小さな始まりの時に

その日、私は男の子を拾った。
これだけならば少女漫画なんかで有りがちな出来事だったと思う。
唯一にして特筆すべきことは、その子が殺人鬼だったということだ。



 深夜近く、仕事から帰宅するとアパートの前に座り込んでいる人影が見えた。 住人の知り合いかとも考えたが、それが若い男性であったことから否定する。 このアパートにはそのくらいの年齢の人間が訪ねてくるような住人は居ない。 ならば放っておけば良かったのだろう。 けれども、街灯の明かりでは黒っぽいとしか見えていなかった彼の服が近付いてみると赤黒いもので染まっていることに気付いてしまったから。 直ぐ横に立つと、微かに鉄錆の臭いがした。

「ねぇ、そこの君。大丈夫? 駄目なら救急車呼ぶよ?」
「あ、これ? オレの血じゃないから」
「そう? で、君はそこで何をしてるの」
「んー荷物無くしちゃったから、これからどうしよっかなって考えてたとこ」
「お金無いの?」
「そんな感じ。それにこの格好だからあんまり歩き回れなくてさ」
「ふーん。それならうちにくる?」
「は?」

 口からは自然にそんな言葉が零れていた。 それまで視線だけをこちらに向けていた青年はそこで漸く顔を上げ、まじまじと私の顔を見る。 その顔にも赤黒いものが付着しており、最早彼が何をしてきたのかは聞くまでもなく明らかだった。

「お姉さん、正気?」
「正気じゃないように見える? 今日はお酒飲んできてはいないんだけど」
「あのさ、さっきこれオレの血じゃないって言ったよね。てことは誰かの血ってことじゃん、返り血だよ」
「それだけの出血量なら相手は生きてないでしょうね」
「あぁ、うん。解したからまず生きてはないね。だから、オレは人殺しってワケ」
「だから手までそんなに汚れてるんだ。じゃあ、うちに行こうか。ここ寒いしね」
「……俺の話聞いてた?」

 彼が何を言いたいのかは分かっている。 つまり彼は自分が人殺しであり、そんな人間を家に入れるのかと言いたいのだろう。 しかし私にしてみれば、『人殺しだからこそ』家に誘ったのだ。 その理由を説明するのは非常に手間が掛かったし、一日の仕事を終えて帰ってきたところなのでそろそろ休みたかった。 そういった考えから「聞いてなかった」と笑顔で答えると、強引にその青年を家まで連れて帰ったのだった。



「お姉さんさぁ、自殺願望でもあるの?」

互いに着替えなどを済ませて漸く落ち着いたところで口を開いた彼の第一声はそれだった。

「無いけど? 自殺は良くないよね。あ、服のサイズ大丈夫?」
「へーき。そんなことよりも、アンタ何なわけ」
「何って言われても……普通のOLだけど」
「普通のOLは家に人殺しあげたりしないって」
「君が人殺しだって決まったわけじゃないでしょ。だって状況証拠しかないし」
「本人が自白してるんだから決定だろ。自分も殺されるかもとか考えなかった?」

 人殺しという時点で自分が常識から逸脱しているというのに妙に拘る。 もしかしてこの状況は人殺しに一般常識を説かれているのだろうか? だとしたら凄く貴重な体験をしているのかもしれない。 しかし断っておくと、私はこの行為が一般的な基準からずれていることはきちんと理解している。 だから別に常識が無いというわけではなくて、自分が殺されるかもしれないということよりも興味が勝っただけなのだ。

「んーそんなに深く考えてないしなぁ。割と好みの顔立ちの男の子が困ってるみたいだったから助けただけかもよ」
「へぇ、じゃあこういうこととか期待してたりする?」

 軽く肩を押された、と思った時には青年を下から見上げていた。 俗に言う、押し倒されている状態というやつである。 一人暮らしの女が好みの男を家に入れる場合というのは大体にしてそんな理由なのかもしれない。 残念ながら私は違うけれど。

「……男に飢えてはいないかな」
「だよなぁ。お姉さん男に困るような顔立ちしてないし」
「褒められた? だとしたらありがとう」

 彼は直ぐに態勢を戻してくれたので、間を置かずに私も起き上がる。 色気もへったくれもなかった。 未遂ですらない。彼にしてみたらちょっと確認してみただけ、程度だったのだろう。 とりあえず今の流れで彼は性欲と殺人衝動が結び付いてるタイプではないということは分かった。 それを頭の中に書き留めていると、彼が勢いよく後ろに倒れ込んだ。

「あー分かんねぇ。アンタ意味不明過ぎるって」
「私なりに行動理念はあるんだけどね。とにかく、お金貯まるまではうちに居て構わないから。あ、通報とかする気はないから安心して」
「うん、その心配はしてない。でも此処に居座るのはなんか抵抗がある」
「無償の善意が怖い? そうは言っても、私は君を観察したいだけで見返りは求めてないしなぁ……」
「観察?」
「そう、人間観察。趣味なの」
「それなら……分かるかも。オレがやってるのも趣味だし」
「へぇ、人殺しって趣味になるんだ。変わってる」
「アンタも十分変わってるよ」

 そう言った青年は警戒を解いてくれたらしく微かに笑顔を見せてくれた。 それは殺人鬼を名乗る人物にしては随分と幼いものであるように思えて、そういえば彼は何歳なのだろうか、という疑問が浮かんできた。 だって未成年だとしたらもう少し対応を考えなくてはいけないし。

「20歳だけど、お姉さんは?」
「女性に年齢を聞いてはいけません。まぁ君より何個か上だよ」
「24から6ってところか」
「それよりも! 自己紹介がまだだったよね? 私は。趣味は人間観察。特に少し変わってる人をじっくり近くで観るのが好き。君は?」
「雨生龍之介。趣味は人殺し全般。子供とか若い女とか好き」
「ん? もしかして私が殺されてないのって『若い女』の範疇に入ってないから?」
「いや、アンタには今のところは食指が動かないから。それに一応、助けて貰ったし」
「じゃあ私のこと殺したくなったら出て行ってね、まだ死にたくないから。でも、それまでの間は仲良くしましょう?」
「りょーかい。オレが殺したくならないように、せいぜい気を付けてくれよな」



こうして、私と雨生龍之介の共同生活が始まった。

2011.12.03.