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居ても経ってもいられずにその部屋へと押し掛けたのは、今思えば彼女にしては珍しくも事を急ぎ過ぎたと言わざるを得ないだろう。言い換えれば、それだけ彼女にとってこの瞬間は待ち焦がれていたものだった。
高校生ともなれば今更年賀状のやり取りをなどはしない(大抵は年明けメールで済ませるだろう)、そうなればわざわざ住所を訊くような機会もない。当然ながら、彼女も彼に住所を訊いたことなどあるわけもない。にも関わらず、彼女が彼の住み処を知っているのは、単純にその隣の部屋を訪ねたことがあるからである。そうした事情が運悪く噛み合ってしまった結果、彼女は今、修羅場に遭遇していた。裸の金髪美少女とベッドで抱き合う藤井某とその場面を糾弾する幼馴染(女)。これを修羅場と言わず何と言うのか。
「――お邪魔しました」
「待て。とりあえず待て」
「待てと言われて素直に待つ私ではないし、それよりも目の前の彼女を説得する方が先じゃないのかな」
「それは全くその通りだけど、このままアンタを逃がす方がよっぽど面倒なことになる気がするんだよ」
「このまま私が玲愛さんのところに行こうとしてるのが良く分かったね」
無言で彼女を押しのけると、玄関のドアの前に立ちふさがった彼には言いようのない気迫があった。
「話が終わるまでここから出さないからな」
その瞬間の藤井蓮の表情は大層見物であったと後に彼女は語る。
彼女にとってはそれよりもベッドに腰掛けてきょとんと首を傾げる『彼女』の方がよっぽど重要だったので、元より本気でここから立ち去るつもりなど毛頭なかったのだが、それを語っては面白くないという遊び心は持ち合わせていた。
彼女はある時を境に不老となった。不老であって不死ではなく、彼女の目指すべき場所はあの城ではなく砂浜であった。外見こそ変化しないが、傷を負えば身体は痛み、それが重傷であれば癒すまでにそれなりの時間を要す。故に、彼女はどこまでもこの場に相応しくない人物だった。本来であれば役者ですらない彼女に舞台へと上がる資格はなく、そうならないような筋書であったはずだ。あくまでも観客の一人に過ぎない彼女には戦う術など備わっているわけもない。待っているのは無残な死のみであろう。眼前に迫る死を前にして不思議と彼女に恐怖はなかった。
「テメェのその目、気に入らねぇな。理由は色々とあるが、何よりも今この状況で、俺に対して全く恐怖を抱いてないことが気に入らねぇ」
「私には己の死よりももっと怖いことがありますから」
「自分の命よりも大切なもんがあるとか抜かすんじゃねぇだろうなぁ? 偽善者の語りなんざお断りだ」
「期待に添えなくて申し訳ないですが、私は偽善者ではありません。ですから、死に行く私から貴方に一つ教訓を送りましょう」
身体を壊すのは容易く、精神を砕くのは困難を極める。狂信者にとっての絶望とは、肉体の崩壊ではなく信仰の粉砕にあり。
「そして貴方では私の信仰は決して壊せません。なればこそ、私は貴方を恐れないのです」
その日も彼女は針の筵のような感覚に晒されていた。何の知識もない若造が、何故栄えあるこの場所に存在しているのか。そんな視線が向けられているのは決して気のせいではないのだろう。こんな場所に勝手に推薦をした人物はどこの誰なのか。最初の内はまだ彼女も浮かれていたが、今となっては恨みこそすれ、感謝の念はほとんどない。ただひたすらに雑用を消化していくだけの日々はつまらないの一言で済む。ここに所属していることは一種のステータスになると言われているが、現状そんなものが役に立つとは思えない。それよりも前のところで研究室に籠っていた方がよっぽど有意義であったと言わざるを得ない。
その人に出会ったのは、うんざりした思いで押し付けられた書類を片手に部屋を出てきた時のことだった。所属している人間は軍人よりも研究者が多いとは言え、親衛隊の下部組織であることから大半が黒い軍服を身に纏っている中、その赤は他部署とは一際目を引く存在だった。名前は知らない、ただその通り名は誰もが知っている『魔女』。ドイツ古代遺産継承局の創設初期から居ると言われている年齢不祥の女性。通り名からして関わるべきではない、そう思い会釈をして横を通り過ぎようとしたが、意外にも相手から掛けられた声によって彼女は足を止めざるを得なかった。
「ねぇ貴女、蛇の匂いがするわ」
蛇とは果たして何かの隠語なのか、彼女には皆目検討も付かない。ただ、それは無視できる声ではなく、必然彼女は振り向くようにして『魔女』と目を合わせることになった。