そしてまた続いていく

恋をした。
文字通りの命懸けの恋を。
だって私が好きになった相手は殺人鬼だったから。

そして、私は一つの決断をした。



「お帰りなさい」
「……なんで居るかなぁ。自殺願望はないって言ってなかった?」
「『追い掛けてきたら』殺すんでしょ。ここは私の家、私はずっとここに居ただけ」
「そーいうの屁理屈って言うんだよ、さん」
「もちろん知っててやってるもの」

 居ると思っていなかった人間に出迎えられて、彼は半笑いを浮かべていた。 予期していなかったことだけどコイツならやりかねない、そんな反応だったのだろう。 だから私が出会った時と同じように有無を言わさぬ笑顔でそれを丸め込むと、彼は呆れたように溜息を吐きながらも、大人しく靴を脱いで部屋へと上がってくれた。 それは昨日までの何ら変わりのない動作だったように思う。 口では危険を仄めかしておきながらも、とりあえずのところは直ぐにでも私を殺すようなことはないらしい。 家で彼を待つと決めた時に覚悟していたこととは言えやはり緊張していたのか、いつの間にかきつく握り締められていた掌を開く。 一目見て分かるほどに、くっきりと残された食い込んだ爪の跡。 けれども再び掌を握ることでそれを視界から隠すと、私は彼に背を向けてキッチンへと向かった。

「お茶入れてくるから座って待ってて」
「オレ、長居するつもりはないんだけど」
「龍くんはそうでも、私はそれなりに時間をかけて君と話したいことがあるから」
「あのさぁ、昨日も言ったと思うんだけど、一緒に居るとそれだけアンタが死ぬ可能性高くなるんだよ。分かってんの?」
「そんな覚悟もなしに待ってるわけないでしょ。そうなったら全力で抵抗させて貰うだけだしね」
「そこまで分かってんならいいや。何されても文句はなしってことで」

 彼との会話の全てがまるで綱渡りのように感じられる。 それでも、ここまできて後に引くつもりはなかった。



 お茶を入れて戻ると、部屋の隅に寄せて置いたはずの荷物の中身を雨生が見ていた。 それは彼のために準備をしていたものだったから、特に止める理由もないのでテーブルの上にお茶を置き、作業が終わるのを待つことにする。 うちで彼が生活を始めた時に何が入っていたかを聞いてはいたけれど、一見すると小旅行の荷物なのに色々と物騒な物が混じっているのが見えた。 暫くすると彼が顔を上げたので、私もカップを置く。

「中身は全部あった?」
「あった。って、そうじゃなくて、なんでここにあんの?」
「だってそれ、君がなくしたって言ってた荷物でしょ。結構前かな、警察行って引き取ってきたの、出て行く時に返してあげようって思って。ちょっとしたどっきりね」
「そりゃまさか戻ってくると思ってなかったから驚いたけどさ。よく返して貰えたね」
「若い女性が頼めば世の中ある程度のことは何とかなるのよ」
「そんなことばっか言ってるからさんが普通のOLに見えないんだっての。でもまぁ、ありがとね」

 今日どんな結末を迎えることになろうとも、彼がここを立ち去るのを止めることは出来ないだろう。 どうせ返さないといけないのなら、と仕舞っておいた荷物を出してきて見えるところに置いた。 それに迷いがなかったと言えば嘘になる。 彼はきっとここで生活している間に使ったものは全て持っていくだろうから。 雨生龍之介という人間がここに居たという事実を示すものは一つも残らないだろう。 残るのは記憶だけ。 物より思い出と言うけれど、思い出は薄れていくものだ。 だから、このまま荷物のことを黙っていようかという迷いもあった。 そんなものは、彼の一言でどうでも良くなってしまったが。
 ありがとう。なんて有り触れた言葉でも嬉しくなってしまえるのだから、私は自分が思っている以上に彼のことが好きなのかもしれない。 そうでもなければ今こんな所に居るわけがない、か。 今更のようなことを自問自答をしていると、名前を呼ぶ声で引き戻された。

「それで、話ってなに?」
「どうして他に話があると思うの? 荷物のことで終わりかもしれないのに」
「部屋の隅にあっても気付くくらいなんだから、玄関入ってとこにでも置いておけば気付かないわけがないんだし、それならわざわざ待ってる必要ないでしょ」
「それもそうね。じゃあ話すけど、さっきも言ったようにそれなりに時間の掛かることだからお茶飲みながら聞いてね」
「オレはそれでいいけど……緊張感なさ過ぎじゃない?」
「褒め言葉として受け取っておく」

 彼がそう感じるとしたら、内心の動揺を悟られていないということだから。 それは十分に褒めるに値する、自画自賛しても良いだろう。 決して怖くないわけではない。 ただ、彼にもうあんな顔をさせたくない。それだけなのだ。

「んー何から話そうかな……年の離れた兄が居るんだけど、子どもが二人居るの。甥っ子と姪っ子ね」
「なんか長くなりそうだね」
「それなりに時間掛かる、って言ったでしょ。続けるよ? そこそこに昔からある、所謂旧家なのかな。だからか知らないけど、跡継ぎとか面倒な問題があってね。それが煩わしくて私は家を出てしまったというわけ」
「……さんって、実はお嬢様だったんだ?」
「家を出た時に母方の姓に戻してるから、正確には『元』お嬢様ね」

お嬢様と、そう呼ばれていたのはもう3年も前の話だ。 今となってはあの家に未練は無い。けれど、あの屋敷には未練がある。 それが全ての始まりだった。 彼を拾ったのも、彼に興味を持ったのも、それが理由なのだから。

「そういうわけで兄はもう私のことなんか気にも留めてないし、私も家のことはどうでもいいと思ってる」
「ふーん。家のことは、なんて言うってことは他に気になることでもあるんだ?」
「話が早くて助かるな。さっきも言った姪っ子がね、私のことを随分と気に掛けてくれているの。だから、彼女とだけは定期的に連絡を取っていたんだけど、ここ最近はちょっとした事情があって連絡してなかった」

 彼女はね、まだ小学生なのよ。 それがどういう意味なのか、雨生にも分からないわけではないだろう。 暫く考える素振りをした後、「ごめんなさい?」と大して申し訳ないとも思っていなさそうな様子で謝罪の言葉を口にした。

「謝って欲しいわけじゃないし。何度も言うようだけど、君をうちに置くと決めたのは私だからそれは良いの。で、ここからが本題なんだけど、私からの連絡が途絶えた姪は当然それを不審に思うわよね」
「心配じゃなくて不審なんだ」
「そういう子なの。それで不審に思った彼女の指示で世話役、まぁ執事みたいなのがうちに様子を見に来たというわけ」
「……それっていつの話?」
「先週の木曜日ね。どういうことか分かってくれた?」
「あーうん、つまりオレの誤解だったってことか」
「そういうこと。話はこれでおしまい」

 そう言い切ると、私はテーブルの上に置いたカップへと手を伸ばした。 ほとんど残っていなかったカップの中身は直ぐに飲み干してしまったが、それでも飲んでいる振りをしたのは時間が欲しかったからだ。 じっとこちらを見詰める彼の視線から逃れる時間が。 奇しくもそれは昨日の光景のデジャヴュだった。

「……ほんとにそれだけ? そんなことの為に、アンタはオレのこと待ってたって?」

その通りだ、という肯定の言葉は、不意に腕を引っ張られたことで飲み込まざるを得なかった。 そうして彼の眼前には、食い込み過ぎた爪によってうっすらと血が滲んだ私の掌が晒される。

「こんな風にしてまでオレへの恐怖を押さえ込んで、ここに居る理由がそれだけってことはないでしょ」
「いつから気付いてたの」
「いつだっていいじゃん。そんなことより、誤解も解けたところでさんから何か言ってくれるんじゃないかって、オレは期待してたんだけど?」

 血の滲んだ掌にキスを落とすと、目線だけ雨生はこちらに寄越す。 グリルパルツァーによれば掌へのキスが意味するところは懇願だったか。 彼は当然そんなことは知らないでやっているのだろうけれど、謀らずも今の状況にふさわしい行動だった。 それが背中を押したのだろう。 言いあぐねていた言葉はするりと私の口から出てきた。

「殺されるかもしれないけど、それでも君に会って気持ちを伝えたいと思うくらいには好きよ、龍くんが」
「俺も殺したいくらいさんが好きだよ」

 嬉しさと恐怖という相反する感情が同時に私の中で渦巻いた。 せっかく想いを確かめ合ったというのに、それでも身体は恐怖を訴える。 何となく彼もそれを感じ取ったのだろう。 掴んでいた手を離すと、両手を上に挙げて降参のポーズを取った。 その顔に浮かぶ表情が笑顔であることが私には唯一の救いだったのは間違いない。

「俺さ、今まで好きになった子ってほとんど殺しちゃったんだけど、さんは殺したくない。殺したいとも思うんだけど、でも死んで欲しくないとも思うから」
「……私は、死にたくないよ」
「うん、俺だって死にたくない」
「でもね、龍くん。一晩考えて、君のためなら死んでも良いかなって思ったの。君が私を最後に人を殺すのを止めてくれるなら。どう?」
「…………ごめん、それは無理。俺はまだ『死』がどんなものか知らないから」

 分かっていた。彼の行為はその答えを得るまで止まることはない。 もしかしたら、とも思ったけれど、結局はあるべきところに落ち着くように定められているのだ。 だからそれが哀しいとは思わなかった。

「そうだろうと思ってた。それじゃあ、龍くんとはこれでお別れね。引き止めても無駄だろうし」
「分かってて、あぁいうこと聞くんだ?」
「他に思い付かなかったから。それも断られちゃったし、これ以上はどうしようもないでしょ。君は私を殺したい、でも私は死にたくないんだから」
「一応あることはあるんだけど。さんはさ、待つのは得意?」

気は長い方なので幾らか待たされたとしても怒りはしないと思う。 それが何の関係があるのかと首を傾げながら雨生を見ると、彼は何かを握った手をこちらへと差し出していた。

「手、出して」

言われるがままに出した左手にぽとり、と何かが落とされる。 小さな猫目石が嵌まったそれは、つい先程まで彼の耳についていたピアスだった。

「知ってると思うけど、指輪とペンダントに並ぶオレのお気に入り」
「これがどう関係あるの?」
さんに貸してあげるからつけててよ。あげるんじゃなくて、貸すだけね。絶対に取りにくるから、なくさないでよ」
「取りにくるって、それはいつの話よ?」
「んーオレがさんに会っても殺したいと思わなくなったら」
「気が遠くなるような話ね。おばあさんにでもなってそう」
「そんなに遅くはならないって。だからさ、待っててよ。きっとまた帰ってくるから。そしたらまた此処に泊めてくれる?」
「私が待ち切れなくなる前に帰ってきたらね」
「そこは素直に頷くとこだろ?」
「婚期を逃したらちゃんと責任取ってくれなら、待っててあげる」

ぱちくりと幾度か瞬きを繰り返した後、彼は微笑った。 それは今まで見てきたどんなものとも違う純粋な、雨生の笑顔だった。



1ヶ月と3週間。
雨生龍之介との共同生活は終わりを迎えた。 この期間が長かったのか短かったのかは分からない。 「いってらっしゃい」「おかえり」という声がないことを寂しく思ってしまったのだから、それが当たり前となるくらいには一緒に居たということなのだろう。 元の一人きりの生活に戻っただけだ、と自分に言い聞かせていた効果だろうか、最近ではそのことにも慣れてきた。 彼が居た頃のように毎日料理をするのではなく買ってきた惣菜で済ませてしまうことが増えたことについては、ちょっとした自堕落っぷりを覚えなくもない。 だって、自分で作ると一人分には明らかに多い量を作ってしまうから。

猫目石のピアスは今日も私の耳元で光っている。

2012.07.16.