喧騒を引き連れた帰還者

 明くる日の朝。そろそろ店の方に行こうかとが支度をしていると、来客を知らせるチャイムが鳴った。ぴたりと動きを止め、彼女は首を傾げる。店に訪ねてくる者は居るが自宅を知っている者は限られている。そしてそういった友人達がNYへと行ってしまった後、ここ数年の間は家に来る者は居なかった。誰だろう。疑問に思いながらもは扉を開けることにした。まだ9時過ぎだったこともあり、この時の彼女の頭は正常に働いていなかったと言える。だから、失念していたのだろう。NYに行った友人の一人が近々戻ってくる予定だったことを。

「どちら様……」
「嬉しい…嬉しい話をしよう……」

ガチャン。その眼の醒めるような青を脳が認識した時には、は既に扉を閉めていた。脊髄による反射的な行動だったのだろう、ドアノブを握ったまま彼女は暫く固まっていた。そして自分が眼にした物の意味を理解した後、額に手を当てて深い溜息を吐いた。

「忘れてた。そういえば、もう着いてもおかしくなかったんだ」

 が状況を整理している間にも扉の外からは騒がしい声が聞こえる。常に躁状態である彼が、眼前で扉を閉められて静かにしているわけもない。あのグラハム・スペクターならば当然のことだった。状況からして彼の存在は近所迷惑であることに加えて、扉を破壊する危険性もあった。これからも此処で暮らしていくことのリスクを秤に掛けたは、もう一度だけ溜息を吐くと、諦めと共に扉を開けるしかなかった。

「開けるから、扉壊さないで。直すのにもお金掛かるんだから」
「いや、俺は別にの部屋に入りたいから扉壊そうとしたわけじゃないぞ? が何らかの事情があって部屋から出て来たくないと言うなら、こっちから入って行ってやろうかと思っただけだ。その為には扉が邪魔だろう?」
「正論みたいなふりして言ってるけど、扉を壊すって点では同じことでしょ。良いからそのレンチ降ろす」

 扉を開けた先には予想通りの光景が広がっていたわけであるが、眼の前に巨大なモンキーレンチを振りかぶった人間が居ても動じなくなっている自分の感覚には複雑な思いを抱く。出来ることならそんな非日常的な状況に慣れたくはなかったと思う。相変わらずの青い作業着と、顔に被さる金髪。頭上に掲げていたレンチを降ろしたグラハムを見遣り、その容姿が整っていることを思い知らされていつものようには納得がいかない気分になる。まぁ、容姿がどんなに良くとも中身がそれを相殺しているのだが。今日こんな時間に訪問を受けたことも、彼のその破天荒な中身が原因であることを彼女は既に理解していた。

「それで、プラチドは何て言ってた? 随分とお冠だったんじゃないの」
「……何のことだ?」
「何って、列車強盗のことよ。それでアンタ達、到着が遅れたんでしょ」
「そうか、も知ってるんだな。あぁ、知っての通り、俺はラッドの兄貴に肖って事を起こしてみたんだが兄貴のようには上手くはいかなかった。やはり列車の方向が逆だったのがまずかったかとも思ったが向きが違ったとしても事を起こしたのは間違いなく例の場所だった、だとしたら、単に俺が不甲斐無かっただけということかっ! どう思う!?」
「どうでもいいし、感想聞いたわけじゃないから。あと声のトーン落として」

 グラハムからの質問をばっさりと切り捨てると、は本日3度目となる溜息を吐いた。人の話を聞かないグラハムとの会話には慣れていたつもりだったが、およそ1ヶ月振りに会ったグラハムの相手をするのは彼女が覚悟していた以上に疲れることだった。端から見れば、グラハムと会話を成立させているという点において彼女は充分に上手くやっているのだが、当の本人にその自覚はない。疲労感を覚えながらも、彼女は会話を進めるべく次の言葉を紡ぐ。

「プラチドに挨拶に行った時に、列車強盗について何を言われたか聞いてるのよ」
「いや、そもそもプラチドの旦那にはまだ会ってないぞ?」
「……どういうこと」
「せっかくこっちに戻って来たんだ、まずはに会いたいと思ったから一番に此処に来た」

 さもそれが自然な行動であるかのように言い切ったグラハムを、は思わず殴りたい衝動に駆られた。前々から頭の螺子が数本足りない奴だとは思っていたが、やはりこの男は考えなしだったらしい。考えているのかそうでないのか、どちらか分からない行動が多く判断が付かなかったが、それらが全て常識に縛られないものだったことを思えば以前からから明瞭な事だったに違いない。

「ちょっと珍しいことに詳しかったりするから実は賢いのかとも思ったりもしたけど、そんなことあるわけなかったか」
「あれ? ここはさっきの俺の発言に感動するところじゃないのか? むしろ馬鹿にされているような気がするんだが」
「その通りよ、私の気持ちが正確に伝って嬉しいわ。それで一応確認しておきたいんだけど、アンタはプラチドに呼ばれたからシカゴに戻って来たのよね」
「ああ、そうだな」
「そう……言うまでも無いことだと思ったけど、やっぱり言わないと駄目ってことか」

 は自分を落ち着かせるように深呼吸を一つした。彼女が確認を取った意味も、怒っている意味も未だに分からないらしいグラハムに説明という名の説教をする為に。そして次の瞬間、再会時から彼女が溜め込んでいたものが爆発した。

「アンタね、プラチドに、間借りなりにもファミリーに呼ばれたんでしょ! まず一番にそこへ行くべきじゃないの? そういう世界でしょうが! そんなに死にたいわけ!?」
「なるほど……つまり俺の心配をしてくれたというわけだな! ルーア姐さんのこと以外は興味ないとばかりに冷たくされ続けていたわけだが、まさかが俺のことを心配してくれてたなんて! やばい、すげぇ嬉しいぞ、あまりの嬉さで今なら車を1分でバラせる気がするくらいだっ!!」
「良いからさっさとプラチドのとこ行きなさい! あぁもう、シャフト君! 居るならこの莫迦さっさと連れて行ってくれない?」

 不意に向けられたその声に驚いたのか、ガタッという物音がした後、一人の青年が物陰から現れた。名指しをされたシャフトは彼女が自分の存在に気付いていたことに対して不思議そうな表情を浮かべていた。

「どうして俺が居るって分かったんですか?」
「うちに来るには車を使うでしょ。列車強盗なんてして警察に追われてるのに、やたらと目立つ特徴を持つグラハムが車借りられるとは思わないし、誰かが一緒に来てるのは確実。で、メンバーの中ではシャフト君が一番可能性が高いと思っただけ」
「成程、見事な推理ですね。本当は『絶対に出てくるな』とグラハムさんに言われていたんですが、思わず出て来ちゃいましたよ」
「最近のシャフト君はグラハムに対抗出来てるくらいだから大丈夫でしょ。じゃ、あれ持って行ってね」

 グラハムを『あれ』呼ばわりしている彼女は、騒がしい人物をさっさと追い払いたいだけにも見える。しかし、口には出さないが彼女がグラハムのことを心配しているというのは確かなことだろう。それは先程の彼の発言を否定しなかったことからも分かる。 グラハムを思ってのことであると分かっているからこそ、シャフトは面倒だとは思いつつも彼女の指示には従うことにしている。

「あぁ、グラハム。分かってると思うけど、店に来たらぶっ飛ばすから」

だから彼は、背後から聞こえる無情な言葉は自分の聞き間違いだと思い込むことにした。



 +++



 同日 夕方。いつもならばまだ店を開いている時間には家へと向かっていた。趣味でやっている店とは言え、大体の決まった営業時間というのは存在している。けれども今日は客からも何処か浮ついていることを指摘され、気になることがあるなら早く帰ると良いとまで言われてしまったのだ。彼女にとっては認めたくないことであるが、それはグラハムのことを気にかけているということを意味していることに他ならない。数年前までは姉のルーア以外の誰かを気にかけることはなかったのに。いつからだろうか、こうして他の人間を気にかけるようになったのは。
 そんなことを考えていたら、はいつの間にかアパートの前まで来ていた。馴れ親しんだ階段を昇ると、扉の前に今朝見たばかりの青い人物が座り込んでいるのが目に飛び込んでくる。思わず溜息を吐きそうになるのを堪えて、はその人物へと近付いていった。後一歩というところで立ち止まると、気配を察したのか彼は顔を上げた。

「グラハム。いつから居たの?」
「もしもティアナが正確な時間を聞いているというなら残念なことにその質問には答えられないが、此処にはプラチドの旦那に会った後に直行してきた。まぁ、昼過ぎには居たことになるな」
「あのねぇ、店閉める時間は知ってるでしょ、他で時間潰してから来なさいよ」
「だが、いつもより早く終わる可能性もあるだろう? それに、そう、は早く帰ってきたじゃないか」

 こうして待っていたことは正しかったといった様子のグラハムに対し、は沈黙するしかなかった。周囲のことなどまるで見えていないようで、彼は時々こうして見透かしたようなことを言う。そうした所に彼女はいつも困惑するのだった。

「……はぁ、とりあえず入って」
「ん? もしかして、が自分から家に誘ってくれるのは初めてじゃないか? これはが俺のことを受け入れてくれたと都合の良いように解釈しても良いってことか?」
「良くない。玄関先で騒がれたくないから中に入れって言ってるだけだし」

 グラハムの発言を受け流すと、は鍵を開けて中へ入るように促す。平気そうな顔をしているが、今は12月だ。3時間以上もこんな所に居たならば当然身体は冷え切っているだろう。そうまでして自分を待っていたという相手を彼女は無下には出来なかった。


 +++


「『おかえり』とは言ってあげる。けど、私怒ってるんだからね」
「まて、俺は何かを怒らせるようなことをしたのか?」

 グラハムを家に招き入れた後、自身のコートなどを片付けてリビングにて落ち着いた所で、はそう切り出した。それに対して、思い当たる節がないようでグラハムは首を傾げる。

「列車強盗、するなら事前に連絡くらい寄越してよ」
「そうか……も列車強盗に参加したかったんだな? そうとは気付かず俺が声を掛けなかったばかりに、愉しいことが行われていたことを後から知ることになったの悲しみや怒りを思うと……ああ、俺は何て罪深いことをしたんだろうか……っ!!」
「いや違うから。到着日時を連絡してきたから、シカゴユニオン駅まで迎えに行ったのに、アンタ達が来なかったのを怒ってるの」

列車強盗をすると事前に知っていたら、だって迎えになど行かなかっただろう。そういったことに対する文句を言ったのだが、グラハムが反応したのは別のところだった。

「迎えに来てくれてたのか?」
「久しぶりに友人が戻って来るんだから、迎えに行くのは当然でしょ」
「友人……その表現に俺は一向に自分の気持ちがに伝わらないことを悲しむべきか? それとも少なくとも友人としては認めて貰っていることを喜ぶべきなのか?」
「どっちでもいいんじゃない」

 『友人』という表現には自身も違和感を覚えていた。知人というには共に過ごした時間は長く、かといって恋人というような仲でもない。グラハムのことは嫌いではないし、どちらかと言えば好きだと言えるだろう。それでも、彼からの好意には応えないと決めていた。理由は至極単純なことに過ぎない、誰よりも姉であるルーアが大切だからだ。一番に想うことが出来ないのに付き合うわけにはいかない。だから、友人としか言いようがない。

友人以上恋人未満。

 この関係はこれからも変わらないと思っていたのに、最近では気持ちが揺れている。しかも自覚があるのに制御出来ないという何とも迷惑な話だった。そんな考えを打ち払うように頭を振ると、自分が最も大切に思う姉のことをは口にした。

「姉さんはどうしてた?」
「あぁ、ルーア姐さんなら変わりはない。出発前に挨拶しに行った時は出掛けてるようだったけどな」
「出掛けてた……?」

その言葉には引っ掛かりを覚えた。ルーアがNYに居るのはラッドの出所を待っているからであり、出掛けることはほとんどない。そんな彼女が、グラハムが訪ねた時に偶々出掛けているということがあるだろうか。

「グラハム、アンタ何時頃に姉さんのところに行ったの?」
「ん? あー……たしか、8時過ぎだった気がするな、列車の発車時間まで20分しかないとシャフトが言っていた覚えがある、多分そうだ」
「そう、その時間に姉さんが家に居ないわけはないんだけど……」

 昼過ぎならば食糧などの日常品を買いに行くこともあるだろうが、朝から出掛けるような用事は今のルーアには存在しない。は嫌な予感がした。姉の身に何かあったのかもしれない。けれども数日前の話だけでは、ただの偶然であった可能性も否定は出来ない。むしろそうであれば良いと思いながら、はルーアへ電話をする為に受話器を持ち上げた。暗記してしまった数字の並びは、ルーアがNYで生活を始めてからそれだけの時間が過ぎたことを実感させる。この3年間、何も起きなかったのだから。今回のこともきっと何でもない。姉さんは今頃、普通に家に居るに違いない。そんなの思いに反するように、受話器からはコール音が虚しく続いていた。

「どうかしたのか?」
「ううん、姉さん出掛けてるみたいだから、また後で掛け直すわ」

まだルーアの身に何か起こったという確信はない。だから、はグラハムからの問いを誤魔化した。少し自分で調べて状況を把握してから、事を起こす段階で相談しても遅くはないと考えたのだ。


結果として、この時のの選択は正しかったと言える。
ルーアが捕われていた場所を思えば、もしもグラハムが早くにそのことを知っていたら、この事件は違った結末を迎えることになっただろう。