14.怒りが極まると却って冷静になる
「人間の三大欲求というのは単なる欲ではなくて、生きていく上で最低限これらは必要不可欠であるということを意味している」
私は口元へと動かしていた手を止め、持っていたスプーンをテーブルの上へと置いた。まだ一口しか手を付けていないため皿の中の料理はほとんど減っていない。
「まず、睡眠欲。休息を取らなかった場合の人間の活動限界はどんなに鍛えていても4日。普通の人間ならせいぜい2日程度。睡眠行為によって体を休めないと人間は極度に衰弱するし、判断力なんかも衰える。かつては体は痛め付けるよりも睡眠を取らせない拷問の方が効果的だと言われていたらしいよ。それくらい、睡眠という行為は重要ということだね」
左手でコップを取って、中の水を飲むと喉に流し込む。ストローを使っていなかったので氷も流れ込んできたが気にせずに噛み砕いて水と一緒に嚥下する。机の上に戻すとまだ残っていた氷がカランと音を立てた。
「次に性欲。これはどんな生物にも備わっている種族保存の本能に起因するものだと言える。だから何も人間に限ったことではなく、自分の遺伝子を後世に残したいというあらゆる生物が生まれた時から備えているものだと考えられる。だから人間が生殖行為を行うのも、当然だということになる。まぁ、これについては私も良く分かってはいないけど」
備え付けの紙ナプキン1枚取ると、それを両手の中で遊ばせる。開いて、折って、切って、正方形を作る。その単純な動作を繰り返し行って、大小様々な正方形を幾つも作っていった。
「最後に食欲。言うまでもないだろうけど、食事というのは人間が活動を行う上でのエネルギー源になっている。何をするにしても、エネルギーがなければ話にならない。食事をする以外にもエネルギーを摂取することは可能だけれど、一番確実かつ簡単な方法はやはり食べるということ。美味しいものを食べるのは幸せだし、体だけでなく心も満たされる。一石二鳥だね」
話している間にも指は忙しなく動いていた。先ほど作った正方形をひたすら折っていき、同じ形を作り上げていく。思考を割くまでもないその行為は話ながらでも難なくこなすことが出来た。
「だから? おまえ一体何が言いたいんだよ」
「そう、分からないんだね」
そこで、指が止まった。手元には既に正方形はなく、全ての紙が形を持ったものとしてそこにあった。非生産的なことをしているという自覚はあったが、元より私にとってはこの時間自体が無駄なものだった。
「つまり――人が楽しく幸せにご飯食べてる時に邪魔するなってことだっ!!」
その言葉と同時に、完成した大小様々な手裏剣を非常識にも食事中に決闘を挑んできた馬鹿野郎に投げ付ける。折り紙よりも硬度は低いが、それでも尖った部分が顔に当たればそれなりに痛いだろう。ざまあみろ。
「せめて店から出てくるまで待てないわけ? ご飯食べてるのなんて見れば分かるのにそれすら待てないの? 店内に入ってきてまで『決闘しろ!』とか馬鹿なの?」
食事を邪魔されたことで、近年稀に見る勢いで私は怒っていた。此処が店の中だとか、周囲の注目の的になっているとか、最早気にしていられなかった。これが食事だったからまだ百歩譲って何とか冷静さを保っているが、邪魔されたのが睡眠だったらこんなものじゃ済まなかっただろう。それでも食べ物の恨みは恐ろしいのだ。
「とにかく。外に出てろ、この非常識め!!」
びしっと指を向けながら叫ぶと、勢いに気圧されたのか相手は背中を向けて立ち去っていった。漸く静かになったところで先ほど机の上に置いたスプーンを再び右手に持つと、私は食事を再開する。店員さんは勿論、他のお客さんも嵐が去ったとばかりに視線を戻していった。
話は遡ること数分前になる。
の提案によりお昼を食べることにした私は、通りにあったチェーン店として有名なファミレスへと入った。一人でファミレスというのは寂しいものがあるが、それはあくまで他者から見た視点だ。私には正面に座るが見えているので、寂しさや虚しさといったものは特にない。そしてメニューを見て今の気分やら財布の中に入っているお金やらと相談しつつ悩んだ後、店員さんを呼んで注文をした。それから10分ほど待ったところで、デミグラスソースのかかった実に美味しそうで食欲のそそるオムライスがテーブルの上へと現れた。その一口目を口に入れようとした正にその時、店内へと騒々しく入って来る人が居た。それだけならばお子様から大人まで出入りするファミレスならばそういうこともあると流せたのだが、「お客様、御一人でしょうか?」とお決まりの対応をする店員へと目もくれず、その人物が一直線に私の元へと向かってきたことが問題だった。そして何をするかと思えば、開口一番
「! 俺と決闘しろ!!」
などとのたまったのだ。言われた本人である私は今正に口に入れようとしていたオムライスを一欠片を乗せたスプーンを持ったまま、ぽかんとしてしまった。いや、ほんとこいつ何を言ってるんだと思った。しかし目の前に居るのが非常識な馬鹿者だということは良く分かったので、食事を邪魔されたことに対して沸々と湧き上がる怒りを私は抑えることが出来なかった。そして、冒頭のシーンへと続くわけである。
今、私は邪魔者を追い出したことでわざと時間をかけてゆっくりとご飯を食べていた。ケーキセットの追加注文までして優雅にデザートを食べながら、紅茶を口にする。そうして十分に食事を堪能した後で、私は店を出た。正直なところ、あの手の馬鹿の相手をしたくなかったので、時間をかけたら居なくなっててくれないかなぁという考えもあった。が、世の中そう上手くはいかないもので、ご苦労なことにも彼は店の外で大人しく待っていたらしい。店から出てきた私の姿を認めるなり、壁に預けていた背中を離して近寄ってきた。というか別に店の外で待っている必要はなかったのだから、何処か他の店にでも入って出てくるのを待っていれば良かったのに、ずっと立って待ってるとかご苦労なことだと思う。私の前へと立つと、先ほどとは打って変わって神妙な顔でその人は口を開いた。
「……おまえに、決闘を申し込む」
「いいよ。まぁ……そうだね、全面的に君に責任があるわけじゃないし。ぶっちゃけ、責任の9割は海馬瀬人とかいう傍迷惑な社長にあると私も思うよ」
「じゃあ……!」
「でもさー食事中にアレは無いよね?」
「あ、あれは、俺も悪かったと……」
「うん、言い訳は結構だよ」
表面上はあくまで穏やかなのに、ぴしゃりと言葉を撥ね付けるその圧迫感に相手は言葉を詰まらす。いくら街全体を使うという規格外の大会が現在進行形で開催されていると言っても、一般的常識を無視して良いというわけではないのだ。そこのところを忘れて貰っては困る。だから、これからは忘れることのないようきっちりとその身に刻み付けてあげたいと思う。私はカードを予備のものと何枚か入れ替えることで、デッキを今この状況に相応しいものへと変えた。
「全力で叩き潰してあげる。社会を甘く見てると痛い目見るということを身を以って思い知るといい」
デッキがセットされた決闘盤が音を立てて起動して、ソリッドビジョンシステムを射出する。つい先ほどまで鬱陶しいくらいにアスファルトを照り付けていた太陽が突然雲に覆われたことで、体感的に暗いと感じるくらいには明るさが減った。それはまるで私の感情が天候も左右しているようだったと後にが語ってくれた。
「決闘っ! 先攻は私、ドロー」
表に返したカードは早くも対戦相手に死刑宣告を下すものだった。デッキが私の怒りに応えてくれたのかもしれないけど、こんな時に心が通じるのも我ながらどうかと思う。まぁ、流石私のデッキ、と思うことにしよう。
「宣言する。次に私のターンが来たら、君は負ける」
「なっ……3ターンで勝負が付くわけないだろ、馬鹿にしてんのかよ!」
「私は出来ないことは言わない」
手札には最初から必要なカードが揃っていた。早期決着は端から決まっていたことであり、それが今のドローで3ターンに決定付けられただけだ。
「裏守備表示でモンスターをセットし、リバースカードを1枚伏せてターンエンド」
「なんだよ、大口叩いてモンスター召喚はなしか。本当は手札事故ってるんじゃないか?」
「どうかな。さぁ、君の最初で最後のターンだよ」
モンスターは裏守備でリバースカードも1枚のみ。これで次のターンに負けるとは普通思わない。本来ならば一切警戒しないであろう状況で、それを事前に教えてあげたのはせめてもの温情だった。仮にもこの大会への参加資格を有するのだから、そんな相手が次で負けると言われてどんな手を打ってくるか少し興味があったから。もちろん、それを完膚無きまでに叩き潰すのも面白そうだと思う部分も多少はあったかもしれない。だって怒ってるし。
「俺のターン、ドロー……」
「じっくり考えてくれていいよ。結果は何も変わらないけど、その過程で私に一撃加えるくらいは出来るかもしれないしね」
攻撃しても、攻撃しなくても、結末は何も変わらない。焦りが相手から冷静な判断力を奪うと分かっていて、敢えて煽るような言葉を掛けていく。この程度で揺さぶられてしまうような柔なメンタルだったらそれはそれまでということで一つ。もしもこの状況下で、次のターンを凌ぐ唯一の方法に思い当ったならば、少しは見直してあげても良いかなと思う。絶対に気付かないだろうけど。
「俺は【シーザリオン<☆4 1800/800>】を召喚! 裏守備モンスターを攻撃だ!」
「はい、攻撃どうも。この瞬間【クリッター<☆3 1000/600>】の効果発動。デッキから攻撃力1500以下のモンスターを手札に加える」
攻撃はしてきたか。ここまで煽られて攻撃してこなかったらただの臆病者だ。決闘者として根本的に向いてない。一矢報いてやろうというそれなりの闘争心は持っているらしい。まぁ、もし攻撃されなかったとしても次の自分のターンで生贄にすれば良かっただけのことなので、やはり結末に変わりはない。いずれにせよ、このカードは手札に来たのだから。
「……リバースカードを3枚セットして、ターンエンドだ」
「もう終わり? 最後のターンに名残は無い?」
「べ、別に次のターンが来ないって決まったわけじゃ……」
「決まってるんだよ。警戒して随分と伏せたみたいだけど、それ、無駄だから」
始まって間もないけれど、これで終わり。カーテンコールもない。これは次の話までの幕間に過ぎない。退屈凌ぎの一幕。
「私のターン。手札より【コストダウン】を発動。手札を1枚捨てることで、手札のモンスターカードのレベルを2つ下げる」
前回の絽場くんとの戦いでも使った魔法カードだ。これでレベル6のモンスターのレベルは4となり、生贄無しで召喚可能になる。呼ぶのはもちろん、あのカードだ。
「【闇紅の魔導師<☆4 1700/2200>】を召喚! 更にリバースカード、【血の代償】を発動。……あれ、妨害なし? その伏せカード、発動無効化のカウンターかと思ったけど違うんだ」
「くっ…………」
「それじゃあ遠慮なく。LP800をコストにこのターン通常召喚をもう一度行う。召喚するのは、先程【クリッター】の効果で手札に加えた【お注射天使リリー<☆3 400/1500>】」
「でも、2体の攻撃力を合計してもまだ俺のLPの方が上だ。それに俺の場にはモンスターが居る。これでどうやって俺のLPを0にするって言うんだ、やっぱりはったりなんだろ」
「誰が、これで終わりだと言った? 君の言う通り、そちらの場にはモンスターが1体居る。だから、君は負けるんだよ」
「ど、どういうことだよ!?」
「1体しか居ないこと。それが君の決定的な敗因だ」
そう、このターンを凌ぐ唯一の方法とは特殊召喚を用いて場にモンスターを2体以上召喚すること。2体居るならば、私のこの戦略は通用しなかったのだ。
「さて、仕上げだ。魔法カード【ハリケーン】を発動。さっきの【血の代償】の時に使わなかったということは、もしかしたら【聖なるバリアミラーフォース】を伏せていたのかもしれないけれど、言ったでしょ『無駄だ』って」
【ハリケーン】の効果で場にある全ての罠・魔法カードはプレイヤーの手札へと戻る。私の場にある【血の代償】も手札へと戻るが、それはあちらの場に伏せられていた3枚も例外ではない。彼の場に残っている召喚されたモンスター1体だけだ。
「そして【死者への手向け】。手札を1枚捨てることで、場のモンスターを1体破壊することができる。選ぶのは、勿論【シーザリオン】」
【死者への手向け】で破壊可能なのは1体のみ。だから、2体以上存在する場合にはどうしても1体残ってしまった。その場合ダイレクトアタックをすることは出来なかった。しかし、現実には彼の場にもうモンスターは居ない。伏せカードもモンスタカードも失って、彼の場には何も残っていなかった。
「これが最後の魔法カード、【死者蘇生】。魔法カードの発動コストとして捨てた【闇より出でし絶望<☆8 2800/3000>】を墓地から特殊召喚!」
僅か1ターンの間に私の場には3体のモンスターが揃った。内2体は上級モンスター、闇紅はこれまでの魔法カードの発動で攻撃力を積み重ねているし、リリーはLPのコストを払うことで上級モンスター並の攻撃力を発揮する。これら全てがダイレクトアタックでの攻撃として通るのだ。
「それじゃあ覚悟はいいか? 【闇紅の魔術師】、【お注射天使リリー】、【闇より出でし絶望】でプレイヤーに一斉攻撃!! 少しばかりオーバーキルするけど、悪いね」
ソリッドビジョンであると分かっていても、3体のモンスターが自分に向かってくるのは恐ろしいだろう。リリーや闇紅はともかく、闇より出でし絶望が向かってきたら私でもちょっと引くと思う。しかしあくまで映像、体感的なものであり実際に痛みはないのだからこれくらいしても問題ないはずだ、多分。魔力カウンターにより、闇紅の攻撃力は2300。LP2000を払って、リリーの攻撃力は3400。そして、闇より出でし絶望の攻撃力は2800。合計で8400のダメージが一気に与えられる。まるで誠意のこもっていない謝罪をしながら、LPが減っていく音を私は聞いていた。
「有言実行、3ターンで終わったね」
「まさか……本当に負けるなんて……」
「思いっきりやって私も気分が良いし、これでファミレスでの一件は水に流してあげる」
全力で完膚無きまでに叩きのめしたことで私のストレスも発散されたので、ここから更にどうこうするつもりはない。基本的に気持ちの切り替えは早い方なので、一度発散してしまえば後には引かないタイプだ。それに、これ以上やるとに止められそうな気がする。
「そうだ。物はついでということで君に聞いておきたいことがあるんだけど、良いかな」
「な、何だよ。海馬の居場所とからなら俺も知らないぞ……?」
「いや、それは決勝まで行けば自ずと会えるから良いよ。それよりも強い奴と闘いたいんだけど、そういう人の居場所知らない?」
「強い奴か。あーそれなら確か、梶木漁太が水族館に居るって聞いたな」
「梶木漁太、か……」
羽蛾や竜崎と同じくデュエリストキングダムに呼ばれたほどの人物だ、実力者には違いないだろう。少なくとも拠点を構えていることから私からパズルカードを奪って楽をしようという考えはなさそうだし、今まで私に挑んできたような決闘者達よりは強いはずだ。行ってみる価値はあるかもしれない。
「ありがと。君も私なんかに挑んで楽しようとか思わないで、地道にパズルカード集めなよ」
「あぁ……海馬がおまえにパズルカード渡した理由が良く分かったよ」
「それって褒めてる?」
「褒めてるよ、一応な」
「そ、ならいいけど。じゃあ、君も頑張ってね」
そう言って名前も知らない少年に別れを告げると、私は童実野水族館へ向けて歩き出した。決闘をするということで集まっていた観客も、それを合図に徐々に捌けていく。その中には当然、あの少年が負けたら次は自分が噂のに挑もうと考えていた人達も居ただろうけれど、幸いなことに今の一方的な決闘展開を見ていたからかそれを実行に移そうという人は居ないようだ。絽場くんとの戦いも合わせて、これで結構な人達に私の強さは伝わっただろうから、今後は面倒な決闘が減ると私としてはとても嬉しい。一度の決闘中にデッキ内の全てのカードを使用することはないが、それでも複数回重ねていけばほぼ全てのカードを使用することになる。そうした事態を避けるためにサブデッキも用意してあるが、それでもある程度の情報は広まってしまうだろう。特に私がエースカードとして好んで使う闇紅やリリーなどは対策を練って来る人が居てもおかしくはない。だから、一度に大勢にターゲットにされるような立ち位置は迷惑極まりないのだ。
やはり許すまじ、海馬瀬人。