた。勿論、相応の対価を支払った上のことである。
「そういえば社長、今回の料金は?」
「いつもの通り、全額君の給金からの天引きにしても良かったんだがね」
「別のもので、ということですか」
「そうだね。君、この件に特秘事項が関わっていることに君も気付いていないわけではないだろう」
だからこそ彼の情報を求めたのだろうしね。と社長は続けた。が数日掛けて至った結論を当たり前のように口にする。分かっていても、社長の耳の速さにはこうして毎度驚かされる。社長よりも早く得られる情報など、彼女が仕事として取り扱う海外のごく一部のものだけであろう。
「特秘が関わる事態についてはあらゆる情報を集めておいて損はない。君には今回の件を最後まで見届けた上での報告をお願いするよ」
「社長、私は……!」
「あぁ、勿論ルーア君のことを優先して貰って構わない。その上で、君の立場から見た結末が知りたいんだ」
「それで構わないのでしたら、了解しました」
「交渉は成立だ。それでは、君の求める情報を与えようか。シカゴに居るシャム君の固体名は―――」
こうして彼女は自ら渦中に飛び込んでいった。
そして、誰よりも早く事件の本質に到達することになる。