タイトル

赤河田中学 3年 苑原明良

 夏休み。学生の本分であるところの宿題をそれなりに進めつつ、私は暇を持て余していた。一般参加のため夏の祭典に向けての締切に追われることもなく、趣味であるところの写真撮影もこの暑さでは外出する気にもなれない。一緒に遊ぶような友人が居ないわけではないが、私と同類なのでこの暑さの中わざわざ出掛けようなどと誘ってくる猛者は居ない。加えていつもはうるさいくらいに「かまってかまって」と言ってくる下の弟妹はそれぞれ林間学校や合宿に出掛けていて不在。上の兄はと言えば、夏の全国大会に向けてクイ研の皆さんで絶賛特訓合宿中である。そんな暇を極めている私を見るに見かねてかそれともこれ幸と思ったかは分からないが、母から指令が下った。

「お兄ちゃんのところに忘れ物届けてくれないかしら?」

何でも合宿に必要なものを忘れていってしまったらしい、相変わらず大事なところで少し抜けている兄だった。兄の部屋へと入って母から伝え聞いた場所を探すと、積み上げられた受験勉強の参考書に混じってそれは置かれていた。ぱらりぱらりと中をめくって見てみると、案の定そこにはクイズがいくつも並んでいる。パソコンで作成をしたものや手書きのものが入り交じっており、特訓に間に合わせようと勉強の合間をぬって作り上げたということが一目でわかるからこそ、これを忘れてきたと気付いた時の兄の心情が容易に想像がついてしまった。それでも高校生にもなって忘れ物を身内に届けてもらうという羞恥心とこれを使う有意性を天秤にかけて、後者を選べるところが兄の評価できるところだと思う。
「ついでだから」と母に持たされた差し入れを抱えて私が赤河田中高の前に辿り着いたのは、そろそろ時計の短い針が天辺を回り、太陽も頂点に差し掛かろうかという頃だった。中高一貫の私立校であるため部外者の立ち入りには手続きが必要になると聞いていたが、「部活動で使うらしい身内の忘れ物を届けに来た」と伝えるとすんなり通してもらえた。うちの学校であれば身分証の提示やら入館許可証やら滞在時間の申告やらとこの何倍も時間が掛かるため、少し拍子抜けをしてしまった。敷地内に入ることはできたが、さすがに建物の内部へと入ることは気が引けたため、電話でもかけて兄を呼び出そうかと考えていたところで扉が中から開かれて誰かが外へと出てきた。丁度いいと声を掛けようとしたところで、相手が見覚えのある小悪魔フェイスであることに私は気付いてしまった。声をかけるのを僅か躊躇っている間に向こうもこちらに気付いてしまった。

「あのー誰ですか?」
「えーと……兄の忘れ物を届けに来たんですけど」
「あれ、その声はちゃん?」
「あ、中澤さん! いつもうちの愚兄が大変お世話になってます」
「世話になってるのはこっちの方だよ。新名だよね、呼んでくるからちょっと待ってて」
「さすがに中には入れないからどうしようかなって思ってたんです、有難う御座います」

そう言って中澤さんは兄を呼びに行ってくれたため、この場には再び二人きりになってしまった。今の会話を耳ざとく聞いていたのか彼は大人しそうな顔をして、しかし好奇心を隠そうともせずこちらに話かけてくる。

「もしかして部長の妹さんなんですか? 僕、中3の苑原って言います。新名先輩にはいつもお世話になってます」

それはそれは可愛らしい顔で言われて思わず騙されてもいいと思ってしまった。ランニングシャツから覗く華奢な腕は自分のものと比べても一回り細い気がする、苑原先輩と似て整った目鼻立ちは化粧をしていなくても十分に魅力的と言える。このままの状態でも、それはそれで人気が出そうだな、などと思わず考えてしまった。彼にとって好印象を植え付けておいた方がいい相手として認識されたことを喜ぶべきなのかは否か。もう少しこの可愛い男の子とお話をしていたい気もするけれど、個人的には素の彼のキャラクターの方が好きなため早々にネタばらしをする。

「初めまして苑原くん。麻ヶ丘2年の新名です、お姉さんにはいつもお世話になってます」
「……なーんだ、ねーちゃんとこの後輩か。取り繕って損した」
「クイ研ではないけどね。この間の例会も見てたから苑原くんのこともよく知ってるよ。うちの制服似合ってて可愛かった」
「へぇ、部長の妹さんってもしかして話分かるタイプの人?」

その質問には笑顔でもって応えておく。ちょうどその時、中澤さんに呼ばれて出てきた兄が私と明良くんという組み合わせを見てうわっという表情をしているのが彼の肩越しに見えた。ひらひらと手を振ってみせると、彼も後ろの存在に気付いたようでくるっと振り向いて兄のことを視界に入れる。

「新名部長ー妹さん来てるよー」
「それは知ってるけど、なんで苑原と一緒に居るんだ」
「たまたま。というか忘れ物をわざわざ届けに来た妹に労いの一つでもあってもいいんじゃないの?」
「いや、それは感謝してるけど。おまえ、余計なこと話してないよな?」
「匠兄が心配してるようなことは話してないよ、今のところは」
「えーなになに、内緒の話? ボクも混ぜてよ」
「苑原は今、ベタ問の特訓中だろ。そろそろ次の順番回ってくるぞ」
「そういうことされるとますます気になるなぁ、ねぇいいでしょ?」
「んー私も苑原くんともっとお話したい気持ちはあるけど、合宿の邪魔するのは本意じゃないので今日のところはこれで」

例会の際の彼の様子も見ていたので、その後のことが少しだけ、気に掛かっていた。杞憂だったことは今こうして合宿に参加をしている様子を見れば分かる。クイズのことはよく分からない。それでもこの6年間それを兄が大切にしてきていることはよく知っているから、悪いようになって欲しくないという気持ちはあった。最後の夏、後悔のないものになったらいいなと思う。そんなことは億尾にも出さず、私は両手の親指と人差し指で枠を作った枠の中に二人を収める。兄の腕に絡みついて甘える明良くんという図はカメラを持って来なかったことを心の底から惜しいと思える光景だった。


(2018.10.14.)